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冷徹CEOは路地裏のΩに番の印を刻む〜効率主義のスパダリが小さな古書店と俺を溺愛して離しません〜  作者: 水凪しおん


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番外編「コーヒーの苦味と祝福の香り」

◇万丈目学視点


「……はい、これで全部だ。豆の保存はしっかり頼むぞ」


 万丈目はカウンターの上にガラス瓶を置き、首に巻いたタオルで汗を拭った。

 エプロンにはコーヒーの粉が少し飛んでいる。

 小鳥遊書房の店内は相変わらず薄暗く、紙とインクの匂いが漂っていたが、今はそこに別の香りが混ざり込んでいる。

 それは、奥の休憩室から微かに漏れてくる、α特有の落ち着いた香りだ。


「ありがとう、学。いつも重いのにごめんね」


 文が帳簿から顔を上げ、柔らかく微笑む。

 そのうなじには、はっきりと番の印が刻まれていた。

 万丈目はその印から目を逸らし、短く鼻を鳴らした。


「別に気にするな。ついでの配達だ」


 口ではそう言いながらも、万丈目の胸の奥には、ほんの少しの寂しさがまだ残っていた。

 子供の頃からずっと、文を守るのは自分の役目だと思っていた。

 大人しくて、自分の世界に閉じこもりがちな幼馴染。

 誰かが背中を押してやらなければ、いつかこの薄暗い本屋と一緒に消えてしまうのではないかと、本気で心配していたのだ。

 そこに現れたのが、あの九条という男だった。

 最初見たときは、ただの傲慢な金持ちのαだと思った。

 文の静かな世界を土足で踏み荒らし、飽きたら捨てるに決まっていると、敵意をむき出しにして追い払おうとした。

 だが、あの男は逃げなかった。

 ヒートで苦しむ文を抱きしめていたときの、あの必死で、不器用で、深い慈しみに満ちた目。

 それを見たとき、万丈目は自分が入り込む隙など最初からなかったのだと思い知らされた。


「……で、あいつはまた奥でサボってるのか」


 万丈目が顎で休憩室のほうをしゃくると、文は困ったように笑った。


「サボってるわけじゃないよ。最近、お休みの日はここで本を読むのが日課になってるみたいで。静かで集中できるんだって」

「数千億の会社のトップが、こんな古びた本屋の裏で何してんだか」


 悪態をつきながらも、万丈目の声にはもう棘はない。

 そのとき、休憩室の扉が開き、九条が姿を現した。

 手には読みかけの本を持ち、シャツの袖を少しだけまくっている。

 その姿は、初めて店で会ったときの張り詰めたような緊張感はすっかり消え去り、どこにでもいる穏やかな青年のように見えた。


「万丈目さん。配達、ご苦労様です」

「……どうも。あんたも相変わらず暇そうだな」

「ええ。ここで過ごす時間は、私にとって最も重要な投資ですから」


 九条はさらりと答え、文の隣に並んだ。

 その瞬間、二人の間に流れる空気がふわりと和らぐ。

 互いの存在がそこにあるだけで満たされているような、深く穏やかな調和。

 文の表情は、万丈目がこれまで見たことのないほど穏やかで、幸福に満ちていた。

 万丈目は小さく息をつき、エプロンのポケットに手を突っ込んだ。


「まあいいさ。文が幸せなら、俺は文句は言わねえよ。ただ、もし文を泣かせるようなことがあったら、そのときは本当にトラックで突っ込むからな」

「肝に銘じています。そのトラックが来る日は、永遠に来ませんが」


 九条は真っ直ぐに万丈目の目を見て、力強く答えた。

 その迷いのない眼差しに、万丈目はついに苦笑いを漏らした。


「……まったく、大した自信だ。じゃあな、文。また来週来る」

「うん、ありがとう。またね、学」


 万丈目は店を背にして歩き出した。

 扉を閉めると、路地には少し冷たい風が吹いていた。

 だが、胸の奥にあった寂しさは、いつの間にか消えていた。

 代わりに残っていたのは、淹れたてのコーヒーのような、少しの苦味と温かい祝福の気持ちだけだった。

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