第7話:聖女、上司の『接待』に神罰を下しそうになる
ISDA(異世界技能振興機構)の夜は、定時を過ぎてからが本番だ。
佐藤健斗は、ネクタイを緩める暇もなく、上司である権藤課長に呼び出された。
「佐藤くん、今夜の『親睦会』、ルミナ様も同席させてくれ。あちら側の……そう、例のエネルギー企業の重役たちが来るんだ。聖女様が顔を出すだけで、来期の予算編成がスムーズにいくんだよ」
権藤は脂ぎった顔で笑いながら、健斗の肩を叩く。
健斗は、隣で首を傾げているルミナを見た。彼女は「しんぼくかい」という言葉の響きに、高貴な晩餐会を想像しているようだった。
「……課長。ルミナ様は実習生であって、コンパニオンじゃありません。夜の接待に連れ出すのは契約外です」
「硬いこと言うなよ。これも『文化交流』の一環だ。ルミナ様、日本の美味しい『サケ』と『サカナ』が楽しめますよ?」
その言葉に、ルミナの耳がぴくりと動いた。
「……サケ。昨日、佐藤が言っていた『こんびに』の至宝を超える美味があるというのですか?」
「ええ、それはもう! 神殿の供え物も真っ青の御馳走ですよ!」
権藤の調子のいい言葉に、ルミナはコロリと騙された。
「佐藤! 行きましょう! 地界の食文化を極めるのも、聖女の務めですわ!」
健斗は溜息をついた。嫌な予感しかしない。
案内されたのは、新橋のガード下にある、煙たい居酒屋だった。
スーツ姿の男たちが騒ぎ、ジョッキがぶつかり合う喧騒の中、ルミナの純白の法衣はあまりにも浮いていた。
「……佐藤。ここが、晩餐会の会場ですか? 壁に貼ってある『生ビール290円』というのは、古代の禁呪の呪文か何かで?」
「ただの飲み物代です。……ルミナ様、無理だと思ったらすぐ言ってください。僕が無理やり連れ帰りますから」
しかし、座敷に座るなり、企業の重役たちはルミナの美しさに色めき立った。
「おお、これが噂の聖女様! いやあ、写真よりずっとお綺麗だ!」
「さあさあ、聖女様の一突き……じゃなくて、お注ぎで一杯やりたいもんですな!」
酒の入った男たちの視線は、下卑た欲望が混じっている。
ルミナは困惑しながらも、健斗に教わった通り「愛想笑い」を浮かべようとするが、引き攣っているのは明白だった。
「ルミナ様、こちらに。……失礼ですが、彼女は酒席の作法を知りません。お酌は僕がやります」
健斗が割って入るが、権藤課長がそれを遮る。
「空気を読めよ、佐藤くん。ルミナ様、ほら、この金色の液体を、こちらの専務に。それが地界の『礼儀』ですよ」
ルミナは、震える手で瓶を掴んだ。
神に祈りを捧げるための指先が、見ず知らずの、酒臭い男のために使われようとしている。
「……これが、礼儀、なのですか?」
「そうですよ! さあ、早く!」
男たちの下卑た笑い声が、ルミナの耳元で渦巻く。
彼女の周囲の空気が、急激に冷え込んだ。怒りの魔力が、無意識に物理的な「圧」となって室内のジョッキをガタガタと震わせる。
(不敬……不敬ですわ! この私を、神の代弁者を、何だと思っているのですか! 塵に……こいつら全員、光の藻屑にして……!)
ルミナの瞳が、青く発光し始めた。神罰が下る寸前――。
ガチャン、と大きな音がして、ルミナの手から瓶が奪われた。
「――課長。これ以上は、業務命令でも従えません」
健斗が、ルミナの前に立ちはだかっていた。
彼は、専務が差し出していたグラスを奪い取ると、一気にそれを煽った。
「ルミナ様は、日本のエネルギー産業を救うための『技術者』として来日しています。接待要員ではありません。これ以上の無礼を続けるなら、ISDAとして正式に抗議し、今期の技術提供をすべて白紙に戻します」
死んだ魚の目。しかし、その奥には、かつてSEとして炎上案件を一人で食い止めてきた時のような、絶対的な拒絶の意志が宿っていた。
「さ、佐藤くん……! 君、自分が何を言ってるか分かってるのか!? 専務に対して!」
「分かってます。……僕の首を飛ばすのは勝手ですが、ISDAの信頼までドブに捨てないでください」
健斗はルミナの細い手首を掴むと、呆然とする男たちを置き去りにして、店を飛び出した。
夜の冷たい風が、二人の頬を撫でる。
健斗は少し歩いたところで足を止め、ルミナの手を離した。
「……すみません。僕の調整不足でした。あんな場所、連れて行くべきじゃなかった」
健斗は電柱にもたれかかり、深く息を吐く。酒に弱いのか、少し顔が赤い。
ルミナは、何も言わずに彼を見つめていた。
「……佐藤」
「はい。……お怒りですよね。明日、正式に謝罪の報告書を――」
「バカ」
短く、しかし優しい声。
ルミナは、健斗のスーツの袖をそっと掴んだ。
「……なぜ、あなたが謝るのですか。あなたは、私を守るために、あの脂ぎった男たちに啖呵を切ったのでしょう?」
「……それが、僕の仕事ですから」
「仕事、仕事って……。あなた、本当につまらない男ね」
ルミナはふい、と顔を背けた。
でも、その瞳は潤んでいて、繋いでいた手首には、まだ健斗の体温が熱く残っている。
「……でも。今日のあなたは、神殿の聖騎士たちよりも……ほんの少しだけ、凛々しく見えましたわ」
街灯の下、ルミナは照れ隠しに法衣をバサバサと揺らした。
健斗は、そんな彼女の様子に戸惑いながらも、なぜか胸の鼓動が早まるのを感じるのだった。




