第13話:徹夜明けの事務員は、二人の「女神」に愛でられる
午前八時三十分。
ISDA(異世界技能振興機構)のフロアに、朝日が容赦なく差し込む。
通常業務の職員たちが「おはようございます……」と死んだような声で出社してくる中、執務室の一角だけが、異様な熱気と魔力残滓に包まれていた。
「……終わった。仕様書、バックアップ完了。PDF化して共有フォルダへ格納……」
佐藤健斗は、最後のリターンキーを「ッターン!」と叩き込み、そのままデスクに突っ伏した。
眼鏡はズレ、髪はボサボサ。まさに「燃え尽きた社畜」の鑑のような姿だ。
「佐藤! よくやりましたわ! さあ、私の『聖なる浄化』をかけます。……少しだけ、よだれが出ていますわよ」
ルミナが優しく健斗の背中をさすり、柔らかな光のカーテンで彼を包み込む。
徹夜で一晩中、健斗に夜食を運び、睡魔と戦う彼を励まし続けた(というか横で騒いでいた)彼女の瞳には、深い慈愛が宿っていた。
「……ふん、非効率な。佐藤、私の演算クロックに付き合ったのだ。貴様の脳細胞は今、極度のオーバーヒート状態にある。……私の冷たい魔力を流し込んでやる。こっちへ来い」
ゼノビアが健斗の椅子の背もたれを強引に引き寄せ、彼のこめかみに冷たい指先を当てた。
褐色の肌から漏れ出る魔導冷却の冷気が、健斗の焼き付いた思考を強制的にクールダウンさせる。
「ひゃっ!? ちょっと、ゼノビア! 佐藤は今、私の浄化を受けている最中ですわ! 不純な魔力を混ぜないでください!」
「黙れ、電球。浄化などという気休めより、物理的な冷却の方が先だ。……佐藤、私の膝を貸してやる。演算の残滓を吐き出せ」
ゼノビアが健斗の頭を自分の太ももへと引き寄せようとする。
ルミナはそれを阻止すべく、健斗の腕を抱きしめて固定した。
「させませんわ! 佐藤の安らぎの地は、私の膝と決まっているのです!」
「……何だと? 貴様、いつの間に私の『道具』に膝枕などという高度なメンテナンスを施したのだ。……佐藤、説明しろ。貴様は私の専属になったのではないのか?」
「…………。……。…………(睡眠中)」
二人の美女が至近距離で火花を散らし、魔力と神聖力が空中でパチパチと衝突する。
その中心で、健斗は極限の疲労により、爆撃が起きても起きないほどの深い眠りに落ちていた。
「あら、佐藤くん。おはよう……って、ええええ!?」
出社してきた経理部の女性職員が、悲鳴に近い声を上げた。
無理もない。
いつもは目立たない事務員の佐藤健斗が、絶世の美女エルフと、モデル顔負けの魔族美女に左右から奪い合われ、もみくちゃにされているのだから。
「ちょ、ちょっと! 佐藤さん、それどういう状況!? 両手に花どころか、両手に世界最終兵器じゃない!」
「……佐藤は、私の所有物だ。文句があるなら貴様の口座を――」
「違いますわ! 佐藤は私の……私の、大切な『案件』なんです!」
騒ぎを聞きつけた権藤課長が、慌てて割って入る。
「こらこら! 二人とも、そこまでにしてください! 佐藤くんが、佐藤くんが物理的に千切れてしまいます!」
課長の必死の説得により、ようやく二人は健斗を解放した。
ガクンと首を落としたまま眠る健斗。その手元には、彼が命を削って完成させた『魔導エンジン・出力制限仕様書』の最終版が、神々しく輝くディスプレイに表示されていた。
それを見たゼノビアが、ふっと口角を上げる。
「……ふん。完璧だ。私の超感覚的な理論を、これほどまでに論理的な書類に落とし込むとは。……佐藤、貴様はやはり、私が手に入れるべき最高の『システム』だ」
ルミナも、悔しそうにしながらも、健斗の寝顔を見て微笑んだ。
「……ええ。私の光を、これほどまでに優しく、人々の役に立つ形に変えてくれるのは、この世界で佐藤だけですわ」
聖女と魔族。
本来なら決して相容れない二つの存在が、一人の「疲れ切った事務員」という共通の推し(?)を見つけた瞬間だった。
しかし、その平和な(?)光景を、執務室の影から冷徹な目で見つめる男がいた。
ISDA内部に潜む、アンチ異世界派の過激工作員――。
「……佐藤健斗。貴様が両世界の均衡を保つ『楔』だというなら……まずはその楔から、排除させてもらおう」
健斗の知らないところで、物語は「お仕事ラブコメ」から、両世界の存亡を賭けた「陰謀」へと加速し始めていた。




