第9話 天界監視対象の誕生
天界転生局の第7棟、監視記録室は、いつも静かな部屋だ。
壁一面に棚が並んで、転生者ごとの観測記録が整然と収められている。それぞれの記録は雲紙に羽根筆で書かれていて、定期的に更新される。
統括官のわたし、セラフィナの仕事の一つが、この記録の管理だ。
転生者が地上に降りた直後から、経過を記録する。どこに降りたか。どう動いているか。任務の進捗はどうか。問題は起きていないか。
それが、通常の業務だ。
通常であれば。
「……」
わたしは今、机の上に広げた雲紙を前に、羽根筆を止めていた。
正確には、止まってしまっていた。
雲紙の上段には、整然とした文字でこう書いてある。
転生者:クラリッサ・フォン・ヴァルシュタイン
転生経緯:お世話係見習いクーリエによる誤操作
転生先:本来の転生予定なし・例外案件
適性値:全項目計測不能(解析石ひび割れにより別途保管)
ここまでは書けた。
問題は、その下だ。
現在の状況:
この欄で、羽根筆が止まっている。
観測用の覗き石というものがある。
平たい丸い石で、転生者の様子を映し出す。天界転生局の標準装備だ。通常は穏やかな光を放ちながら、転生者の周囲の様子をぼんやりと見せてくれる。
わたしは覗き石を手に取った。
石の表面に、映像が滲み出てきた。
草原を歩く2人の人影。黒髪の令嬢と、白銀の髪の天使。
クーリエが何かを説明している。令嬢が静かに聞いている。
令嬢が口を開いた。
わたしには声は聞こえない。覗き石は映像だけだ。でも口の動きと表情から、だいたいの内容は読めた。
整理している。
クーリエのポンコツな説明を、令嬢が途中から自分で整理し始めている。
冷静に。優雅に。まるで世界の異常な状況を聞いても、日常の延長線上の出来事であるかのように。
「……」
わたしは覗き石を置いた。
羽根筆を持ち直した。
現在の状況:草原を移動中。お世話係見習いクーリエと同行。世界情勢の説明を受けている模様。対象の反応は、
羽根筆が止まった。
予想の範囲外。
書いてしまった。
天界転生局の統括官として、こんな記録は前代未聞だ。観測記録に「予想の範囲外」などという文言を書いたことは、一度もない。
消そうとして、やめた。
事実だから。
わたしは業務日誌を開いた。
クーリエの指導記録だ。
14日目の欄には、赤字でこう書いてある。
・棚の配置変更の周知書付け、未読のまま放置
・青瓶と赤瓶の取り違え
・本物の転生待ち魂を解析台に置く
・解析石ひび割れ(弁償要検討)
・無承認転生を発生させる
我ながら、かなり大きな赤字で書いた記憶がある。
ただ。
わたしは14日目の欄の下に、小さく付け加えた。
・結果として発生した転生者は、現時点で任務遂行に支障なし
・むしろ適性値から察するに、過去最高の転生者である可能性がある
書いてから、少し考えて、さらに付け加えた。
・クーリエの失態が偶然にも最善の結果を招いた可能性については、現時点では評価を保留する
これ以上書くと、クーリエへの評価が上がってしまう。
それは困る。
失態は失態だ。
改めて、雲紙に向かった。
今回の転生案件は、これまでのどの案件とも異なる。正直に言えば、記録の書き方がわからない。通常の転生者用の様式が、全く当てはまらない。
わたしは新しい雲紙を取り出した。
この案件専用の様式を、一から作ることにした。
天界転生局の統括官として、様式を新規作成するのは初めてだ。
転生特別監視記録 第1号
対象:クラリッサ・フォン・ヴァルシュタイン
分類:例外存在・独立案件・最優先監視対象
書いているうちに、雲紙がぽわりと光った。
同意してくれているのかもしれない。
それとも、わたしの羽根筆を持つ手が少し震えていたから、励ましてくれているのかもしれない。
どちらでも構わない。
監視開始日時:転生後0日目
現況:地上移動中。任務の把握を開始している模様
懸念事項:
ここで、また羽根筆が止まった。
懸念事項。
何が懸念なのか。
わたしは覗き石をもう一度手に取った。
映像の中の令嬢は、今度は小さな街に入っていくところだった。市場を歩きながら、茶葉の袋を手に取って、匂いを確かめている。
笑っていた。
わずかに、口元が緩んでいる程度の笑みだけれど。確かに笑っていた。
追放されて、荒野を彷徨い、崖から落ちて死んで、知らない世界に転生して。
それでも、笑っている。
「……」
わたしは覗き石を置いた。
懸念事項:特になし
書いた。
天界転生局の統括官として、懸念事項なしと書いたのは、これも初めてだ。
通常、転生者には懸念事項が必ずある。適性値が低すぎる。精神が不安定だ。任務を理解していない。様々な問題が発生する。
でもこの転生者には。
今のところ、懸念事項が思い当たらない。
問題はむしろ、別のところにあった。
わたしは机の引き出しから、別の書類を取り出した。
勇者召喚記録だ。
5人分の召喚記録。全て、わたしの羽根筆で書かれている。
1人目の召喚理由:万が一に備えて
2人目の召喚理由:1人目が失敗した場合に備えて
3人目の召喚理由:2人目も失敗した場合に備えて
4人目の召喚理由:さらなる万が一に備えて
5人目の召喚理由:念には念を入れて
……。
我ながら。
わたしは書類を引き出しにしまった。
この書類は、見るたびに気持ちが沈む。完璧に業務をこなしてきた自負があるからこそ、この件だけは、直視するのが難しい。
フィレーネ様に呼び出されたときの、あの沈黙を、今でも覚えている。
「セラフィナ」
「はい」
「勇者が5人いるのですが?」
「はい」
「わたしが頼んだのは1人だったのですが?」
「万が一に備えて」
長い沈黙があった。
「……頭が痛い」
それだけ言って、フィレーネ様は額に手を当てられた。
あの件以来、フィレーネ様との面談の回数が増えた。内容は、概ね、頭痛の訴えだ。
覗き石をもう一度見た。
令嬢が宿の部屋で、クーリエに向かって何かを話している。
クーリエが頭を掻いている。
令嬢が静かにカップを持ち上げた。
紅茶を飲んでいる。
その表情が、また、わずかに緩んでいた。
わたしは雲紙の余白に、小さく書いた。
備考:対象は現時点で精神的に安定している。紅茶を飲むと表情が緩む傾向がある。今後の監視において参考にすること。
書いてから、少し考えて、さらに書いた。
追記:なお対象の安定の原因が転生先の世界にあるのか、それとも対象の本来の性質によるものなのかは、現時点では判断できない。後者である可能性が高いが、断言は避ける。
さらに考えて、書いた。
追追記:後者だと思う。
天界転生局の統括官として、こんな個人的な見解を記録に残すのは、あるまじきことだ。
消そうとして、やめた。
事実だから。
夜になった。
監視記録室の窓から、天界の光が差し込んでいる。
わたしは雲紙を見直した。
最初に書いた「予想の範囲外」という文言が、雲紙の上で淡く光っていた。
焦げていない。
つまり、嘘ではない。
当然だ。事実だから。
わたしは雲紙の末尾に、日付を記入した。それから、羽根筆を置いた。
第1号の特別監視記録は、以上で終わりだ。
明日から、継続して記録していく。
どんな転生者も、これまで記録してきた。
ただ、「予想の範囲外」と書いた記録は、これが初めてだ。
わたしは覗き石を布で包んで、棚に戻した。
明日もまた、見る。
令嬢が何をするのか。どこへ向かうのか。どう動くのか。
懸念事項は、今のところない。
ただ。
わたしは監視記録室の扉を閉めながら、小さく呟いた。
「……目が離せませんね」
廊下に誰もいなかったのは、よかった。
天界転生局の統括官が、そんなことを呟いているところを、誰かに聞かれるのは、少々、困る。
天界転生局 転生特別監視記録 第1号 付記
記載者:統括官 セラフィナ
本案件は通常の転生者監視様式に収まらないため、独立様式にて継続記録する。
対象の動向については、引き続き最優先で注視する。
なお本記録の余白に記載した個人的見解については、公式記録としての効力を持たない。
ただし消去はしない。
以上。
(余白に、小さな文字でびっしりと)
想定外。想定外。想定外。想定外。想定外。
(その部分だけ、雲紙が少し湿っている)




