第8話 異常な世界情勢
宿の部屋は、こぢんまりとしておりましたの。
クーリエが頼んでくれたお湯が届いて、わたくしは紅茶を淹れる準備をいたしましたわ。
クーリエが「お湯の温度ってどうやって測るんですか?」と聞いてきましたので、「沸騰してから少し待てばよろしいのですわ」と教えてさしあげましたの。
クーリエは真剣な顔でお湯の様子を観察しておりました。研修初日にしては、なかなか熱心でございますわ。
そうして淹れた一杯のベルガリア茶は、琥珀色でございました。
一口。
「……及第点ですわ」
ロイヤル・アールグレイ・プレミアム・オブ・サンライズではございません。でも確かに紅茶でございます。
精神が、落ち着いてまいりましたの。
「クーリエ」
「はい」
「約束の時間ですわ」
クーリエが、少し緊張した顔をしました。
「……説明、しますね」
「ええ。順序立てて、丁寧に」
「頑張ります」
クーリエが、椅子に座り直しました。
わたくしはカップを両手で包みながら、静かに待ちます。
「えっと、まず、この世界には勇者が5人いて」
「ええ」
「それぞれが勢力を持っていて」
「ええ」
「で、その5人のうち——4人が」
クーリエが、少し口ごもりました。
「……殺し合いの寸前で、止まっています」
わたくしはカップを持ったまま、クーリエを見ました。
「4人、でございますか?」
「5人目は——北の人は、もうずっと洞窟に籠もっていて。他の4人の睨み合いにも、ほとんど関係ない状態で。何年も前から、そうらしくて」
「5人目は最初から離れているのですわね」
「そうです。だから実質、4人の話で。その4人が——殺し合いの寸前で、止まっています。互いに相手を消そうとしているんですけど、誰も最初の一手を出せない。出した瞬間に残りから潰されるから」
「均衡ではなく、膠着、ですわね」
「そうです。しかも、その膠着がずっと続いているうちに、世界の方が悲鳴を上げ始めていて」
クーリエが、声のトーンを落としました。
「魔物の異常発生が、各地で起きています。植物が枯れたり、井戸が涸れたりしている地域も出てきていて。これが2〜3年続いています」
わたくしは一口、紅茶を飲みました。
2〜3年。
旅の道中で見た草原に、所々、妙に草の薄い区画がございましたの。気のせいかと思いましたが、そういうことでございましたか。
「その間、誰も抑えていないのですか?」
「……一人だけ、います」
「どなたですの?」
「魔王のセバスチャンです。天界から覗き石で見ていたんですけど——」
クーリエが、少し言葉を探すような間を置きました。
「……なんか、ずっと、ぼろぼろで」
「ぼろぼろ、というのは?」
「魔族や魔物の凶暴化をなだめ続けているんです。1人で。ずっと。補充が追いつかない状態で、それでも止め続けていて」
「なぜ止め続けているのですか?」
「止めなければ、世界が先に終わるから、だと思います。選ばれたくなかった人なのに」
わたくしはカップをソーサーに戻しました。
「選ばれたくなかった?」
「魔族の中からランダムで選出されるんです。断れなくて。本人の意思とは関係なく魔王になった」
「称号を手放す方法は?」
「勇者に討伐されることだけです。自分でどうにかしようとしても、称号が別の魔族に移るだけで、世界の問題は何も解決しない」
わたくしはしばらく考えましたの。
誰かに倒してもらうことでしか終われない方が、倒しに来るはずの勇者たちの膠着のせいで2〜3年待たされ続けている。その間も、崩壊しかけている均衡を一人で抑えながら。
「セバスチャンが限界を超えた時、どうなりますの?」
「新たな魔王が別の魔族から選出されます。そうなれば、世界の崩壊は一気に加速して——もう、間に合わなくなると思います」
部屋の中が、少し静かになりましたの。
窓の外から街の喧騒が聞こえます。食事の匂い、子供の声、馬の蹄の音。旧世界と似た、穏やかな賑わい。
その土台が今、一人の消耗で辛うじて保たれている。
割に合わない役目でございますわ。
「4人の勇者の方々を、教えてくださいませ。5人目は後ほどで構いませんわ」
クーリエが、少し顔をしかめました。
「それが、その——覗き石で見ていたんですけど、なんか、みんなすごくて」
「すごくて?」
「えっと、レオガルドっていう人は、北東の方で軍を持っていて。強さ、みたいなのにものすごくこだわっていて。なんか、見ているだけで圧がありました」
「強さへの執着、ですわね。続けなさいませ」
「東にアレンっていう人がいて、技術の国で。頭が切れる感じで、なんか……世界を作り直したいって、本気で思ってるみたいで。今の世界を、欠陥品みたいに思っているっていうか」
「知性が傲慢に変わった形、ですわね」
「そう、そういう感じです。西にソフィアって人がいて。外交の国で、なんか、誰とでも仲良くするんですけど——うまく言えないんですけど、気づいたら周りの人が疲れていて。笑顔なんですけど」
「笑顔で疲弊させる、ですわね」
「そう、そういう感じです。なんか怖くて、覗き石で見てて、途中でやめました」
わたくしは少し、クーリエを見ました。
途中でやめた。それがクーリエにとっての正直な感想なのでしょう。
「4人目は?」
「南にナルバスって人がいて、宗教の国で。人を助けたいって気持ちは本物みたいで。でも、なんか、その、正しいことをしているはずなのに——見ているこっちが、息が詰まる感じがして」
「善意の強制者、ですわね。自分だけが正しいと信じている方の善意は、受け取る側には重いですわ」
「……そうかもしれないです」
「5人目の方は?」
クーリエが少し間を置きましたわ。
「北にオルフェウスって人がいて、引きこもっていて洞窟に。その人、研究するほど命が削れるらしくて、だから——なんか、死ぬのがすごく、嫌なんだと思います。冷たい人なんですけど、怖がってる感じがして」
「恐怖を冷徹さで覆っている、ですわね」
「覗き石で見ようとしたんですけど、あまり映らなくて。洞窟の奥にいるから」
わたくしはカップを持ち直して、情報を整理いたしました。
軍事・技術・外交・宗教の4人が互いを殺そうとしながら、最初の一手を誰も出せずにいる。北の魔法使いは洞窟に籠もって久しく、その場にいない。その歪みが、地面に染み込んで、世界を蝕んでいる。
「クーリエ」
「はい」
「産地の場所は把握していますか?」
クーリエが、少し間を置きました。
「産地——茶葉のですか?」
「ええ。わたくしが転生に際して要望した、例の」
「……東の山岳地帯が有望だと思います。ただ、その方向には」
「なんですの?」
「アレンの勢力圏があります」
わたくしはカップを置きました。
「なるほどですわ」
「どうしますか?」
「どうするも何も」
わたくしは少しだけ考えてから、続けましたの。
「茶葉を求めて旅をするだけでございますわ。道中に何があろうとも、それはその時に考えればよろしいでしょう」
クーリエが、何か言いかけて、止めました。
わたくしは構わずカップを傾けましたの。
「もう一杯、淹れてくださいませ」
「え、わたしが、ですか?」
「メイドの仕事でございますわ」
「でもまだ習いたての」
「練習あるのみですわ」
クーリエが、覚悟を決めた顔で銀のティーポットを手に取りました。
真剣な顔でお湯の温度を確かめて、茶葉の量を数えて、蒸らし時間を口の中で呟きながら数えております。
3分後。
差し出されたカップの中身は、少々蒸らしすぎた、渋みの強いベルガリア茶でございました。
「……いかがですか?」
クーリエが、おそるおそる聞いてきます。
わたくしは一口飲んで、少しだけ考えてから、答えましたの。
「蒸らしすぎですわ。30秒早く出すといたしましょう」
「……合格じゃないですか?」
「不合格でございますわ」
「厳しい」
「紅茶に甘えは禁物でございますの」
クーリエが、しょんぼりとした顔でカップを見ておりましたの。
わたくしはその渋いベルガリア茶を、最後まで飲み干しましたの。
クーリエが、まだカップを見ておりました。




