第7話 街と紅茶と
草原というのは、歩いても歩いても草原でございますわね。
地平線の向こうに山の稜線が見えて、街道が東へと伸びていて、風が草を揺らしている。それだけでございます。
わたくしとクーリエは、草原の中の街道を黙々と歩いておりました。
歩き始めて2時間ほどが経ったでしょうか。
「この世界の通貨は、旧世界と同じですの」
「あ、似た仕組みです。金貨・銀貨・銅貨の3種類で」
「街に入るには、最低限の所持金が必要ですわね」
「……そうですね」
「今、わたくしたちの所持金は」
「ゼロです」
「ゼロでございますわね」
「ゼロです」
わたくしは銀のティーポットを抱え直しました。
ゼロ。茶葉を買うにも、宿を取るにも、全てがゼロから始まりますわ。
ただ、こういう状況は、旧世界でも経験がございます。追放された日の荒野の夜がそうでございました。
何もないところから始めるのは、2度目でございますわ。
「この道中で、稼ぎますわよ」
「稼ぐ、というのは」
「魔物討伐でございますわ。討伐証明を換金すれば、当面の路銀になりますわ」
「討伐証明って何ですか」
「魔物の一部を持ち込めば、換金してもらえる仕組みが、旧世界にはございました」
「この世界にも同じ仕組みがあるかどうか、確認してないですけど」
「街に入れば確認できますわ。まず稼いでから考えましょう」
クーリエが、少し感心したような顔をしておりました。
「……手際がいいですね」
「必要なことを、必要な順番でやるだけですわ」
機会は、思ったより早く訪れました。
街道を30分ほど進んだところで、草むらの向こうから地を這うような低い唸り声が聞こえましたの。
わたくしは足を止めました。
声のした方向を確認いたします。草むらが、不自然に揺れている。風の方向とは逆でございますわ。
大型の魔物でしょうか。それとも複数の小型か。
「クーリエ」
「わかってます。3時の方向、草むらの中に2体います」
思ったより察しがよろしいですわね。
「見えますの」
「気配でわかります。天使なので」
「なるほどですわ。種別は」
「岩蜥蜴です。硬い鱗を持ってますけど、腹の下が弱点で」
「あなたが行けますの」
「もちろんです」
クーリエが、すっと前に出ました。
直前まで眠そうな顔をしていたのに、動き出した瞬間に空気が変わりましたの。足の運びが静かで、重心が低い。戦いに慣れた者の動きでございますわ。
クーリエが右手を空に向けました。
光が集まって、槍の形を作り出す。するりと手の中に収まった光の槍を、クーリエは草むらに向かって真っすぐに投げました。
鈍い音がして、草むらが静かになりましたの。
1体。
でも2体と申しておりましたわね。
残り1体が草むらから飛び出してきました。鱗に覆われた、犬ほどの大きさの蜥蜴でございます。四つ足で地を蹴って、クーリエに向かって突進してきます。
クーリエは避けませんでした。
右手に、今度は光を束ねてハンマーの形を作り出して、突進してきた蜥蜴の頭を真上から叩きつけましたの。
ごん、という重い音がして、岩蜥蜴が地面に沈みました。
クーリエが、ハンマーを消しながら振り返りました。
「終わりました」
「……なるほどですわ」
わたくしはその一部始終を眺めておりました。
光の槍は遠距離に正確。光のハンマーは近距離に確実。どちらも無駄がない。
ただ。
「クーリエ」
「はい」
「光の槍の方が、効率よかったのではございませんか」
「え」
「近づいてくる相手に対して、もう一本槍を投げれば済んだでしょう。なぜハンマーを使いましたの」
クーリエが、少し間を置きました。
「……ハンマーが好きなので」
「それだけですの」
「それだけです」
わたくしはしばらくクーリエを見てから、銀のティーポットを抱え直しましたの。
「……まあ、よろしいですわ。好きな武器を使うのは、悪いことではございませんもの」
「ありがとうございます」
「ただ、効率が落ちる場面では槍を使いなさいませ」
「わかりました」
「約束ですわよ」
「……約束します」
クーリエが、少し複雑な表情をしておりました。
ハンマーへの愛着が、かなり深いようでございますわ。理由は聞きませんでしたけれど、それはいつか話してくれるでしょう。
岩蜥蜴の証明として、鱗を数枚剥がしておきました。
この世界に換金の仕組みがあれば、路銀になります。なければ、別の使い道を考えますわ。
歩きながら、クーリエが言いました。
「クラリッサさまは、魔法を使わなかったんですね」
「クーリエだけで十分でしたもの。わたくしが出る幕ではございませんでしたわ」
「でも、手伝おうとも思わなかったんですか」
「観察しておりましたわ」
「観察」
「あなたの戦い方を把握する方が、今後の連携に役立ちますもの。初めて組む相手を、何もわからないまま信頼するのは、優雅ではございませんわ」
クーリエが、少し考えるような顔をしました。
「……じゃあ、クラリッサさまの魔法も、わたしに見せてもらえますか」
「機会があればそのうちですわ」
「観察したいので」
「同じことを考えているのですわね」
「……似た者同士ですかね」
「脳筋と戦略家が、似た者同士とは言いませんわ」
クーリエが、む、という顔をしておりました。
「脳筋って言葉、もう定着してますね」
「的確な表現ですわ」
「否定できないのが悔しいです」
「ならば次の戦闘では、槍を使いなさいませ。効率を証明してみせれば、見直して差し上げますわ」
「……わかりました。やります」
「よろしい」
街が見えてきたのは、それからさらに2時間ほど歩いた後のことでございました。
城壁に囲まれた、こぢんまりとした街でございます。
旧世界で見慣れた風景によく似ていて、石畳の道に木造の建物が並び、城門の前には衛兵が立っておりました。
城門をくぐる前に、わたくしは立ち止まりました。
「翼を隠してくださいませ」
「あ、そうですね」
クーリエが軽く目を閉じると、白い翼がすっと消えました。翼のない、ごく普通の白銀髪の少女でございます。
「上手いものですわね」
「慣れてますので」
「では参りますわよ」
城門をくぐって、街に入りました。
人々の声、食べ物の匂い、馬の蹄の音。旧世界とよく似た賑わいでございます。
わたくしはまず、衛兵に声をかけて、討伐証明の換金ができる場所を聞きました。衛兵は快く教えてくれましたの。換金の仕組みは、この世界にも存在しておりました。
よかったですわ。
換金所で岩蜥蜴の鱗を換金しますと、銅貨が10枚になりました。
「これで、宿と食事と」
わたくしは銅貨を数えながら、路地の向こうを見ましたの。
香辛料を扱う商人の棚に、見覚えのある茶葉の袋が並んでおりました。
ベルガリア。柑橘の香りがする茶葉でございます。
「……ありましたわ」
思わず、足が動いておりましたの。
「クラリッサさま、どこに」
「茶葉でございますわ」
「え、お金が」
「茶葉が最優先でございますわ」
「宿より先ですか」
「当然でございますわ」
クーリエが、半歩遅れてわたくしの後をついてきました。
わたくしはベルガリアの袋を手に取って、封を少し開けて、香りを確かめましたの。
柑橘の、爽やかな香りでございます。
ロイヤル・アールグレイ・プレミアム・オブ・サンライズには遠く及びませんけれど。
「及第点ですわ」
「茶葉に及第点を出すんですね」
「当然ですわ。買う前に確認するのは基本でございます」
わたくしは茶葉を購入いたしました。銅貨が3枚減りましたの。
残り7枚。宿代と食事代には、少し足りないかもしれませんわね。
「もう少し稼いでから宿を取りますわよ」
「……また魔物ですか?」
「何か問題がございますの?」
「ないですけど」
「では参りますわよ」
クーリエが、苦笑いをしながら頷きました。
わたくしたちは来た道を戻りましたの。城門をくぐって、街道に出ます。
草むらの向こうから、またいくつか気配がございました。
「クーリエ」
「3体います。さっきと同じ岩蜥蜴です」
「お願いしますわ」
「……槍で行きます」
クーリエが前に出ました。今度は光の槍を3本、立て続けに草むらへ投げましたの。鈍い音が3つ。草むらが静かになりました。
「どうですの?」
「……全部、槍でした」
「よろしい」
鱗を剥がして、再び換金所へ。銅貨が8枚増えましたの。
残り15枚。これならば、十分でございますわ。
「では、宿を探しますわよ」
「今度こそですね」
「最初からそのつもりでございましたわ」
「茶葉が最優先だったじゃないですか」
「優先順位の話でございますわ。宿を諦めたわけではございませんもの」
クーリエが、何か言いたそうな顔をしておりましたけれど、黙って頷きましたの。
わたくしはベルガリアの茶葉を抱えて、宿を探して歩き始めましたの。
旅の初日にしては、悪くない滑り出しでございますわ。
茶葉も手に入りました。
あとは、お湯さえあれば。
「宿に着いたら、すぐにお湯を頼んでくださいませ」
「紅茶ですか」
「一日の締めくくりには、紅茶が必要ですわ」
「……わかりました」
「それと」
「なんですか」
「淹れるのは、あなたでございますわよ」
クーリエが、覚悟を決めた顔をしておりました。
メイドの修行は、初日から始まりますの。
部屋に荷物を置いてから、わたくしはすぐに宿の女将を呼びましたの。
「洗濯をお願いできますの。替えがございませんので、今夜中に乾かしていただけますか」
女将が、わたくしの着ているドレスを見て、少し目を細めましたの。
「……お嬢さん、それ、ずっと着ていたんですか」
「旅に出てから、着たきりでございますわ」
「何日くらい」
「数えておりませんわ」
女将が、少し気の毒そうな顔をしておりましたの。
「わかりました。今夜中に仕上げます。その間、何かお召し物は」
「クーリエ、あなたの上着を少々お借りしてもよろしいですか」
クーリエが、着ていた上着を脱ぎながら言いましたの。
「……もっと早く言えばよかったじゃないですか」
「言う機会がございませんでしたわ」
「草原を歩いている間とか」
「歩きながら洗濯はできませんわ」
「それはそうですけど」
女将が、クーリエとわたくしを交互に見ながら、苦笑いをしておりましたの。
その夜、わたくしはクーリエの上着を羽織りました。
サイズが合っておりませんでしたけれど、温かうございましたわ。




