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第6話 紅茶と天使の主従契約(暫定)

草原を歩き始めてしばらく経ったところで、わたくしはクーリエに向かって口を開きましたの。


「歩きながら、主従関係の細目を確認いたしますわよ」


「さいもく……細かい取り決めですか?」


「ええ。後で齟齬が生じないように、今のうちに整理しておきますの」



 クーリエが、歩きながら少し緊張した様子で背筋を伸ばしました。


「わかりました」


「まず確認ですが、あなたはわたくしのメイドでございますわ」


「それなんですけど」


「なんですの?」


「改めて聞いてもいいですか。なんでメイドなんですか?」


 わたくしはクーリエを静かに見つめました。



「わたくしに同行する義務がある。わたくしを補佐する立場にある。わたくしの指示に従う必要がある。これを整理すれば、メイドという表現が最も適切でしょう」


「……それ、全部その通りなんですけど」


「ですわね」


「でも、メイドって言葉はおかしくないですか?」


「どこがおかしいのですの?」


「わたし、天使なんですけど」


「翼は隠蔽できますでしょう?」


「できますけど、そういう問題じゃなくて」


「問題ございませんわ」


「問題しかないと思うんですけど」



 クーリエは力なく肩を落としました。


「……わかりました。メイドで」


「よろしい」


「メイド服は?」


「翼がございますから」


「隠蔽できます」


「今の服で構いませんわ」


「……流されました」



「では、メイドとしての職務を確認いたします」


「職務」


「最重要任務は、紅茶の確保でございますわ」



 0.5秒の沈黙。



「……紅茶が最重要なんですか?」


「ええ」


「その、役目の詳細とか、世界の事情とか、そういうのより?」


「紅茶がなければ、そちらも捗りませんの」



 クーリエが、何かを言いかけて、飲み込みました。


 わたくしは構わず続けましたの。



「紅茶に関する基準をお伝えしておきますわ」


「……はい」


「お湯の温度は95度が理想です。沸騰させてから少し冷ます手順を覚えてくださいませ」


「95度……どうやって確認するんですか?」


「沸騰した後、30秒ほど待てば概ね適温になりますわ。慣れれば湯気の立ち方で判断できますの」


「湯気の立ち方で?」


「ええ。強く立ち上るうちはまだ高い。細く揺らぐようになったら頃合いですわ」



 クーリエが、真剣な顔で空を見上げておりました。湯気を思い浮かべているのでしょうか。



「……覚えます」



「よろしい。次に蒸らし時間ですわ。茶葉によって異なりますが、基本は3分でございます」


「3分」


「短いと抽出が甘い。長いと渋みが出過ぎます。3分は厳守でございますわ」


「時計がない場合は?」


「心の中で数えなさいませ」


「……心の中で180秒数えるんですか?」


「そういうことになりますわね」



 クーリエが、遠い目をしながら草原を歩いておりました。



「次にカップの予熱ですわ。お湯を少量注いで、カップを温めてから捨てる。冷たいカップに注ぐと、せっかくの温度が台無しになりますの」


「捨てる、というのは少しもったいない気がします」


「お湯を惜しんで紅茶を台無しにする方が、よほどもったいないですわ」


「……それはそうですね」


「最後に茶葉の量ですわ。カップ1杯につき小さじ1杯が基準ですけれど、茶葉の種類や好みによって調整が必要で」



「ちょ、ちょっと待ってください」


 クーリエが、歩きながら両手を前に出しました。



「今、何個言いましたか?」


「4つでございますわ。お湯の温度・蒸らし時間・カップの予熱・茶葉の量」


「全部覚えないといけないですか?」


「最重要任務ですのに、覚えなくてよいとお思いですか?」


「覚えます。覚えますけど……一つ聞いていいですか?」


「なんですの?」


「紅茶って、そんなに難しいんですか?」



 わたくしは少し考えてから、答えましたの。



「難しくはございませんわ」


「よかった」


「奥深いのでございますわ」


「……それ、難しいってことじゃないですか」


「難しいのとは違いますわ。手順は単純でございます。ただ、その単純な手順の中に、無限の追求がございますの」


「無限」


「お湯の温度が1度違えば、風味が変わる。蒸らし時間が10秒違えば、味が変わる。同じ茶葉でも、季節や天候によって最適な淹れ方が変わりますわ」


 クーリエが、みるみる遠い目になっていきました。


「……正式契約、いつになるんでしょう?」


「努力次第ですわ」



 しばらく沈黙が続きましたの。


 クーリエが草原を眺めながら、先ほどの4つの項目を口の中で繰り返しているのが見えましたわ。健気でございますわね。


 やがてクーリエが、少し別の話題を切り出しましたの。



「……あの、一つ聞いていいですか?」


「なんですの」


「クラリッサさまって、戦闘の指揮はどうするつもりですか」



 わたくしは少し考えました。



「あなたの能力を確認してからでございますわ。まだ実際に見ておりませんもの」


「一応、説明しますね。光の槍は遠くまで届きます。光のハンマーは近距離特化で、当たればかなり吹き飛びます。光の壁は防御用です」


「なるほど」



 わたくしは頭の中で整理いたしましたの。


 遠距離はわたくしの魔法と光の槍で。近距離の押し込みにはハンマー。盾が必要な場面は光の壁。組み合わせれば悪くない布陣でございますわ。



「戦闘時はわたくしの指示に従ってくださいませ」


「戦闘のことなら、わたしの方が経験は」


「クーリエ」


「は、はい」


「あなたは脳筋でしょう」



 クーリエが、微妙な顔をしました。



「……脳筋って言葉、どこで覚えたんですか?」


「旧世界にも似たような概念がございましたの。剛力一辺倒の騎士のことを、そう呼んでいて」


「わたし、一応天使なんですけど」


「戦闘は優秀。判断は粗い。それが脳筋の定義ですわ。当てはまりますでしょう?」


「…………」


「異論はございますか?」



 クーリエはしばらく宙を見つめながら歩いて、それから静かに言いました。



「……ないです」


「では戦略判断はわたくしが担います。あなたは指示された方向に全力を尽くしてくださいませ」


「それは、得意です」


「存じておりますわ」



 クーリエが、今度は少し嬉しそうな顔をしておりました。


 褒められたと思っているのでしょうか。


 まあ、褒めておりますわ。得意なことを得意と認めるのは、正当な評価でございますもの。



「一つ、提案がございますわ」


「提案、ですか?」


「この旅の中で、わたくしの魔法を全て見ておきなさいませ。あなたがわたくしの戦い方を把握しておけば、連携の精度が上がりますわ」


「それはもちろんですけど……クラリッサさまもわたしの戦い方を把握したいということですか?」


「当然ですわ。戦場で初めて知る、では遅いですもの」



 クーリエが、少し驚いたような顔をしておりました。



「……なんか、思ったより真剣に考えてますね」


「紅茶と戦闘は、どちらも手を抜けませんわ」


「その並びは毎回引っかかるんですけど」


「何がですの?」


「紅茶と戦闘を同列に置くのが、引っかかります」


「わたくしの中では同列でございますわ」


「……クラリッサさまの中ではそうなんですね?」


「ええ。どちらも真剣に取り組むべきことでございますわ」



 クーリエが、なんとも言えない顔で前を向きました。


 引っかかっているけれど、言い返せない。そういう顔でございますわ。


 よろしいですわ。正しいことを言っているのですもの。



「クーリエ」


「はい」


「この契約は、暫定でございますわ」


「暫定」


「正式な契約は、紅茶を一杯、あなたが満足に淹れられるようになった時点で結びましょう」



 クーリエが、歩きながらぽかんとした顔をしました。



「……それって、いつになるかわからないですよね?」


「あなたの努力次第ですわ」


「紅茶を淹れられるようになったら正式にメイド契約ってことですか?」


「ええ」


「ということは、紅茶を淹れられるようになりたくなければ、ずっと」


「クーリエ」



 わたくしは静かに、でもはっきりと申しましたの。



「今の発言は、聞こえませんでしたわ」


「……取り消します」


「よろしい」



 クーリエが、力なく肩を落としました。


 でも顔は、不思議と明るうございましたの。覚悟が決まった顔、とでも申しましょうか。


 諦めではなく、受け入れた顔でございますわ。



 風が吹いて、わたくしの黒髪が揺れました。


 草原の向こうに、山の稜線が見えます。


 クーリエがぽつりと言いました。


「……4つ、全部覚えました」


「どの4つですの?」


「お湯の温度・蒸らし時間・カップの予熱・茶葉の量です」



 歩き始めてからそれほど経っておりませんのに。


 わたくしは少しだけ、クーリエを見直しましたの。覚えが早いのは素質でございますわ。

問題は、知識を実践に移せるかどうかでございますけれど。


「よろしいですわ。では次は実践ですわね」


「街に着いたら、やらせてもらえますか?」


「もちろんでございますわ。失敗しても構いません」


「……合格するまで何度でもやります」


「それでよろしいですわ」



 クーリエが、少し嬉しそうな顔をしておりました。


 主従契約は、まだ暫定でございます。


 でも暫定というのは、いつか正式になる可能性がある、ということでもございますわ。


 それを口にはしませんでしたけれど。


 わたくしは前を向いたまま、ほんの少しだけ、口元を緩めましたの。

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