表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第2話 荒野と魔物とティータイム

荒野というのは、歩いても歩いても荒野でございますわね。


 地平線まで続く赤茶けた大地に、膝丈ほどの枯れ草が風に揺れている。空は高く、雲は少なく、太陽だけが容赦なく照りつけております。


 城門を出てから、4時間は歩いたでしょうか。


 わたくしは足を止めて、後ろを振り返りましたの。


 街の城壁が、もう豆粒ほどの大きさになっておりました。


 ヴァルシュタイン領も、こんな荒野でございます。公爵家の子として生まれ、17年間、あの領地で育ちましたの。荒野は見慣れておりますわ。


 ただ、人と歩く荒野と、1人で歩く荒野は、随分と違うものでございますわね。


 わたくしは前を向いて、歩き続けましたの。



 日が傾き始めた頃に、岩場を見つけました。


 風を遮れる大きな岩が、ちょうど半円を描くように並んでいる。野営に適した地形でございますわ。


 枯れ草と小石を集めて、焚き火の準備をいたします。


 火魔法で点火する前に、少し考えましたの。


 魔力は有限でございます。荒野がいつまで続くかわからない以上、戦闘以外での魔力消費は最小限に抑えるべきでしょう。


 ただ。


「……焚き火くらいは、よろしいですわね」


 わたくしは指先に小さな炎を灯して、枯れ草に移しましたの。


 ぱちぱちと音を立てて、炎が広がっていきます。


 焚き火というのは、不思議なものでございますわ。揺れる炎を見ているだけで、少し落ち着いてくる。


公爵家の暖炉とは比べるべくもありませんけれど、暗い荒野では十分な温かさでございますわ。


 次に、水の確保でございます。


 岩場の陰に、小さな水溜まりがございました。雨水が溜まったものでしょうか。透明度は低い。飲めるかどうか、確認が必要ですわ。


 水溜まりに指を浸して、少量の魔力を流しましたの。


 水の中に毒素がないかを確かめる、初歩的な魔法でございます。野外での毒見は基本でございますわ。



 問題ございませんわ。



 風魔法そよ風で土埃を取り除き、火魔法で沸騰させてから、銀のティーポットに注ぎます。


 お湯でございます。


 あとは茶葉さえあれば。


「……茶葉がございませんわね」


 わたくしは空の銀のティーポットを、焚き火の傍に置きましたの。


 追放の際に荷物として持ち出せたのは、ドレスと、この銀のティーポットだけでございました。茶葉は、没収された財産の中に含まれていた。


 理不尽な話でございますわ。


 ただ、理不尽を嘆く暇があれば、次の一手を考える方が有意義でございますもの。


 わたくしはお湯だけを一口飲んで、焚き火を見つめましたの。



 夜になりました。


 荒野の夜空は、どの夜空よりも星が多うございました。


 公爵家の屋敷には、天体観測用の塔がございましたの。幼い頃、父と一緒に登って、星の名前を教えてもらいましたわ。


 あの塔も、今はもう、わたくしのものではございませんわね。


 わたくしは膝を抱えて、星空を眺めましたの。


 17年間、何かと戦い続けてきた気がいたします。


 貴族社会の礼儀。社交界の思惑。婚約者の機嫌。家の面子。そして、最後の追放まで。


 戦い続けて、それでも、誰にも「よくやった」と言ってもらえませんでしたの。


 寂しい、と思ったのは、この時が初めてでございましたわ。


 焚き火が、ぱちりと音を立てました。


 わたくしは少しの間、その音を聞いてから、静かに息を吐きましたの。


「……済んだことでございますわ」


 前を向かなければなりませんわ。


 今のわたくしには、銀のティーポットがある。魔法がある。17年間で磨いた経験がある。


 茶葉がないことを除けば、十分な装備でございますわ。


 わたくしは岩に背を預けて、目を閉じましたの。


 明日も、歩き続けますわ。



 眠りに落ちる直前でございました。


 気配を、感じましたの。


 わたくしは目を開けずに、意識だけを鋭くしました。


 南の方角。複数。移動速度から察するに、四足歩行の魔物でしょうか。


 1体。2体。3体。


 それ以上は、確認できませんでしたの。


 わたくしは静かに立ち上がって、魔力を指先に集めましたの。


 焚き火の光の届く範囲で迎え撃つ。有利な地形は岩場の背後。逃げ道は北の方角。


 段取りを決めましたわ。


 枯れ草が、ざわりと揺れましたの。



 最初に飛び出してきたのは、狼に似た魔物でございました。


 4本足で地を蹴って、まっすぐわたくしに向かってくる。鱗のような硬い皮膚に覆われていて、口元から牙が覗いておりますわ。


「フレアアロー」


 詠唱なしで、右手から3本の火の矢を放ちましたの。


 魔物の肩に刺さって、炎が広がります。


「バースト」


 一拍置いて、爆発させましたの。


 魔物が吹き飛んで、地面に転がりました。立ち上がろうとしておりますわ。頑丈でございますわね。


 2体目が左から。3体目が右から。同時に来ましたの。


 わたくしは後ろへ一歩下がって、岩を背にしましたの。これ以上は下がれませんわ。


「エアープレス」


 左の魔物に向かって、圧縮した風を叩きつけましたの。魔物が横に飛んで、岩にぶつかりましたの。


 右の魔物が、もう目の前でございます。


 わたくしはドレスの裾を軽く捌いて、右足を引きましたの。


 侯爵家護身術・風花の型(ただの蹴り上げ)。


 魔物が飛びかかってきた瞬間、体を半歩ずらして、顎の下へ蹴り上げましたの。


 魔物が宙を舞って、地面に落ちましたわ。


 最初に吹き飛んだ1体目が、まだ動いております。延焼ダメージが足りませんでしたわね。


「フルバースト」


 残っていたフレアアローを、全て同時に爆発させましたの。


 炎が広がって、荒野の夜が一瞬だけ昼のように明るくなりましたわ。


 静寂が、戻りましたの。



 3体、全て沈黙でございます。


 わたくしは乱れたドレスの裾を整えながら、戦闘後の状況を確認いたしましたの。


 魔力消費は想定の範囲内。怪我はなし。銀のティーポットは無事。


 最後の確認が最も重要でございますわ。


 わたくしは岩場に戻って、銀のティーポットを手に取りましたの。


 傷一つございません。


「よろしいですわ」


 焚き火に戻って、再び岩に背を預けましたの。


 この荒野では、夜の間も油断できない。眠るとすれば、浅く、短く。


 わたくしは目を細めながら、炎を見つめましたの。


 3体の魔物を倒せた。それは収穫でございますわ。ただ、荒野の魔物は群れで行動することが多い。

仲間の気配を察して、より多くの数で来る可能性も考えておかなければなりませんわね。


 可能性を考えるのは、悲観ではございません。


 準備でございますわ。



 夜が明けるまでに、あと2回、魔物が来ましたの。


 2回目は2体。3回目は単体でございました。


 全て、フレアアローとエアープレスの組み合わせで対処いたしましたの。接近を許す前に仕留める。それが魔力消費を抑える最善の方法でございますわ。


 夜明けとともに、荒野が静かになりました。


 朝の光が、東の地平線から差し込んでまいります。赤茶けた大地が、朝陽に染まって、少しだけ違う色に見えましたの。


 ヴァルシュタイン領も、朝は綺麗でございましたわ。荒野でも、夜明けだけは美しい。


 わたくしは残ったお湯を温め直して、銀のティーポットに注ぎましたの。


 茶葉はございません。


 お湯だけでございますわ。


 一口飲んで、朝の空気を吸いましたの。


 温かいお湯は、温かいお湯でございます。紅茶ではございませんけれど、体が温まりますわ。


「……及第点以下ですわね」


 でも飲み干す。


 それがわたくしの流儀でございますわ。


出発する前に、ドレスの状態を確認いたしましたの。


 昨夜の戦闘で、裾に泥が跳ねております。袖口にも、魔物の体液らしき汚れが少々。


 わたくしは溜まった水を少量すくって、汚れた箇所を手でこすりましたの。完全には落ちませんわ。ただ、放置するよりはましでございますわ。


 風魔法で水気を飛ばして、仕上げに埃を払いましたの。


「……これも及第点以下ですわね」


 でも今は、これが限界でございますわ。


 追放の際に持ち出せたのはこの一着だけでございますもの。大切に使わなければなりませんわ。


 さて、出発いたしましょう。


 この荒野の先に、山があります。山を越えれば、街があるはずでございますわ。


 街には、茶葉があるはずでございます。


 わたくしは銀のティーポットを抱えて、立ち上がりましたの。


 ドレスの土埃を払って、北の方角を向く。


 歩き始めると、背後から風が吹いて、わたくしの黒髪を前へと押しましたの。


 まるで、背中を押してくれているようでございますわ。


 誰かに「よくやった」と言ってもらえなかったとしても。


 わたくしは銀のティーポットを抱えて、立ち上がりましたの。


 朝の光が、ティーポットの表面に細く反射しておりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ