第62話:白龍帝の誓い、慈母皇后の誕生
第62話:白龍帝の誓い、慈母皇后の誕生
白龍王朝の初代皇帝「白龍帝」として即位した的斗は、休む間もなく新たな国づくりに着手した。だが、その前に、彼にはどうしても果たさなければならない、一人の男としての、そしてこの世界で生きる意味そのものとなった、大切な誓いがあった。
王朝樹立の儀式から数日後の、月の美しい夜。
的斗は、あの洛陽の庭園を模して造らせた宮中の一角に、貂蝉を招いた。琴の音色が静かに流れる中、的斗は彼女の前に進み出て、深く、そして真摯に膝をついた。
「貂蝉さん…」
的斗の声は、数多の軍勢を前にした時とは違い、少しだけ震えていた。
「俺が故郷を離れ、この乱世に身を投じた時…正直、右も左も分からず、ただ自分の無力さに絶望しかけそうになることもあった。そんな時、洛陽で出会ったあなたの姿が、俺の行く道を照らす最初の光になったんだ」
彼は、彼女の手をそっと取った。
「あなたは、ただ美しいだけの女性ではなかった。連環の計の中、国のために我が身を犠牲にしようとするその覚悟に、俺は心を打たれた。長安の炎の中、何としてもあなたを守り抜くことだけを考えた。そして、どんなに苦しい時も、あなたが傍にいてくれたから、俺は心を失わずにいられた。あなたは、いつだって俺の道標であり、俺の力の源だったんだ」
貂蝉の大きな瞳から、涙が静かにこぼれ落ちる。
「子龍様…」
「だから、聞いてほしい。これからは、白龍帝としてじゃない。一人の男、趙雲子龍として…俺の、生涯の伴侶になってください。俺の妻として、これからの人生を、共に歩んではくれませんか」
それは、不器用で、しかし心の底からのプロポーズだった。
貂蝉は、涙で濡れた顔を隠すことなく、これまでで一番美しい笑顔で、力強く頷いた。
「はい…!喜んで…!あなた様と出会えたことこそが、私の生涯最大の幸福です。どこまでも、あなた様と共にあらせてください…」
二人は、言葉にならない想いを胸に、月明かりの下で固く抱きしめ合った。時空を超えて結ばれた二つの魂が、ついに一つになった瞬間だった。
その簡素ながらも心温まる婚儀の儀には、ごく僅かな者だけが招かれた。
その中には、白龍軍の最初からの仲間である、周倉、廖化、裴元紹の姿もあった。
「いやあ、めでてえ!実にめでてえぜ、趙雲様!」
周倉は、豪快に笑いながら、その目には涙を浮かべていた。「俺たちが山賊やってた頃には、こんな日が来るなんて夢にも思わなかったぜ…!あんたについてきて、本当によかった!」
「趙雲様、貂蝉様、誠におめでとうございます」廖化は、深く頭を下げた。「お二人の姿は、まさにこの新しい国の光そのものですな」
「趙雲様、貂蝉様!末永くお幸せに!」裴元紹も、心からの笑顔で二人を祝福した。
古参の仲間たちの温かい祝福に包まれ、的斗と貂蝉は、夫婦として、そしてこの国の父と母として、新たな一歩を踏み出した。
その皇后となった貂蝉もまた、ただ後宮に座しているだけの存在ではなかった。彼女は、的斗の許可を得て「慈愛宮」と名付けた施設を宮城の一角に設立し、自らその運営の先頭に立った。
慈愛宮では、戦災孤児たちを保護し、彼らに温かい食事と寝床、そして教育の機会を与えた。また、生活に困窮する老人たちのためには養老院を設け、貧しい民には食料や薬を配給した。それだけでなく、貂蝉は女性たちの地位向上にも心を砕き、読み書きや礼儀作法、さらには簡単な医術や薬草の知識を教える学堂を開いた。
その美しさだけでなく、深い慈愛に満ちた皇后の活動は、瞬く間に民衆の間に広まり、彼女は「慈母皇后」として、白龍帝と並び称されるほどの敬愛を集めるようになった。彼女の姿は、他の貴族の夫人たちにも大きな影響を与え、各地で慈善活動や相互扶助の輪が広がるきっかけともなった。
的斗は、そんな貂蝉の活動を心から誇りに思い、全面的に支援した。彼女の存在は、的斗の「仁政」を、より温かく、そして血の通ったものにしていたのだ。
一方、的斗自身も、軍師たちと共に具体的な改革を次々と推し進めていた。
法正は、その明晰な頭脳と厳格な性格で、「白龍律」と名付けられた新たな法典の編纂を主導した。それは、従来の複雑で身分によって適用の異なる法とは一線を画し、万人に公平で、分かりやすい言葉で記された、まさに法治国家の礎となるものだった。
徐庶は、宰相として内政全般を統括し、特に官僚制度の改革に辣腕を振るった。家柄やコネではなく、公平な試験によって官吏を選抜する「科挙」制度を本格的に導入し、これにより、貧しい家の出でも才能と努力次第で国の要職に就ける道が開かれた。行政の効率化も図られ、国政は目に見えてスムーズに運営されるようになっていった。
陳宮は、その卓越した戦略眼を、今度は国の経済発展へと向けた。大規模な灌漑事業の計画を立案し、新しい農具や農法の導入を奨励。さらに、商業の自由化を推し進め、国内の市場を活性化させるための様々な政策を打ち出した。
ある晴れた日、的斗と貂蝉は、ごく僅かな供だけを連れ、お忍びで都の市井を視察に出かけた。そこで彼らが見たのは、以前の洛陽や長安の荒廃ぶりとは全く異なる、活気に満ちた光景だった。
市場には品物が溢れ、人々の顔には笑顔が戻り、子供たちが元気に走り回っている。新しく開かれた学堂からは、子供たちが文字を学ぶ声が聞こえてくる。農地では、新しい農具を使った農夫たちが、楽しそうに汗を流していた。
「見てごらん、貂蝉。これが、俺たちが夢見た景色だ…」
的斗は、感慨深げに呟いた。
貂蝉は、その言葉に涙を浮かべながら、的斗の腕にそっと自分の腕を絡めた。
「はい、子龍様…本当に、美しい…これも全て、あなた様と、そして皆の努力のおかげですわ」
「いや、まだまだだ。まだ道半ばだよ。でも、こうして民の笑顔を見られると、本当に嬉しいな」
二人は、自分たちの政策が、実際に民の生活を少しずつではあるが良い方向に変えつつあることを実感し、大きな手応えを感じていた。しかし同時に、まだ解決すべき課題や、新たに見えてきた問題点も認識し、さらなる改革への意欲を新たにするのだった。
そして、的斗の「龍の力」は、もはや戦いのためのものではなくなっていた。彼が大規模な灌漑事業の起工式に臨んだ際には、長らく日照りが続いていたその地に、まるで彼の祈りに応えるかのように恵みの雨が降り注いだという。また、干ばつに苦しむ地域を視察した際には、彼が手を触れた枯れ井戸から、再び清水が湧き出したという伝説も生まれた。
人々は、それを白龍帝の「徳」と「民を思う心」が天に通じた奇跡として語り継ぎ、彼の治世への信頼と敬愛をますます深めていった。的斗の力は、武力ではなく、民に恵みをもたらす、平和の象徴へと昇華されつつあったのだ。
白龍王朝の礎は、こうして着実に、そして力強く築かれていった。