第53話:張飛、魂の咆哮! 一騎打ちと認め合う武、そして劉備の面影
第53話:張飛、魂の咆哮! 一騎打ちと認め合う武、そして劉備の面影
廖化を通じて関羽・張飛との会見の約束を取り付けた的斗は、護衛として太史慈と廖化だけを伴い、指定された漢中の山中深くへと馬を進めていた。森の空気が、不意に重くなったのを肌で感じた。鳥の声が止み、風が木の葉を揺らす音だけが耳につく。
「待ちかねたぜ、趙子龍!!」
咆哮は、音というより衝撃波だった。岩陰から躍り出た巨漢の姿に、的斗の馬が怯えて嘶く。豹の眼光、虎の髭。その手に握られた丈八蛇矛の異様な存在感が、周囲の空間を歪ませているかのようだ。張飛益徳。その名は、的斗が知るどの情報よりも、目の前の現実の方が遥かに恐ろしかった。
「邪魔だ、雑魚は引っ込んでろ!」
太史慈たちが構えるより早く、張飛は動いた。いや、動いたと認識した時には、既に的斗の目前にいた。地を蹴る轟音と、巻き上がる土煙。的斗は咄嗟に槍を構える。
「俺の用は、そこの趙子龍だけだ!」
言葉と同時に、蛇矛が放たれる。風を切る音ではない。空気を引き裂き、空間そのものを抉り取るような、凶悪なまでの質量を持った一撃。的斗はそれを槍の柄で受け流すが、腕に走る痺れは骨の髄まで達した。馬上で体勢を崩しかけた的斗の首筋を、返す刃が蛇のように狙う。
(速い!そして、重い…!)
的斗は、全身のバネを使って後方へ跳び、辛うじてそれを回避する。頬を掠めた刃が、熱を持ったようにヒリついた。
張飛の猛攻は、嵐そのものだった。突き、薙ぎ、払い、叩きつける。その全てが必殺の一撃。理屈ではない。獣が獲物を狩る本能のままに、最適な攻撃を最短距離で繰り出してくる。的斗は、趙雲としての身体能力と、「龍の眼」を極限まで集中させて、その死の嵐の中をかいくぐり続けた。
槍と蛇矛が交錯するたびに、甲高い金属音が谷間に木霊し、火花が闇に散る。馬の蹄が大地を削り、二人の息遣いだけが、異様なほど鮮明に聞こえた。
(こいつ…動きが読めない…!?)
「龍の眼」は、相手の筋肉の動きや気の流れを捉える。だが、張飛の動きには「予備動作」という概念が存在しないかのようだった。思考と行動が直結している。獣の直感が、的斗の予測を常にコンマ数秒、上回ってくる。
一瞬の静寂。互いに間合いを取り、呼吸を整える。張飛の巨躯から立ち上る湯気と、荒い息。その豹のような瞳が、面白そうに細められた。
「はっ…!なるほどな、趙子龍!てめえ、ただの槍働きじゃねえ。俺の動きを『見て』やがるな?」
見抜かれている。的斗の背筋を、冷たい汗が伝った。
「だがな、見えてるからって、避けられると思うなよ!」
再び、張飛が動く。今度は直線的な突撃ではない。馬を巧みに操り、不規則なステップで的斗を幻惑する。蛇矛の先端が、まるで意思を持った生き物のように、上下左右から襲いかかってきた。
的斗は、もはや思考を放棄した。ただ、生き残るためだけに、身体が最適解を導き出す。剣道で培った体捌き、趙雲の身体に染みついた槍術、そして「龍の眼」から流れ込む膨大な情報。その全てが渾然一体となり、彼の槍を動かしていた。
(ここだ!)
張飛が大きく踏み込み、蛇矛を振りかぶった瞬間。ほんの一瞬だけ生まれた、懐の隙間。的斗の槍が、閃光のようにそこを突いた。
しかし、それは張飛の罠だった。
「もらったぜ!」
張飛は、わざと隙を見せて的斗を誘い込み、強引に体勢を捻ってカウンターの石突きを繰り出してきた。的斗の脇腹に、鎧を砕くほどの衝撃が走る。
「ぐっ…!」
激痛に顔を歪める的斗。だが、彼の槍もまた、張飛の肩を浅く切り裂いていた。互いに、血の匂いが鼻をつく。
「てめえ…やるじゃねえか…!」
張飛の顔には、もはや苛立ちはなかった。強者と出会えたことへの、純粋な喜悦の笑みが浮かんでいる。
(この男…底が知れん…!だが、どこか…どこか、兄者の気配に似ていやがる…)
的斗の瞳の奥に見える、決して折れない芯の強さと、民を思う清らかな「気」。それが、張飛の心を無意識に揺さぶっていた。
互いに満身創痍。だが、闘志は衰えるどころか、ますます燃え盛る。二人が、この一撃で全てを決する覚悟で、再び構えたその時。
「そこまでだ、益徳」
凛とした声が、熱狂した戦場に冷水を浴びせたかのように響き渡った。いつの間にか、二人の間に一人の武将が静かに立っていた。
見事な美髯。緑色の戦袍。そして、その手に携えられた青龍偃月刀が、月光を吸い込んで鈍く輝いていた。
関羽雲長。その男がそこにいるだけで、戦いの次元そのものが変わったかのような、絶対的な存在感を放っていた。
張飛は、不満そうに唇を尖らせながらも、ゆっくりと蛇矛を下ろした。
「ちぇっ…兄貴かよ。こいつとの勝負、邪魔するんじゃねえよ」
関羽は、そんな弟を軽く睨みつけ、そして静かに的斗へと向き直った。
「趙子龍殿とお見受けする。益徳が、無礼を働いたようで申し訳ない」
その声は落ち着いていたが、その瞳の奥には、張飛の「武」とは異なる、より深く、重い「義」の光が宿っていた。的斗は、槍を握りしめたまま、ゴクリと唾を飲んだ。
獣との死闘は終わった。だが、本当の試練は、これから始まるのかもしれない。




