第52話:劉備の遺志と桃園の義兄弟、漢中での運命の再会
第52話:劉備の遺志と桃園の義兄弟、漢中での運命の再会
益州を平定し、その豊かな大地を完全に掌握した的斗と白龍軍。徐庶の手腕により内政は急速に安定し、法正による軍備再編も着々と進んでいた。陳宮は、次なる一手として、益州の北の守りを固め、中原への進出路を確保するために不可欠な地、漢中の攻略を進言した。
「漢中は、益州の門戸であり、中原への鍵となる戦略的要衝。ここを抑えずして、天下統一はありえません」
漢中は、現在、五斗米道という宗教組織を率いる張魯が治めている。彼は巧みに民心を掴み、独立勢力として割拠していたが、背後には曹操の影響が見え隠れしていた。その攻略は容易ではないが、的斗は陳宮の言葉に頷いた。
漢中攻略に向け、廖化の情報網がフル稼働する。そして、張魯軍の配置や兵力といった軍事情報に混じって、一つの奇妙な噂が的斗の耳に届いた。
「趙雲様。漢中の山間部で、近頃、正体不明の義勇軍の活動が活発化しているとのことにございます。その数こそ数百と少ないものの、いずれも精鋭揃い。張魯の圧政に苦しむ村々を助け、食料を分け与えるなど、民からの信頼は非常に厚いとか。その旗印は、ただ一文字『漢』とだけ…」
「『漢』の旗印…?」的斗は、その報告に興味を引かれた。
廖化は、さらに声を潜めて続けた。
「そして…その義勇軍を率いる二人の将の武勇が、まさに鬼神の如しと。一人は、見事な美髯を蓄え、青龍偃月刀を振るう大男。もう一人は、虎髭を逆立て、丈八蛇矛を操る巨漢。彼らを慕う者たちは、二人のことを『関将軍』『張将軍』と呼んでおります」
関羽雲長と張飛益徳――その名を聞いた瞬間、的斗の全身に電気が走った。
(関羽…張飛…!あの二人が、まだ戦い続けているのか…!)
「彼らの主君であった劉備玄徳様は…?」的斗が問う。
「はっ。噂によれば、数年前に曹操との戦で深く傷を負い、志半ばで無念の死を遂げられたと…。関羽、張飛両将軍は、その遺志を継ぎ、残った手勢と共に、今も漢の復興を諦めずに戦い続けておられるよしにございます」
的斗は、その報に胸を熱くした。ゲームで何度も仲間として共に戦い、物語の主人公としてその生き様に心を震わせた、あの義の化身のような英雄たち。特に、劉備の「民を思う心」、そして多くの人々を惹きつけるその「徳」の高さには、的斗自身、深い感銘と敬意を抱いていた。
(もし劉備が生きていれば、俺は彼に仕えることを選んだかもしれない…そして、関羽殿や張飛殿のような、あれほどの忠義と武勇を持つ者たちを、このまま歴史の片隅に埋もれさせてはならない…!)
的斗は、漢中攻略の軍事行動とは別に、自ら関羽・張飛と接触し、彼らを仲間に迎え入れたいと強く願うようになった。
的斗は、関羽・張飛に最大限の敬意を払い、使者として弁舌に長け、かつ誠実な人柄の廖化を再び選んだ。
「廖化、頼む。関羽殿と張飛殿に、俺の想いを伝えてきてほしい。決して無礼があってはならぬぞ。これは、軍事的な降伏勧告ではない。一人の武人として、彼らの志に共感し、共に天下泰平を目指したいという、俺からの心からの願いだ」
「ははっ!趙子龍様のお心、必ずやお二方にお伝えしてまいります」
廖化は、数人の供だけを連れ、険しい山道を超えて関羽・張飛が潜むという砦へと向かった。
その頃、漢中の山砦では、関羽と張飛が、先の見えない戦いに身を置いていた。
砦の粗末な一室で、張飛は手にした酒を苛立たしげに呷っていた。
「兄貴、いつまでこんなことを続けるんだ?兄者の『仁』の旗を守るのはいい。だが、俺たちの力だけじゃ、曹操どころか張魯一派だって追い出せやしねえ!このままじゃ、兄者の夢どころか、俺たちを信じてついてきてくれたこいつらまで犬死にさせちまう!」
その言葉は、傍らで黙って青龍偃月刀の手入れをする関羽に向けられていた。
関羽は、布で刃を拭う手を止めず、静かに答えた。
「…黙れ、益徳。兄者の遺志を、ここで絶やすわけにはいかぬ」
しかし、その声には、かつてのような力強さはなかった。
劉備は、数年前、荊州の地で曹操軍と対峙した。彼は、自らを慕ってついてきた数十万の民を見捨てることができず、彼らと共にゆっくりと南下した。そのために、曹操軍の精鋭騎馬隊に追いつかれ、長坂の地で惨敗を喫した。劉備自身もその戦で深い傷を負い、それが元で帰らぬ人となったのだ。彼の「仁徳」こそが、皮肉にもその命を縮める原因となった。
劉備を失って以来、彼らは深い失意と無力感を抱えながらも、その理想の灯を消すことなく戦い続けてきた。だが、現実は非情だった。
「兄貴だって分かってるはずだ!俺たちの戦は、もうただの自己満足じゃねえのかってな!」
張飛の叫びが、静かな室内に響く。関羽は、何も答えなかった。ただ、固く唇を結び、その長い髭を握りしめるだけだった。
趙雲子龍という新たな時代の覇者の出現は、彼らにとって、警戒すべき対象であると同時に、あるいは兄の夢を託すことができるかもしれないという、僅かな、しかし複雑な期待を抱かせるものだったのだ。
風が、漢中の険しい山々を吹き抜けていく。その風は、間もなくこの静かな山砦に、時代の大きなうねりを運んでくることをまだ誰も知らない。二人の義兄弟は、それぞれの想いを胸に、ただ静かに、若き龍の到来を待ち受けていた。