第48話:益州の情報収集と、張松・法正の焦燥と期待
第48話:益州の情報収集と、張松・法正の焦燥と期待
河北を平定したものの、白龍軍の天下統一への道はまだ半ばだった。西には再起した曹操が中原南部で睨みを利かせ、東の江東では孫権が長江を盾に牙を研いでいる。そして平定したばかりの河北では、袁家の残党や北方の異民族が、未だ不穏な動きを見せていた。
的斗は、陳宮や徐庶と共に、まず足元を固めることに専念した。鄴を拠点とし、河北各地の統治体制の構築、民心の安定、そして曹操への防衛線強化に、数ヶ月という時間と多大な労力を費やした。戦いは、武力だけで決するものではない。強固な国力と民の支持こそが、最終的な勝利の礎となることを、彼はこれまでの戦いで学んでいた。
その間、来るべき益州攻略に向けた情報収集の任務は、廖化が総責任者となり、組織的に進められていた。 彼は将として後方で指揮を執り、かつて培った裏社会の人脈を駆使して、益州各地に潜入させた間者たちからの報告を統括していた。
そして、その作戦には頼もしい協力者がいた。先の戦いで毒矢を受けた裴元紹である。彼の傷は、貂蝉の懸命な看護と本人の強靭な生命力で奇跡的に快方へと向かっていたが、まだ前線で槍を振るうことは難しい。だが、彼はその経験と斥候としての鋭い勘を買い、廖化の元で情報部隊の顧問のような役割を担っていたのだ。斥候や間者の選抜、潜入経路の立案など、彼の助言は廖化の作戦に大きな深みを与え、二人の連携は白龍軍の「目と耳」をかつてなく鋭敏なものにしていた。
数ヶ月後、河北の統治がようやく軌道に乗り始めた頃、廖化は彼らの情報網がもたらした成果をまとめ、的斗に報告した。
「趙雲様、益州の内情、掴んでまいりました。かの地を治める劉璋という男、噂に違わぬ暗君です。日夜酒宴に明け暮れ、政治は一部の佞臣たちに任せきり。民は重税に苦しみ、兵士たちの士気も低い。しかし、益州の地は誠に豊かで、穀倉地帯も広く、人口も多い。もしこの地を得れば、我らの力は飛躍的に増大しましょう」
廖化の報告は、劉璋の暗愚ぶりと、益州の豊かな潜在力を明確に示していた。
その頃、益州の成都では、二人の有能な臣下が、劉璋の暗愚な統治に深い絶望と焦りを抱いていた。
一人は、益州別駕の張松。彼は、容貌こそ醜かったが、一度見たものは忘れないという驚異的な記憶力と、国を憂う高い志を持つ人物だった。しかし、劉璋はその容貌を疎んじ、彼の進言に耳を貸そうとしなかった。
(このままでは、益州は滅びる…劉璋様には、この乱世を乗り切る器量がない…どこかに、真に益州を、そして天下を安んじることができる明主はいないものか…)
張松は、中原で急速に名を上げ、仁政を敷いていると噂される趙雲子龍(的斗)の存在を知り、密かにその人物像を調べていた。そして、趙雲こそが新たな希望かもしれないと考え、何とかして接触する機会を窺っていた。
もう一人は、軍議校尉の法正、字を孝直。彼は、冷徹なまでの現実主義者で、非凡な知略と野心を併せ持つ男だった。劉璋の下では自分の才能が埋もれてしまうことに強い不満を抱き、より大きな舞台で自らの力を試せる主君を渇望していた。
法正は、張松が趙雲に期待を寄せていることを察知していたが、張松のやや理想主義的な性格を危ぶみ、より確実な方法で自らの存在を趙雲にアピールしようと考えていた。
(趙雲子龍…河北を平定し、曹操をも脅かす存在。彼ならば、俺の知略を存分に活かせるかもしれぬ…)
法正は、かつて荊州で親交のあった旧友・孟達に密書を送った。孟達は、この時、劉璋に仕えつつも法正と志を同じくし、現状に不満を抱いていた。法正は孟達に、白龍軍にいる徐庶(徐庶の名声は荊州にも轟いていた)に接触し、自分の才能を趙雲に伝えるよう依頼したのだ。
鄴の的斗たちの元に、孟達からの使者を名乗る者が訪れたのは、廖化たちが益州から帰還して間もなくのことだった。使者は、徐庶に宛てた孟達の親書を届けた。そこには、法正という人物の非凡な才能と、彼が趙雲に仕えることを望んでいる旨が記されていた。
「法正孝直…確かに、荊州にいた頃、その才気煥発ぶりを耳にしたことがある。孟達がこれほどまでに推薦するからには、相当な人物であろう」
徐庶は、的斗にそう報告した。
奇しくも、ほぼ同時期に、張松からの密使もまた、的斗の元を訪れていた。張松は、益州の地図と、劉璋軍の内部情報を手土産に、趙雲に益州を救ってほしいと懇願してきた。
「張松と法正…二人もの内応者が現れるとは…まさに天佑かもしれんな」
陳宮は、不敵な笑みを浮かべた。
的斗もまた、この予期せぬ好機に、武者震いを禁じ得なかった。
(益州の民が、俺を待っている…そして、この二人を仲間にできれば、益州攻略は現実のものとなる…!)
的斗は、徐庶と陳宮と共に、張松と法正、それぞれとどのように接触し、彼らの力をどう利用していくか、具体的な策を練り始めた。
西の地・益州を巡る、新たな謀略と戦いの火蓋が、静かに切られようとしていた。