第40話:河北の動乱と、的斗の義憤、そして袁紹との決別
第40話:河北の動乱と、的斗の義憤、そして袁紹との決別
官渡の戦いで曹操を退けた袁紹だったが、その勝利は彼をさらなる傲慢と油断へと導いた。彼は、中原の覇者となったかのような錯覚に陥り、自らの本拠地である河北の統治を疎かにし始めたのだ。
特に深刻だったのは、後継者問題だった。袁紹は、聡明で人望もある長男の袁譚を疎んじ、容姿が自分に似ているというだけで、まだ若く経験も浅い三男の袁尚を溺愛していた。この状況に乗じ、郭図や逢紀といった佞臣たちが袁尚に取り入り、袁譚派の審配らと激しい権力争いを繰り広げ、河北の政治は日に日に混乱を極めていった。彼らは、互いに私腹を肥やすことに熱心で、袁紹もその争いを止めようとしない。むしろ、自分の気に入る息子を優遇し、他の息子や忠臣たちを冷遇した。
その皺寄せは、全て民衆へと向かった。後継者争いや側近たちの私利私欲を満たすため、河北では重い税が次々と課せられ、若者は無理やり兵士として徴用され、農地は荒れ果てていった。飢餓と疫病が蔓延し、かつて豊かだった河北の大地は、民衆の嘆きと絶望で覆い尽くされようとしていた。的斗がかつて董卓の治める洛陽で見た光景と、何ら変わりはなかった。いや、むしろ、より広範囲で、より組織的に民が苦しめられている。
そんな河北の惨状は、風の噂となって陳留の的斗の耳にも届いていた。そしてある日、彼の元に、一通の血で書かれた書状が、命からがら逃れてきたという一人の農夫によって届けられた。
「趙雲将軍…どうか、我ら河北の民をお救いください…!袁紹公の暴政は、もはや董卓にも劣りませぬ…!このままでは、我々は皆、飢え死にするか、あるいは戦に駆り出されて犬死にするしかありませぬ…!」
農夫は、的斗の足元に泣き崩れた。書状には、河北の民の悲痛な叫びが、血の滲むような文字で綴られていた。その書状からは、民の血と涙が滲み出ているかのように感じられ、的斗は怒りに身体を震わせ、思わず握りしめた拳から血が滲んだ。
(袁紹…!貴様は、民の苦しみが分からぬのか!天下の覇者たる者が、これほどまでに私利私欲に溺れるとは…!貴様もまた、董卓、呂布と同じ、この乱世の癌だ!)
さらに、追い打ちをかけるように、袁紹軍の良識派として知られる軍師、田豊と沮授からの密使が、的斗の元を訪れた。田豊は、最後まで袁紹に忠言を続けたが聞き入れられず、ついに牢獄に入れられ、そこで無念の死を遂げた。沮授もまた、その才能を発揮する機会を与えられず、袁家の行く末を憂いながら、ただ孤立を深めていた。彼らは、袁紹の暴政と後継者問題に心を痛め、何度も諫言したが聞き入れられず、もはや袁紹を見限るしかないと判断したのだ。
「趙子龍将軍。我が主君・袁紹公は、もはや正気を失っております。河北の民は塗炭の苦しみに喘ぎ、このままでは国が滅びるのも時間の問題。どうか、将軍のその『仁義』の力で、河北の民をお救いください。我らも、内から必ずや将軍のお力になります!」
密使は、涙ながらにそう訴えた。田豊と沮授の、河北の民を思う切実な想いが、的斗の胸に痛いほど伝わってきた。
「…もう、我慢の限界だ」
的斗の声は、静かだったが、その奥には抑えきれないほどの激しい怒りが込められていた。的斗の全身から、微かに金色のオーラが立ち上り、周囲の空気を震わせた。彼の瞳は、怒りによって純粋な金色に輝き、その場にいた者たちに、言い知れぬ威圧感を与えた。
「袁紹!貴様はもはや漢の臣ではない!民を虐げる、ただの暴君だ!この趙雲子龍、天に代わってその不義を討つ!」
的斗の義憤は、ついに爆発した。それは、単なる戦略的な判断ではない。目の前で苦しむ民を見過ごすことのできない、彼の魂からの叫びだった。
周倉は「待ってました、趙雲様!」と雄叫びを上げ、彼の目にも、河北の民の惨状への怒りが燃えていた。彼は、趙雲の「仁義」が、ついにこの不義を許さないと立ち上がったことに、心からの歓喜を感じていた。太史慈や徐盛も「これぞ趙雲様の義の戦い!我ら、どこまでもお供いたします!」と力強く応えた。彼らは、的斗が掲げる「仁義」が、決して偽りのない、真の理想であることを確信していた。貂蝉もまた、民を思う的斗の心を固く支持した。白龍軍全体が、新たな戦いに向けて、一つに結束していくのを感じた。
的斗は、まず袁紹に対し、厳しくも正当な要求を突きつける最後通牒を送った。
「袁紹公に告ぐ。直ちに民への暴政を停止し、後継者問題を公正に解決し、河北の秩序を回復せよ。もしこの要求を無視し、民を苦しめ続けるならば、我ら白龍軍は、天に代わって貴公の不義を討つであろう」
しかし、この的斗の真摯な訴えも、驕り高ぶる袁紹には届かなかった。彼は、的斗の書状を一笑に付し、使者を追い返したのだ。彼の傲慢さは、もはや自らの滅亡を招くものだった。彼は、的斗の真摯な訴えを、若造の戯言としか受け取らなかった。
「もはや、言葉は不要だ…」
的斗は、静かにそう呟くと、徐庶に命じて檄文を作成させた。徐庶の筆による檄文は、袁紹の数々の罪状を天下に明らかにし、的斗の挙兵がやむにやまれぬ大義に基づくものであることを、格調高く、そして力強く宣言するものだった。
その檄文は、風のように中原を駆け巡り、人々の心に新たな時代の到来を予感させた。それは、白龍軍の「仁義」と、袁紹の「不義」を明確に対比させ、天下に大義を問うものだった。
若き龍・趙雲子龍が、ついに旧時代の覇者・袁紹に戦いを挑む。河北の大地を舞台にした、壮絶な龍虎の戦いの火蓋が、今まさに切られようとしていた。




