第17話:雌伏の時、荊州にて! 龍の力の萌芽と再起への誓い
第17話:雌伏の時、荊州にて! 龍の力の萌芽と再起への誓い
燃える長安を後にし、的斗――趙雲子龍と、彼に従う貂蝉、周倉、廖化、裴元紹の一行は、ひたすら南を目指した。李傕・郭汜軍に加え、呂布の追手までも警戒し、昼は鬱蒼とした森の奥深くに身を潜め、夜間に食料を分け合いながら移動することも少なくなかった。足の裏は豆だらけになり、喉は常に乾ききっていた。王允の死という大きな喪失感は、的斗の心に重くのしかかり、一行の雰囲気もまた、重苦しいものだった。的斗の身体には、董卓暗殺の際に引き出した力の激しい反動が依然残っており、時折、身体の奥から熱がこみ上げ、視界が揺らぐような感覚に襲われた。その都度、彼は奥歯を噛み締め、何とか平静を装っていた。その顔色は日に日に悪くなり、目は窪んでいった。
数週間に及ぶ苦難の旅の末、的斗たちはようやく比較的戦乱の影響が少ないと言われる荊州の、とある農村にたどり着いた。そこは長江の支流近くに位置し、豊かな田畑が広がる、穏やかな風景の場所だった。しかし、的斗は力尽きるように、その場で膝から崩れ落ちた。「龍の力」の代償が、旅の無理と疲労によってついに限界を超えたのだ。彼の身体は激しく熱を帯び、意識は朦朧としていた。
「子龍様!しっかりしてください!」「趙雲様!目を覚ましてください!」
仲間たちの悲痛な叫びが、まるで遠い夢の中の出来事のように、朦朧とする的斗の耳に響いた。全身を灼き尽くすような熱が続き、意識は深い闇の中に沈んでいた。時折、悪夢のように王允の最期や燃え盛る長安の光景がフラッシュバックし、彼はうなされるたびに、無意識に「王允様…!」と呻き、涙を流した。
的斗が次に目を覚ましたのは、それから一週間後のことだった。見慣れない質素な小屋の寝台の上で、額には冷たい手ぬぐいが置かれている。身体の激しい痛みは引いていたが、鉛のように重く、指先一つ動かすのも億劫だった。頭の中は未だ靄がかかったようにぼんやりとしており、あの圧倒的な「力」が、まるで幻想だったかのように遠く感じられた。同時に、全身の筋肉が軋み、骨の髄まで疲労が染み渡っているのを感じた。
「…ここは…?」
かすれた声で呟くと、傍らでうたた寝をしていた貂蝉が、ハッと顔を上げた。その美しい顔には、的斗が眠っている間、ろくに休むこともできなかったであろう、深い疲労の色が濃く浮かんでいる。目元は赤く、唇は乾いていた。
「子龍様!お気づきになられましたか!」
貂蝉の声には、安堵と喜び、そして涙が滲んでいた。彼女は的斗が眠っている間、ほとんど不眠不休で看病を続けてくれていたのだ。村の薬草師から薬草を煎じてもらい、こまめに汗を拭い、時には的斗の手を握りしめて、その回復を祈っていたという。その献身的な姿に、的斗は言葉を失った。
「貂蝉さん…すまない、心配をかけた…」
「いいえ…あなた様が無事で…本当によかった…」
貂蝉の瞳から、安堵と感動の涙が、止めどなくこぼれ落ちた。的斗はその涙をそっと拭い、彼女の献身に心からの感謝を感じた。この人が、常に自分を支え、傍にいてくれるからこそ、自分はまだこの乱世で生きていけるのだと、彼は改めて深く心に刻んだ。
的斗が療養している間、周倉、廖化、裴元紹は、じっとしているわけではなかった。彼らは、この村で一行が厄介者扱いされないよう、積極的に村人たちと交流し、その用心棒のような役割を買って出た。
周倉は持ち前の怪力で村の力仕事――崩れた土壁の修繕や、重い荷物の運搬などを手伝い、子供たちからは「熊さん」と呼ばれて懐かれた。その屈強な外見とは裏腹に、子供たちに優しい笑顔を見せる姿は、村人たちに深い安心感を与えた。
廖化は、その老獪な経験と情報網を活かし、村の防犯体制に助言を与え、裴元紹と共に夜警を行い、周囲の小賊を追い払った。彼はまた、村の長老や商人たちと交流し、彼らの抱える問題(食料の不足や役人の横暴など)に耳を傾け、時には的斗の知識を元にした打開策を提案し、村人たちの信頼を急速に得ていった。
裴元紹は、その俊敏さを活かして村の周囲を巡回し、不審な人影や獣の侵入をいち早く察知して知らせた。彼もまた、子供たちとかくれんぼをして遊んだり、木の実の採集を手伝ったりするうちに、村の子供たちの人気者となっていった。
最初は、見慣れぬ屈強な男たちに警戒心を抱いていた村人たちも、彼らの実直で義侠心に溢れる行動に、徐々に心を開いていった。
「趙雲様御一行は、本当に頼りになるお人たちだ。皆、義に厚いお方ばかりだ」
そんな評判が、村の中に広まり始めていた。的斗が眠っている間にも、趙雲一行の基盤は、着実に築かれつつあった。
数週間後、的斗の体調はようやく回復した。しかし、彼の心の中には、新たな課題と、そして微かな変化の兆しが生まれていた。
(まず、この…董卓を倒した時の、あの金色のオーラ…そして、たびたび感じた戦っている時の、相手の動きが読めた感覚…これが一体何だったのか…?解明していかなければ…)
王允の最期の言葉。そして、故郷の家で見た竹簡の記述。それらが、的斗の頭の中で、まるで一本の線で繋がっていくように感じられた。
回復した的斗は、人目を忍んで村はずれの誰もいない場所へと向かい、密かに槍を手に取った。あの時の感覚を、もう一度掴めないか。意識を集中し、董卓と対峙した時の、あの燃えるような怒りと守護の念を、必死に思い起こそうとする。
「う…っ!」
槍を振るう腕に込めが、身体の奥から湧き上がるのは、微かな熱感だけで、あの圧倒的な力の奔流は感じられない。それどころか、無理に力を引き出そうとすると、全身の筋肉が軋み、激しい目眩と吐き気が襲ってくる。まるで、その力を引き出そうとするたびに、自分の肉体が悲鳴を上げているかのようだった。
(ダメだ…感情だけでどうにかなるものじゃない…これでは、またあの時のように、生死の境をさまようことになる…もっと、何か…根本的な何かが違うんだ…)
的斗は、自分の力の未熟さと、その制御の難しさ、そして「龍の血脈」という未知の力への恐怖と戸惑いを痛感した。
「子龍様、そのようなところで何をなさっているのですか?」
背後から声をかけられ、振り返ると、心配そうにこちらを見つめる貂蝉がいた。的斗は苦笑し,槍を下ろす。
「いや…少し、身体を慣らそうと思ってな。まだ本調子じゃないみたいだ」
的斗は、自分の力のことをまだ誰にも詳しく話せずにいた。それは、自分自身でもよく理解できていない未知の力への戸惑いと、下手に話して周囲を不安にさせたくないという思いからだった。
しかし、夜、一人になると、的斗は再び竹簡の記述を思い出そうと努めた。「龍の血脈を受け継ぎし者、天命を悟り、龍のように天に昇るべし…」
(天命…龍のように…具体的にどうすればいいんだ?ただ待っているだけでは、何も変わらない…)
彼は、剣道で学んだ精神集中の方法――「静坐」による心を無にする鍛錬を思い出し、静かに目を閉じて瞑想を試みた。雑念を払い、自分の内側、そして周囲の自然と意識を繋げるように、深く、深く沈めていく。
すると、最初は雑念に紛れて何も感じられなかったが、数日続けるうちに、身体の奥底、丹田のあたりに、微かだが確かに存在する温かい「何か」を感じ取れるようになってきた。それはまるで、小さな炎の種火のようであり、あるいは、まだ目覚めていない龍が、静かに鼓動を打っているかのように感じられた。その温かい光る玉のようなものに的斗の意識が触れると、心地よい温かさが全身に広がっていくようだった。
(これだ…この感覚…!以前よりも、この気の流れを意識できる…!これを育てていけば、いつか…!)
的斗の心に、一筋の光明が差したように感じられた。それは、まだ漠然としたものではあったが、自らの力と向き合い、それを成長させていくという、新たな目標の萌芽だった。
長安での悲劇を乗り越え、そして自らの内に秘められた謎の力への意識。的斗の再起への道は、まだ始まったばかりだった。
この荊州の地で、彼は次なる一歩を踏み出すための、重要な出会いを果たすことになる。そして、その内なる龍の力を、少しずつだが確実に、自らのものにしていくのであった。