-第八話:少年と対話-
俺には至急解決すべき課題があった。それは言語の壁だ。彼らと簡単なコミュニケーションすら取れない状態では弁明の余地すらない。この少年は少なくとも会話は出来るようだから、彼との対話から日常的に使う単語やSVOの語順ぐらいは習得しておく必要がある。もちろん彼自身とコミュニケーションを取りたいという純粋な欲求もあるのだが、こうした下心もあった。
とりあえずこの部屋にあるものを指差して少年に単語を言ってもらう。扉、床、壁、屋根、バケツ、水、木材、木、髪、目、赤、青、口、耳、鼻、白、肌、手、指、腕、足、胸、腹、背中、肩、とにかく目に見えるものは何でも聞いた。少年は楽しそうに答えてくれた。ずっと1人でいて暇だったのだろう。
ありとあらゆるモノの名前を指さし、少年にそれを教えてもらう。彼は時折、首をかしげながらも一生懸命に発音してくれた。最初は単語を一つずつ繰り返すだけだったが、次第に彼の方からも指をさして逆に俺に問いかけるようになった。
「Wai kēia?」――これは何?
「指。」
彼はそのたびに嬉しそうに笑う。紅い瞳が柔らかく細まり、白い肌がほんのり紅潮しているようにも見えた。あの不気味な印象すらあったその容姿が、今はただいじらしく、そして儚く映った。
そして、俺は彼の名を尋ねた。
「ʻO wai kou inoa?」――君の名前は?
そう言って自分を指差すと、少年は少しだけ戸惑った表情を浮かべたのち、小さくつぶやいた。
「Rauuru.」
ラウウル。響きとしてはポリネシア系の文化圏にある名前のようだったが、詳しい由来までは分からない。だがこの世界では、それが彼の「個」としての唯一の名なのだ。
「ラウウル。」
俺が繰り返すと、少年――ラウウルは嬉しそうに頷いた。そして、小さな手で俺を指さし、首をかしげる。
「ʻO wai ʻoe?」
そうか。次は俺の番だ。
「…Aoi。」――蒼。
俺はゆっくりと、明瞭に発音する。異なる文化圏の名前であることは承知していたが、偽るつもりもなかった。ラウウルは「アオイ…アオイ…」と何度も繰り返して、音に慣れるようにしていた。
「Aoi, inu wai!」――蒼、水を飲もう!
そう言うとラウウルは茶色い川の水の入ったバケツに近づいていった。あの水を飲むのか。正直嫌だな、腹壊しそうだし。
ラウウルはバケツの前で両手をお椀型にして、次のように呟いた。
「Wai.」――水よ。
すると彼のお椀型の掌に透明な水が湧くように溜まった。
「は?」