-第四十五話:太陽の冠花と瘴気纏う鼠群-
俺たちはシェル=ナウの案内で、交易区の奥にあるザリク商会の屋敷へと向かった。
豪奢というほどではないが、堅牢で機能的な建物だった。木と石を巧みに組み合わせた二階建ての構造で、周囲を囲む香草の植え込みが印象的だった。
「商会長、客人をお連れしました。」
シェル=ナウが扉を軽く叩くと、すぐに返事が返ってきた。中に通されると、香の焚かれた広間に、年配の猫人族が座っていた。灰金色の毛並みに、琥珀色の瞳が落ち着いた知性をたたえている。
「ようこそ、“巨木の再生者”の皆さん。私はザリク、この街の商会長です。遠路ご苦労でしたな。」
「こちらこそ、時間を割いていただき感謝します。」
俺がそう返すと、ザリクの表情がかすかに陰を落とした。
「あなた方をお呼びしたのは、あの花と鼠の話をするためでございます。かつて我らが誇りであり、光であった世界樹の咲いていた平原……だが今や、『死花平原』と呼ばれる呪われた地です。」
ザリクは立ち上がると、壁に掛けられた草原の地図を示した。広大な緑の平原の中央に、ぽっかりと空いた灰色の円が描かれている。
「あの場所には近づくな、と我らは子に教えてきた。だが最近になって、そこから離れた村々、そしてこの街に異変が起き始めた。」
「……異変?」
ヘレスが低くつぶやいた。ザリクはうなずき、重々しく言葉を続けた。
「死黒病です。三日前、カウパの住民に死黒病と思しき症例が出た。感染者は三名……。」
「死黒病……」
その名に、俺は自然と眉をひそめた。当然聞いたことのない病名だったが、名前の響きだけでただならぬものだと直感できた。
「症状は?」とラウウルが口を挟む。彼の声は落ち着いていたが、緊張の色は隠せなかった。
ザリクは琥珀の目を細めて俺たちを見やり、やがて深くうなずいてから語り出した。
「皮膚の一部が黒ずみ、やがて壊死するように崩れ落ちる。痛みは薄く、むしろ痺れと脱力感に襲われるという。そして、進行が早い。発症から三日で、一人が命を落としました。」
「魔法による治療は……?」と俺が問うと、ザリクは首を横に振った。
「病を治す魔法など伝説上の話です。我らの持つ知識では、原因すら特定できません。」
重い沈黙が広間に落ちた。木の壁にしみついた香の匂いが、かえって緊張を際立たせる。
「……その“死黒病”と“死花平原”に、何か関係が?」とヘレスが探るように問う。
「我々も確信はありません。」とザリクは慎重に言葉を選んだ。「ただ、異変が“あの場所”から放射状に広がっていること、そして――最近、あの呪われた地から“鼠”の群れが現れるようになったことを考えると、無関係とは思えないのです。」
俺たちは顔を見合わせた。
「鼠……って、ただの獣じゃないの?」ラウウルが警戒心を含んだ目を細める。
「そう願いたいですが、実際は違います。」とザリクは低くつぶやいた。「やつらは異常だ。全身に黒い瘴気をまとい、見つけ次第作物を荒らし、家畜を襲い、時には人にも牙を剥く。まるで、何かに突き動かされているように……。」
「それが、病を広めている……?」俺がそう言うと、ザリクは目を細めてうなずいた。
「民の間では『瘴気纏う鼠群』と呼ばれ、伝承では世界樹“太陽の冠花”が枯れた原因として恐れられています。問題は……やつらが次第に、街の近くにまで現れ始めていることです。」
ラウウルが不安そうに問う。「放っておいたら、この街にも広がるってこと?」
「――ええ。下手をすれば、交易路すら封鎖される事態になりかねません。我がザリク商会だけでなく、この平原全体が孤立の危機に晒されているのです。」
ザリクの言葉には、焦燥と責任の色がにじんでいた。




