-第三十八話:霧の灯、灰の暮らし-
竜人族の集落――ヴァース・ノガ=カリユ。その名の通り、深い原生林の奥、霧に包まれた静寂の中にある。風も音も不自然なほど穏やかなこの場所では、時折、枝葉の揺れよりも先に“気配”が訪れる。
滞在を決めたこの場所で、俺たちは初めて、竜人族の「日常」を見た。
巨大な球殻状の住居――巣殻――が森の木々と同化するように並び、その表面は金属にも似た光沢を持っていた。けれど冷たさは感じなかった。近づけば、どのスクタも微かに熱を帯び、呼吸しているような感じがした。
「……これって、鉄の魔法で作っているの?」
ラウウルの問いに、同行してくれていた竜人の若者が、短く頷いた。
「それは『灰鉄』。大地から得た記憶を核にして、我らが霧で冷やし固めたものだ。自然を傷つけぬため、必要な分しか形にしない。」
すべてに通じるのは、「過剰を恐れる精神」だった。
竜人たちは自然と争わず、奪わず、ただ“借りる”ように生きていた。食も同じだ。肉食中心ではあるが、狩りは最小限で、仕留めた獣は骨の一本に至るまで儀式と共に還元する。調理には鉄鍋を使用する。香草や木の実、粘土由来の調味料で整えられた料理は、野趣に富みつつも洗練されていた。
「人の子には……少し、苦いかもしれないな。」
そう言ってラウウルに食事を差し出してくれた竜人の女性は、顔の表情こそ読めなかったが、尾の振り方がどこか気遣うようだった。
「ありがとう。……うん、ちょっと苦いけど、悪くないよ。」
ラウウルがそう言って微笑むと、その竜人は小さく頷き、すぐに去っていった。
彼らは基本的に他種族に対して感情を表さない。だが、その無表情の奥には“気遣い”という名の古い倫理が息づいていた。明確な言語によらずとも、彼らは「空気」や「気配」で意思を伝え合う。
夜になると、森全体に青白い光が灯った。これは「星読みの灯火」と呼ばれ、集落のリズムを調整する役目を持っている。光の強さや揺らぎがそのまま時間や気象、魔力の状態を示しているらしい。
「まるで、集落全体が生きているみたいだ……」
俺の呟きに、案内役の竜人が初めて口元を緩めたような気がした。
「そう感じたなら、お前の心にも“森の声”が届いたのだろう。……星と森は、我らが唯一の教師だ。」
集落の中心――**中心核**では、記憶継承者たちが巨木の空洞で瞑想を続けていた。誰が命令するわけでもない。ただ、最も古い記憶を持つ者が、未来の方角を「読み解く」。
「我らに“王”はいらぬ。“始まり”と“終わり”の記憶だけが指針となる。」
それが彼らの文化だった。
やがて、蒼とラウウルは幼殻庭(エン=スクタ)――卵や幼い個体が育てられる保護区を訪れた。そこでは、植物と共に成長するように、若い竜人たちがゆっくりと歩みを進めていた。
「……俺たちと違って卵生動物なんだな。」
俺はどこか緩やかで、静かな気持ちで呟いた。
――虐殺の過去を持つ民族。
――けれど、今を「過不足なく生きよう」とする者たち。
その矛盾に、俺はまだ答えを出せずにいた。だが、この集落が「終わりを生きる者」ではなく、「始まりを探す者たち」なのだという確信は、少しずつ芽生え始めていた。
その夜、ジル=エグニスが再び俺たちを訪ねてきた。
「……もう一つだけ、伝え忘れていた。」
ジルはそう言って、古びた木片を差し出した。
「これは、我らが最初に築いた“巣殻”の欠片。滅びを選ぶ前の、我々の“願い”が刻まれている。」
木片には、灰色の文字でこう記されていた。
『共に在りて、道を刻め。』
それはかつて、まだ世界が壊れていなかった頃に、彼らが他種族と結ぼうとした盟約の言葉だったという。
「記憶は消せぬ。だが、刻み直すことはできる。」
静かにそう告げるジルの背に、俺は竜人族の「誇り」の一端を見た気がした。




