-第三十七話:灰の記憶と迷い-
神殿へと戻る道は、来たときとはまるで違っていた。空には淡く光る繭のような月が浮かび、空間に漂う霧は、何かの意志を持つように静かに道を開いていた。
俺は言葉少なに歩きながら、拳を何度も握っては開いた。
神殿の入り口に辿り着いたとき――
「……戻ったな。」
低く、けれどどこか優しさを孕んだ声が、神殿の陰から響いた。そこに立っていたのは、ジル=エグニスだった。
俺は顔を上げ、まっすぐジルを見据えた。
「……全部、見たよ。あんたたちが世界を守ろうとして……それでも、他の種族を殺す道を選んだことも。」
ジルは目を閉じたまま、静かにうなずいた。
「300年前から、我ら竜人族は世界を『維持』するために動いた。だが……その代償として、信頼も、誇りも、そして未来も失った。」
「じゃあ、なぜまだ“選ぶ側”に立っている? なぜ、今もなお“決断する者”として俺たちの前にいるんだ?」
俺の問いに、ジルは目を開いた。その瞳には、かつて記録に映ったような激情ではなく、深い悔恨と、澄んだ覚悟が宿っていた。
「……お前たちのような者が現れることを、我々は……ずっと待っていたのかもしれない。」
「お前たちは“知らぬ者”ではなくなった。記憶を継ぎ、過去を背負い、それでも進むと誓った……ならば、我々に代わって未来を“選ぶ資格”がある。」
ラウウルが一歩前に出る。
「ジル……君は、それを本気で言っている? 他の種族を虐殺しておいて、……僕たちの手に、希望を託せるって?」
ジルは首を横に振った。
「希望など、とうに尽きたと思っていた。だが、“視える目”を持つ者が、絶望の中で手を伸ばし続ける姿を見たとき……かつて滅びた少女の最期の言葉を、私は思い出したんだ。」
『お願い……誰か、この星を……救って……』
その声が、再び霧の奥から聞こえたような気がした。
ジルはゆっくりと歩み寄り、俺たちの前で膝をつく。
「我々竜人は、大義の名の元に多くの命を奪った。もはや、贖罪のしようもないだろう。だが、もしも未来を切り拓ける者がいるなら……その剣となり、盾となろう。」
俺はしばらく黙っていた。ラウウルの集落で見た惨劇をこいつらは繰り返してきたんだ。
「少しの間、ここに滞在していいか?」俺はすぐには決断できなかった。
ジルは初めて、わずかに微笑んだ。
「もちろんだ。」




