-第三十六話:忘却の記録庫-
扉をくぐると、そこには常夜のような空間が広がっていた。淡い青白い光が霧のように漂い、足元には何もない虚空が続いている。だが、踏み出した足は確かに地を捉え、不思議な浮遊感と共に、どこかへと導かれていた。もはや彼らの魔法がどのような原理なのか俺には理解できなかった。
「……ここが、“クルゥ・メ=ルナ”……?」
俺が呟くと、前方にゆらりと光が揺れ、やがて人影のようなものが浮かび上がった。それは人でも獣でもない、滑らかな曲線と角ばった構造が融合した、まるで記録を守る守護者のような存在だった。
「識者にして来訪者よ。ここは記録庫。記憶の泉に触れし者は、真実と対峙する資格を持つ。」
声は空間全体から響くようだった。ラウウルが俺の袖を掴む。
「蒼……気をつけて。これは、生きた記憶だ。」
次の瞬間、二人の周囲が光に包まれた。
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──視界が開けたとき、彼らは古びた石畳の上に立っていた。空には二つの太陽が爛々と輝き、四つの世界樹が魔力を循環していた。世界はまだ生きていた。
「……これが、300年前の世界……!」
巨木の周囲には猿人族が暮らしていた。穏やかな光景だった。
だが空が、裂けた。
突如、天より黒き炎が降り注ぎ、巨木が轟音と共に焼き尽くされる。現れたのは、黒曜石のような鱗を持つ巨大な龍。炎を纏い、龍の周囲には数多の“火の粉”が漂っている。
「“炎の龍”……!」
蒼が叫ぶ間もなく、視界の端で他の災獣も現れる。東の大地に病を振り撒くもの、西の山脈を溶かすもの、そして北の海を蹂躙するもの──四体の災獣が、世界樹を枯らした。
四つの世界樹が活動を止め、空に流れる魔力の糸が細くなる。二つの太陽から降り注ぐ有害な光によって、動植物が果て、猿人族、猫人族、狼人族、竜人族までもが倒れていく。
──そして映像は変わる。
中央の記録には、竜人たちの会議が映し出された。
「魔力が尽きれば、この星は死ぬ。世界樹の再生は、もはや叶わぬ。ならば……魔力の消費を止めるしかない。」
「それは……繁殖力の高い他種族の抹殺を意味する。」
「それでも、この星の生物が生き延びるためには……!」
そこには、若き日のジル=エグニスの姿があった。今よりも激情に満ち、仲間の死と世界の終焉を前に、歯を食いしばる姿が焼き付けられていた。
俺はその場に膝をついた。
「……そんな、……それで……殺してきたのか……。」
ラウウルは震える声で続けた。
「でも、……その方法は……永遠じゃない……魔力は、それでも減っていく……。」
記録の最後、黒い光に包まれた一人の“視える者”の少女が映る。彼女の力が暴走し、黒い光になって天に注がれる。空が裂ける。そして──彼女の最後の言葉。
『お願い……誰か、この星を……救って……』
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光が収束し、二人は再び霧の中に立っていた。周囲の気配が変わり、記録の守護者が再び姿を現す。
「汝らは、過去を知った。生き残るために行われた犠牲と、その代償を。」
蒼は立ち上がり、拳を強く握った。
「俺は……選ぶ。過去の犠牲の上に、同じ未来を繰り返さない道を。」
ラウウルが隣で頷く。
「僕も……僕の“視える目”が、誰かを救えるなら……使うよ、何度でも。」
守護者は静かに首を垂れるように姿を消した。
そして霧が晴れる。
二人の前には、神殿へと続く帰り道と、新たな光が――その先に待つ、“希望”が現れようとしていた。




