-第三十四話:雷-
私たちは北西を目指して、空中を移動していた。
風魔法を習得したおかげで、ハナウアにたどり着くまでの旅と比べ、移動速度も安全性も格段に向上している。足場を探す必要もなく、地形に阻まれることもない。ただ――それは決して「楽になった」という意味ではなかった。
風を操り続けるには、常に意識を空気に張り巡らせていなければならない。流れを読み、圧を保ち、身体の軸を崩さない。少しでも集中を欠けば、即座に高度を失う。だから三十分に一度ほど、私たちは空中の足場を固定して休息を挟んでいた。
風に身を預ける感覚には、未だに慣れきれない。空は広く、だが同時に底がない。慣れは油断に繋がる――その意識だけは、強く保っていた。
目的地は交易都市「カウパ」。
猫人族が築いた都市で、猿人族や狼人族との交易が盛んに行われていると聞く。物流が集まる場所には、必然的に情報も集まる。私たちが求めているのは“知”だ。ならば、向かうべき場所は自ずと決まっていた。
二度目の休憩を終え、再び空へ踏み出した、そのときだった。
北東の空――雲の層を割るように、黒い影が近づいてくる。
「……あれ、鳥か?」
思わず呟き、目を細める。距離があるせいで輪郭は曖昧だが、翼を持つことだけは分かる。だが、違和感が拭えない。飛び方が、あまりにも――整いすぎていた。
「違う。羽はあるけど、あれは……ヒトの形だ」
ラウウルの声が、耳元で響く。その声音に含まれた緊張に、私の背筋も自然と強張った。影は二つ。互いに間合いを保ちながら、一直線にこちらへ向かってくる。一対の巨大な翼、鋭い鉤爪を備えた脚、しなやかに揺れる尾。近づくにつれ、角張った顔立ちと灰色がかった皮膚、そして金色にぎらつく双眸がはっきりと見えた。
――プテラノドン。
白亜紀後期の地球の空を滑空していた翼竜、その名が脳裏をよぎる。
「……竜人族には、飛翔種も存在するのか?」
息を呑む。
空を自由に移動できるという優位。それは、私たちとラニ族だけのものだと、どこかで思い込んでいた。だが現実は、そんな甘い期待をあっさりと踏み砕く。
一体が、空中でぴたりと停止した。羽ばたきの音すらないまま、口を開く。
「Ziel prüfen. Sofort sichern.」
冷たく、感情のない声。意味は分からない。だが――命令だということだけは、はっきりと伝わってきた。直後、もう一体が動く。掌をこちらへ向け、何かを唱え始める。空気が、わずかに歪んだ。
「蒼! あいつ、空気に何か干渉している! 気をつけて!」
ラウウルの叫びに、思考が一気に加速する。空気操作系――ならば、先手を打つしかない。
私は反射的に、風魔法で周囲の空気を圧縮し、窒素主体の防壁を形成した。透明な膜が、身体を包み込む感覚。同時に、声を張り上げる。
「散開しろ! 挟まれたら終わる!」
ラウウルは一瞬の迷いもなく、斜め下方へと滑空した。その判断の速さに、私は何度も救われてきた。だが――それでも。
空が裂けるような轟音。
次の瞬間、雷撃が降り注いだ。
一条は私の防壁に直撃し、視界が一瞬で白に塗りつぶされる。
「雷……!?」
衝撃。
風の膜は、紙のように吹き飛ばされた。焼け付くような痛みが、全身を貫く。雷そのものが、明確な魔力を帯びている。外からではない。内側から、構造そのものを破壊される感覚だった。思考が、遅れる。意識が、揺らぐ。
「蒼!」
ラウウルの声。だが、応える余裕はない。
二撃目の雷が空を裂き、今度はラウウルの進路を直撃した。彼の小柄な身体が大きく弾かれ、制御を失ったまま回転しながら落ちていく。
「ラウウル……!」
手を伸ばす。
だが、その瞬間、私自身の身体も重力に引かれた。魔力の制御が効かない。空が、遠ざかる。視界の端で、鋭く光る金色の瞳が、こちらを見下ろしていた。
――まだ、何も終わっていないはずなのに。
その思考を最後に。
意識は、静かに闇へと沈んでいった。




