-第三十二話:再誕の風-
世界樹の再生によって、森は濃密な魔力に満たされていた。
空気の粒子一つひとつにまで魔力が染みわたり、ハナウアの空を、淡い光と波紋のような揺らぎで満たしている。
「……蒼、見えるよ。」
ラウウルが、断崖の上から広がる空を仰ぎながら、ぽつりと呟いた。
「青と赤、それに……緑も。全部、世界樹から溢れている。空気が、呼吸しているみたいだ。」
俺には見えない。けれど、彼の声に宿る熱と驚きが、この世界が確かに変わったのだと教えてくれる。
ハナウアの中心、広場では、街の人々が騒ぎを始めていた。長老を中心に、司祭たちが祭服に身を包み、滝のほとりに設えられた神殿跡で、静かに儀式の支度を進めている。
「三百年ぶりの“還り”だ。」
長老の低い声に、集った人々がひとり、またひとりと神妙に頷く。
聖域へ通じる道――かつて「炎の龍」が襲う前、猿人族が祈りを捧げていた、母なる巨木の根本への道。
三百年もの間、封印されていたその場所が、今、再び開かれようとしていた。
「本当に……動き出したんだな。」
ラウウルと肩を並べ、高台に立つ。濃い霧と雲海に沈んだ谷。その先、巨木の根から立ちのぼる魔力の波紋と、舞い上がる光の粒たち。この循環の再開は、目に見えぬけれど確かに世界を変え始めている。
その夜、ハナウアは小さな祝祭に包まれた。滝沿いの広場に火が灯り、太鼓の音が水音と混ざり合い、過ぎ去った時代への詩が静かに紡がれる。
樹上の家々には、発光する苔と鉱石の光が揺れ、街全体が淡い幻想に包まれていた。
焚き火を挟んで、ラウウルがぽつりと言った。
「……ミーネが“四つの災獣”って言っていたのを覚えている?」
俺も、頷いた。
「あぁ、昨日ミーネに改めてそれについて聞いてみたけど、詳しいことは分からないみたいだった。でも、災獣が四ついて“炎の龍”はその一つに過ぎないのは確かなんじゃないかな?」
「やっぱり、あんなのがまだいるんだ…。」
翌朝。俺たちは荷をまとめ、ハナウア北門に立った。霧のかかる橋を渡るために。
見送りに来たコルが、弓を肩にかけたまま、心配そうに言った。
「いいのか? 祝祭はまだ続いているんだぞ。お前たちも残れば……きっと、村の英雄扱いだ。」
俺は肩をすくめ、苦笑した。
「そういうのは性に合わないんだ。……それに、まだやらなきゃいけないことがあるみたいだし。」
「“四つの災獣”の残り三つの情報を集める。次の目標はそれだ。」
コルは、しばらく黙ったあと、軽く笑った。
「……なら、また帰ってこいよ。世界樹の元で待っているからな。」
コルと話していると後ろからミーネがやって来た。
「蒼と紅は氷の雨で龍を沈め、未知なる知恵で巨木を蘇らせた…。どうやら伝承は正しかったようだ。改めてお前たちに感謝する。ありがとう。」ミーネが真面目な顔でいった。
ミーネは懐から二つの首飾りを取り出した。中央にそれぞれ蒼と紅の宝石がついている。
「これはハナウアからの贈り物だ。」
ミーネは俺とラウウルの首にその首飾りを下げさせた。俺は何だか照れくさい気持ちだった。ラウウルはすごく嬉しそうだ。
「あぁ、こちらこそありがとう。ミーネ。」
霧の中で見え隠れする滝の轟音を背に、俺たちは再び歩き出す。もう、かつてのような漂泊者ではない。ハナウアの空気と、人々の記憶と――そして、世界樹の命脈と、確かに“つながり”を持ちはじめている。
俺たちは、世界樹の再誕の風を背に、歩き出した。




