-第三十話:詰まりを溶かすもの-
翌朝、まだ夜露が残る土の上を踏みしめながら、俺とラウウルは巨木の根元に再び立っていた。夜通し交わした議論の末に、ひとつの仮説が浮かび上がっていた――“負の魔素”は、魔力合成では分解できない。だが、“変換”させることで無害化できる可能性がある。
「蒼……本当に、やれると思う?」ラウウルが風導笛を胸に抱えたまま、不安げに尋ねた。
「やってみなきゃ分からないさ。けど……ヒントはある。」
俺は荷袋から、あの時瓶に採取した赤青の魔素の残りを取り出した。混ぜ合わせたとき、確かに導管の反応を引き出した。そのときに起きた微かな発熱――それが鍵になるかもしれない。
「熱はエネルギーだ。自然界では、物質が変化するきっかけになる。つまり、“負の魔素”にも、何らかの変化を与える可能性がある。」
「でも、ただ加熱するだけじゃ……」
「うん、それじゃ不十分だ。必要なのは、変換を促す“触媒”だ。」
通常魔力を消費した時に生まれる赤と青の魔素。これ「負の魔素」にぶつけることで何らかの変化を引き起こせるのではないか。
「“負の魔素”が外の魔素と融合できないなら、逆に、融合を強制するんだ。」
「この魔素を、根の奥……“黒い詰まり”に近い場所に送り込む。到着したら燃焼して反応を促す。」
「どうやって……?」
「窒素分子で魔素の塊、メタン分子、オゾンをそれぞれ包み込んで、そのまま根の奥まで運ぶ。その後、メタン分子にオゾンをぶつけて発火させる。」
ラウウルがまたポカーンとした顔をしている。当然ではあるが。
「…、とにかく蒼ならできるんだね?」
「うん。」
風がざわめき、土の中の空気が振動し始める。その中心に魔素と各分子を込めた。そのまま風の流れに乗せて地下へと送り込む。
「行け……!」
風がまるで生き物のように渦を巻きながら、根の奥へと吸い込まれていった。
瞬間――地面の奥から、低く、鈍い音が響いた。
「な、何……!」
地面が脈打つ。重く、湿った空気が吹き出し、次の瞬間、木の幹の下部――裂け目から、黒いもやが吹き出した。腐敗した泥のような臭い。だが、それは長くは続かなかった。
「蒼! 変わった……!」
ラウウルの声が震える。俺には見えないその現象を、彼は目の当たりにしていた。
「黒いのが……赤と――青に変わっている! 流れ始めている!」
俺は幹に耳を当てた。確かに聞こえる。微かな“音”――水脈のような、魔素が走る音。
「変換が……起きた……!」俺は呟いた。「負の魔素が、変質して流れに戻ったんだ……!」
再生が始まったのだ。
巨木の幹が、低く唸るような音を発した。根から枝へと何かが駆け上るように、葉がわずかに震えた。その先端に、うっすらと、光が――
「蒼、見て……!」
ラウウルが指差す先、枯れていたはずの枝の先に、小さな新芽が芽吹いていた。緑のきらめき。命の色だ。
「成功……したのか?」
「うん、 “詰まり”が動き出した!」
俺たちはしばらく、ただその光景を見つめていた。風が吹き、葉が揺れる。循環が、戻ってきている。
「“毒”も、癒せるんだね。」
ラウウルの言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
俺たちがやったのは、科学と魔法の融合。植物の構造と、この世界の魔素の性質を理解し、風と火の力で詰まりを解消する――この世界の“命”を、もう一度循環させる試みだった。
「再生の魔法じゃない。再生の“仕組み”だ。」
新たに芽吹いた命は、小さい。でも確かに、この世界樹がまだ生きていることを示していた。
そして、再び風が吹いた。ラウウルの笛は鳴っていない。ただ、自然に、巨木自身の中から吹き出した風。
「……これは?」
「呼吸だよ。」俺は静かに答えた。「世界樹が、自分の力で……“呼吸”を始めたんだ。」
再生は、もう始まっている。




