-第二十四話:試行錯誤-
夕暮れの空に、鈴の音が揺れていた。
俺は空に浮かぶ訓練場の端に腰を下ろし、頭の中で文字を走らせていた。空中に足場を構築するための条件、風の流速、気圧変化、分子密度の閾値。書き連ねるたび、頭の中にある理論と、実際に感じる風の感触が少しずつ噛み合っていく。
風の魔法は、法則に従っている。それなら、理論で再現できるはずだ。
俺の視界の端で、レンが無言のまま宙を跳ねた。風の上に足をかけ、回転しながら空中に六枚の「圧縮空気板」を瞬時に出現させる。まるで舞を踊るような軽やかさだった。
「お前のやり方は……妙に“重い”んだ。」
そう言って、レンは俺に向き直った。
「空を歩くということは、ただ立つことじゃない。風に自分を預けることだ。」
俺は言葉を返さなかった。わかっている。だが、風に「預ける」などという感覚的な表現では、再現性のある技術にはならない。
分子操作の一歩先へ。足場だけじゃない。速度と耐熱性――それが今、必要だ。
俺は目を閉じて深く息を吸い込んだ。風の粒が、肌を撫でる。重力は常に下に引いている。ならば、反力を加えればいい。圧縮した空気を一瞬で噴出させる――“下向きのジェット”。
「……!」
足元で風が爆ぜた。小さな爆発のような音とともに、体がふっと浮き上がる。慌てて姿勢を整えると、次の足場を瞬時に形成し、そこに着地。体勢を崩すことなく、俺は一歩踏み出していた。
「やった……! 風の反発を利用すれば、移動速度が飛躍的に上がる!」
レンが驚いた顔をした。
「何をした?」
「空気を足元で圧縮して、下向きに解放した。“蹴った”ようなものだ。」
「……風を蹴る……か。なるほど、それも“預ける”方法の一つかもな。」
レンが初めて口元に笑みを浮かべた。
「ならば、それを“連続”でやってみろ。」
俺は頷いた。風の階段を駆け上がるように、空中に“蹴り足場”を次々と出現させる。速度を得ることで、龍の速度に一歩近づく。
一方で、ラウウルもまた変化を遂げていた。
「君は……風の流れを読むだけではない。“未来の流れ”を感じているのね。」
ティスがラウウルにそう告げたのは、彼が訓練中、落ちる前に風の渦を先読みして跳躍を成功させたときだった。
「視えるんだ。風がどっちに動くのか、次にどう変わるのか……感覚的にわかる。」
ラウウルの魔力を視る瞳は、風の流れの“予兆”を感知し、反応する。
ティスは横笛を取り出し、彼に差し出した。
「これは“風導笛”。風を呼び、流れを定める道具。君の力なら、これを使いこなせる。」
「……楽器、吹いたことないけど。」
「風と話すだけでいいのよ。」
ラウウルは笛を唇にあて、そっと吹いた。高く、澄んだ音が空に響き、周囲の風が一瞬、音に引き寄せられたように集まる。風がその音に従って動いたのだ。
「すごい……!」
ラウウルの目が輝いた。彼は風そのものを、仲間のように扱っていた。
俺とラウウル、それぞれが違う道から風に近づいていた。
数日後の朝。ティスが俺たちの前に立った。
「十分とは言えないが、君たちにはもう、空で戦う力がある。そして……“炎の龍”の動きが活発化しているとの報せが届いた。奴の“火の粉”が再び街に降り注ぐのも時間の問題だろう。」
俺たちは顔を見合わせた。
「来たか……」
ティスは空に手をかざす。白い雲の向こうに、紅い何かが蠢いていた。雲が焼け、風が揺れる。
「風を信じなさい。風は、君たちを裏切らない。」
空が、戦場になる。風が、俺たちの翼になる。




