-第二十話:「母なる巨木」の焼け跡-
俺たちはミーネが紹介してくれた空き家で睡眠を取り旅の疲れを癒した。木製のベッドには大きな葉が敷き詰められており、触り心地の良い白いシーツがかけられていた。この世界に来てから初めてまともな寝床で体を休めることができた。ラウウルもとても嬉しそうにしていた。
朝起きるとミーネの命令でやってきた若い女性が、朝食用にいくつか果実を置いていった。街の食生活は集落と大差ないようだった。
今日はミーネの言っていた通り、「母なる巨木」の元へ行ってみるつもりだ。この街を出て南に5時間ほど歩けば根元に着くらしい。
いつの間にか霧は晴れていた。俺たちは支度を整え、ハナウアの南門から出発した。案内役として若い猿人族の青年が同行してくれることになった。名はコル。まだ十代後半といった様子だが、背中に弓と腰に狩猟用の短剣を携えており、その足取りは軽快だった。
「森に入ったら、音を立てるなよ。焼け跡の周辺には今も“火の粉”が舞っている。……龍の魔力が染みついた場所だからな。」
コルの言葉に、ラウウルがぴたりと足を止めた。
「“火の粉”って……まさか、あの幻像に出てきた炎の龍の……?」
「あれの、残滓さ。形こそ朧げだが、触れれば火傷じゃ済まない。気をつけろよ。」
重苦しい空気を振り払うように、風が梢を揺らした。俺はラウウルの肩に手を置き、無言で頷いた。ラウウルも唇を引き結び、力強く頷き返す。
森を抜けるにつれ、空気は徐々に乾き、樹々の葉は焦げたように色褪せていった。やがて一帯に緑が消え、足元の地面は黒い灰で覆われる。焼け焦げたような香りが鼻をつき、遠くに見える何本もの大木が途中で折れ、炭のように立ち尽くしているのが見えた。
「……あれが……“母なる巨木”の残骸……?」
俺の問いに、コルは静かに頷いた。
俺たちは灰を踏みしめながら、巨木の残骸へと近づいた。
そこには、地を突き破るようにうねる、黒く焼け爛れた巨大な根が広がっていた。幾本もの根が天を目指すように突き出しており、まるで何かの咆哮が固まったかのような迫力があった。幹には、龍の爪痕が深く残っており当時の惨事を思い起こさせた。
「これが、“焰の爪痕”……」
ラウウルが震える声で呟いた。
そのとき、生温かい風が頬を撫でた気がした。俺が身を固くすると、コルが身構えた。
「来るぞ……!」
木々の陰から、揺らめく炎の塊が現れた。その火の玉のように揺れながらこちらへ向かってきた。
「“火の粉”だ!」
「ラウウル、“火の粉”の魔力の動きはどうなっている?」
「“火の粉”を覆う黒い光が“母なる巨木”と繋がっている!」
どうやら「母なる巨木」を「材料」として「火の粉」は燃焼しているようだ。いずれにせよ燃焼を止めるなら酸素の供給を遮ればいい。
俺は水筒の蓋を開け「火の粉」に近づく。そのまま水筒の水を操り「火の粉」を覆う。炎の熱で水が蒸発しないように水分子の活動を抑える。
「火の粉」は音もなく鎮火した。俺は水を水筒に戻す。
「ふぅ……。」
ラウウルが膝をつき、安堵の息を吐いた。
「見事だ……」とコルが唸るように呟いた。「お前ら、本当にただの旅人か?」
俺は答えず、代わりに黒く焼けた根に近づき、そっとその表皮に触れた。ラウウルも俺と同じようにした。
「……この木、死んでない。」
ラウウルの言葉に、目を見開いた。
「えっ……?」
「まだ、内側に弱い光が見える。もしかしたら……」
俺は顔を上げた。
「“母なる巨木”は、完全には死んでいない。“炎の龍”の爪痕の下で、まだ……生きている。」




