-第十九話:語り部の洞窟-
霧に包まれた樹上の街は、光苔と鉱石の淡い緑や青の光に照らされて静かに浮かび上がり、あたりはまるで水中都市のように幻想的な雰囲気に包まれていた。風が枝葉を揺らし、時折、遠くで打楽器のような音が聞こえてくる。これは猿人族の間で古くから使われてきた合図だという。
「こっちだ。語り部の洞窟へ案内しよう。」
ミーネがそう言って先を行く。俺とラウウルは、その後に続いた。
吊り橋をいくつも越え、木の幹にあいた大きな裂け目のような入り口をくぐると、そこにはひんやりとした石の空洞が広がっていた。洞窟の天井や壁には、魔力で描かれたような紋様がうっすらと浮かび上がっており、苔の光に照らされて、まるで星々の記憶が刻まれているかのようだった。
「この地には、かつて“母なる巨木”があった。大地と空を結ぶ柱……魔力の循環を司る、聖なる木だ。」
ミーネの声は低く、だが確信に満ちていた。彼女は、洞窟の中央に設えられた丸太の席に腰掛け、手のひらをかざして炎を編むと、宙に立体的な幻像が浮かび上がった。
それは一本の、空まで届くかのような巨大な樹だった。枝は雲を突き抜け、根は地の底へと伸びている。その姿は神秘的で、どこか懐かしささえ感じさせた。
「その木を中心に、かつて我らは暮らしていた。“母なる巨木”の実りと水は、我々猿人族に恵みをもたらしていた。だが――」
ミーネは指先を動かした。幻像の中に、黒い影が現れる。空を裂いて現れたそれは、巨大な龍の姿をしていた。体躯はしなやかで、鱗は赤黒く燃え、瞳は深い焰のように揺れている。
「それが、“炎の龍”だ。」
その名を聞いた瞬間、ラウウルがごくりと息を呑んだ。
「……本当に、いるんだ。龍って。」
「三百年前、“大変動”と呼ばれる空と大地の揺らぎの中から“四つの災獣”現れた。奴は突然、空の裂け目から現れて、“母なる巨木”に爪を立て、炎を吐いた。我らは抵抗もできず、ただ逃げるしかなかった。巨木は燃え、枯れ、根元は今も灰に覆われたままだ。」
幻像の中で、巨木が崩れ落ちていく。枝が折れ、空が赤く染まり、猿人族の街が炎に包まれていく。目を背けたくなるような光景だった。
「今、我らが暮らす“ハナウア”は、巨木の周辺を避けて築かれた新しい街だ。だが、“炎の龍”は完全には去っていない。年に数度、雲海の向こうから火の粉が風に乗ってやってくる。自然の雨で消えるまで、街は恐怖の中に晒される。」
「どうして……“炎の龍”はそんなことを……?」
ラウウルの問いに、ミーネは長く沈黙してから、ぽつりと答えた。
「奴が何を望んでいるのか……まだ誰にも分からぬ。だが、かつて語られていた伝承がある。」
彼女は立ち上がり、洞窟の奥へと歩み寄った。そこには古い石碑のようなものがあり、太古の文字が刻まれていた。
「“赤き空を裂く焰の竜、母の命を奪わん。炎を鎮めるは氷の雨”――」
「……氷の雨……?」
「詳しくは分からないが、“氷の雨”が“炎の龍”を退治しうるのだろう。」
ミーネの眼差しが鋭くなった。
「外から来た者よ。お前たちは、何者だ。なぜ、この街に来た?」
俺は、ラウウルの顔を一瞥し口を開いた。
「いや…、俺たちはただ情報を集めて、安住できる地を探しているだけだ。」
その言葉に、ミーネは訝しそうに眉を顰めた。
「……ふむ、まあいい。せっかくだ、巨木の残骸を見て行くがよい。そこに“焰の爪痕”が今も残っている。」
彼女の声は、静かに、だが確かに響いた。




