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異世界でも科学は役に立つ!!  作者: ANK
第二章:世界樹「母なる巨木」
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-第十九話:語り部の洞窟-

 霧に包まれた樹上の街は、光苔と鉱石の淡い緑や青の光に照らされ、静かに宙へと浮かび上がっていた。幾重にも重なる枝と高床の道が、霧の層の中でぼんやりと溶け合い、輪郭を失った街並みは、まるで水底に沈んだ都市を見上げているかのようだ。足を進めるたび、光が揺れ、影が波紋のように広がっていく。


 風が枝葉を擦り、木と木が軋む低い音が響く。その合間に、乾いた打楽器のような音が、一定の間隔で遠くから届いてきた。規則的で、意味を持った音だ。


 ――合図、か。


 あとでミーネから聞いた話では、それは猿人族の間で古くから使われてきた、警戒と連絡のための合図音だという。霧と高低差の多いこの街では、視線よりも音のほうが確かな伝達手段なのだ。


 「こっちだ。語り部の洞窟へ案内しよう。」


 ミーネが短くそう告げ、迷いのない足取りで先を行く。私はラウウルと視線を交わし、黙ってその後に続いた。


 吊り橋をいくつも越えた。足元の板は湿り、踏みしめるたびにわずかに沈む。下を覗けば、霧の向こうに闇が口を開けている。やがて、一本の巨大な木の幹に穿たれた裂け目のような入り口が現れた。


 そこをくぐると、空気が一変した。ひんやりと冷えた石の匂い。湿度の低い、澄んだ空気。洞窟の内側は、外界とは切り離された別の時間が流れているようだった。


 天井や壁には、古い紋様がうっすらと刻まれている。幾何学的でありながら、有機的でもある線の連なり。それらが苔の光を受けて淡く浮かび上がり、まるで夜空に散らばる星々のように瞬いていた。


 ――これは……記録か。


 「我々は、かつて“母なる巨木”の根本に暮らしていた。」


 ミーネの声が洞窟に反響する。低く、だが揺るぎない響きだった。


 「大地と空を結ぶ柱……魔力の循環を司る、聖なる木だ。」


 彼女は洞窟の中央に据えられた丸太の席に腰を下ろし、静かに手のひらをかざす。すると、小さな炎が生まれ、それが糸のように編まれ、立体的な幻像へと変わっていった。


 宙に現れたのは、一本の巨大な樹。幹は天へと伸び、枝は雲を突き抜け、根は大地の奥深くへと食い込んでいる。その姿を見た瞬間、なぜか胸の奥が微かに疼いた。初めて見るはずなのに、懐かしい。


 「その木を中心に、かつて我らは暮らしていた。“母なる巨木”の実りと水は、我々猿人族に恵みをもたらしていた。だが――」


 ミーネの指先が動く。

 幻像の空に、黒い裂け目が走った。


 次の瞬間、影が現れる。空を裂いて降りてきたそれは、巨大な龍の姿をしていた。しなやかな体躯。赤黒く燃える鱗。深い焰を宿した紅い瞳。


 「それが、“炎の龍”だ。」


 その名を聞いた瞬間、ラウウルが小さく息を呑むのが分かった。


 「……本当に、いるんだ。龍って。」


 声は震えていたが、恐怖だけではない。畏怖と、現実を突きつけられた驚きが混じっている。


 「三百年前、“大変動”と呼ばれる空と大地の揺らぎの中から“四つの災獣”が現れた。」


 ミーネの語りは淡々としていた。


 「奴は突然、空の裂け目から現れ、“母なる巨木”に爪を立て、炎を吐いた。我らは抵抗もできず、ただ逃げるしかなかった。」


 幻像の中で、巨木が燃え落ちる。枝が折れ、赤く染まる空。炎に呑まれる街。逃げ惑う影。


 ――三百年前。


 人の記憶を超え、伝承としてしか残らない時間。だが、その痛みは、まだこの街に残っている。


 「今、我らが暮らす“ハナウア”は、巨木の周辺を避けて築かれた新しい街だ。」


 「だが、“炎の龍”は完全には去っていない。年に数度、雲海の向こうから火の粉が風に乗ってやってくる。」


 何日もかけて水魔法で消火するか、スコールが降るまで、街は恐怖の中に晒される――そう続けたミーネの声は、静かだった。


 「どうして……“炎の龍”はそんなことを……?」


 私の問いに、ミーネはすぐには答えなかった。しばらく沈黙が落ち、洞窟の奥で水滴の落ちる音だけが響く。


 「奴が何を望んでいるのか……誰にも分からぬ。」


 やがて、ぽつりと答える。


 「だが、かつて語られていた伝承がある。」


 彼女は立ち上がり、洞窟の奥へと歩み寄った。そこには、古い石碑が立っていた。風化した文字が、かろうじて読み取れる。


 「“赤き空を裂く焰の竜、母の命を奪わん。炎を鎮めるは氷の雨”――」


 「……氷の雨……?」


 思わず、声が漏れた。


 「詳しくは分からないが、“氷の雨”が“炎の龍”を退治しうるのだろう。」


 ミーネの眼差しが、鋭く私を捉える。


 「外から来た者よ。お前たちは、何者だ。なぜ、この街に来た?」


 私は一瞬、言葉を探し、ラウウルの顔を一瞥した。


 「……いや。私たちはただ、情報を集めて、安住できる地を探しているだけだ。」


 嘘ではない。だが、すべてを語ったわけでもない。ミーネは訝しげに眉を顰めたが、やがて小さく息を吐いた。


 「……ふむ、まあいい。」


 「せっかくだ。巨木の残骸を見て行くがよい。そこに“焰の爪痕”が今も残っている。」


 その声は、静かで、だが拒絶を許さない響きを持っていた。


 「それと……お前たちのその瞳は、この街では目立ちすぎる。」


 ミーネはそう言うと、私たちの前に立ち、それぞれの目に手をかざした。次の瞬間、視界がわずかに暗くなった。何をされたのか理解できないまま、隣を見る。


 「……瞳の色が、黒くなっている……。」


 「水魔法を極めれば、この程度のことは容易い。」


 ミーネが、どこか得意げに言った。


 私は、これで無用な面倒を避けられると安堵した。だが、ラウウルは、少し切なそうに、どこか寂しげに微笑んでいた。

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