-第十八話:霧に浮かぶ街-
森と湖を後にしてから、三日が経った。
行く手を阻む密林と、ぬかるむ獣道。小雨の続く空の下を進むうち、足元の苔も衣服も湿り気を失わず、蒸し暑さを肌で感じていた。だが、それでも東の空に見え始めた断崖と、その向こうから立ち上る雲海の姿に、心は逸っていた。
「ラウウル。あれが……俺たちが目指していた町だよね?」
俺の指さす先に、巨大な断崖がそびえている。断崖の上に浮かぶように見える木製の橋や、霧の中にぼんやりと浮かび上がる家々。まるで空中に町が生えているかのようだった。
「うわぁ……空の上にあるみたい……!」
ラウウルが目を輝かせる。視線の先には、いくつもの吊り橋が風に揺れていた。滝の音が遠くから響いてくる。断崖を流れ落ちる水が、まるで空そのものを割っているように見えた。
街の入り口は、断崖の中腹から伸びる細い登り道の先にあった。湿った石段には滑りやすい苔が生えていて、風が吹くたびに霧が吹き上げられる。
「滑るなよ、ラウウル。」
「う、うん……!」
慎重に登ることしばし。視界がぱっと開け、俺たちはついに街の玄関口にたどり着いた。
そこには、木と石で組まれた巨大な門があった。だが、門の左右には武装した猿人族の衛兵が並び、こちらをじっと見据えている。我々と同じ白い肌に白い髪、黒い瞳の鋭い眼差し。そして、腰には短槍、背には水筒と火打石のような道具。
「外来者か……ここで何を望む?」
中央に立つ年配の衛兵が、低く、だが柔らかく問いかけてきた。声には、威嚇よりも警戒の色が強い。
「僕たちは旅の者です。危険を避け、情報を集めに来ました。休息もしたい。もし許されるなら、街に入れてもらえないでしょうか。」
衛兵たちは互いに目を交わしたあと、後方にいる、背の高い猿人族を呼び寄せた。背筋の伸びたその人物は、腰に巻いた布に独特の紋様があり、胸には幾重にも連なる木製の首飾りを掛けている。おそらく地位の高い人間だろう。
「私はミーネ。語り部の一人。お前たちが嘘を語っていないか、確かめさせてもらう。」
彼女はそう言って、俺の目をじっと見つめてきた。その瞳は、まるで過去を見通すかのような深い黒色をしている。
やがて、ミーネは小さく頷いた。
「よい。ただし、滞在は“霧が晴れるまで”。それ以上は、評議会の許可が必要になる。規律を守り、法に従うこと――それが条件だ。」
「ありがとうございます。」
俺とラウウルは深く頭を下げた。彼女は俺たちの瞳の色について何も言及しなかった。そのことが俺には意外だった。この世界も都市は田舎ほど保守的ではないということだろうか。
こうして俺たちは、樹上の街「ハナウア」へと足を踏み入れることとなった。
高床式の道が何層にも連なり、木々の中に浮かぶ家々からは甘い果実の香りが漂ってくる。魔法で発光する苔が淡い緑の光を放ち、夜の街を幽玄に照らしていた。
だがその光の中に、ふと、異質な黒い影を見た気がした。
遠く、街の南方、燃え尽きたような巨木の残骸と、静かに立ち上る灰色の煙が見えた。
「……あれは何だろう?」
ラウウルが、背後で小さく呟き息を呑む。




