-第十七話:静寂のあと-
冷たい風が一陣、湖面を撫でるように吹いた。凍てついた巨体の表面に積もった霧氷が、さらさらと音を立てて剥がれ落ちていく。
「……すごい。」
ラウウルが恐る恐る、氷像と化した恐竜に近づいていく。その目には、恐怖と驚嘆が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。
「こんな魔法、初めて見たよ……蒼は一体何者なの?」
俺は答えず、氷塊となったティラノサウルス型の生物を見つめたまま、自分の指先を見つめた。大気中から集まってきた何か。魔力と呼ばれるものの本質が、少し理解できた気がした。
「ラウウル、仮説は……たぶん、正しかった。」
「仮説……?」
「魔法とは、材料の“分子”を操ることができる力。今回は、水の分子の運動を停止させて、構造を固定した。つまり、水分子に“命令”したんだ。『動くな』って」
ラウウルは目をぱちぱちとさせたあと、不思議そうに頭を傾げた。
「うーん……分子って何?」
「この世の全ての物は目に見えないほどの小さな粒でできているんだ。その粒の組み合わせのことだよ。」
ラウウルは理解したようなしていないような微妙な顔をしていた。地球の現代科学の基礎知識を知らないラウウルにとっては当然の反応だろう。
二人でしばらく黙っていた。氷像は、相変わらず沈黙の中でそびえ立っている。空気がひどく静かだった。あれほど暴れ狂っていた生物が、今はただの“物体”に成り下がっている。それは爽快感と同時に、強い虚無感をもたらした。
俺は足元の湖水に手を浸し、そっとすくいあげる。表面がほんのりと凍っていた。
魔法の余波か……。恐竜の体だけでなく、この湖の表層も、冷気に包まれていたらしい。
「……今の魔法、本当に凄かった。」ラウウルがポツリと呟く。
「“条件”が良かっただけだよ。材料として水が大量にあった。水のない場所だったら同じようにはできない。危ない賭けだった。」
「次に向かう街では、情報だけじゃなく、材料の確保も考えないと。どんな環境でも対応できるように。」
「わかった。蒼の“分子魔法”に協力するよ。」
「何それ?かっこいいね。」
二人で笑った。
氷像の向こう、燃え残った森の先に、また新たな音が響いていた。鳥たちのさえずり、風の囁き、遠くで獣が吠える声。命の営みが、再び動き出す。




