-第十六話:再来-
川辺を後にして東へと歩き出してから、すでに一時間ほどが経過していた。木々の背丈が高く日差しは弱いが、湿気と熱気でじっとりと肌が濡れる。背後からはラウウルの足音と、ときおり鼻歌まじりの声が聞こえる。緊張感のなさに少し苦笑しながらも、俺は地形や植物の様子を観察しつつ慎重に歩を進めていた。
ふと、足元に広がる黒い焼け跡が目に留まった。数メートル四方、草木が不自然なほどに焦げ落ち、空気にはわずかに燻された匂いが残っている。
「……ここ、何か燃えた跡があるな。」
「うん……何かが通ったみたい……。」
ラウウルも焼け跡を見つめながら、顔を強張らせていた。
そのときだった。
「……ッ!」
木々の向こう、数百メートル先で、地響きのような重低音が空気を震わせた。
ドン……ドン……ドン……。
「この音……まさか……!」
急いで近くの茂みに身を隠す。ラウウルもすぐさま俺の真似をして潜り込んだ。
数秒後、木々を押しのけるようにして、あの恐竜が姿を現した。昨日目撃した、炎を吐くティラノサウルス型の生物だ。赤褐色の鱗と黒い体毛、眼光は鋭く、地面を掘り返しながら進んでいる。
「なんで、また……!」
息を潜めて様子を伺っていると、その巨大な頭がこちらの方へゆっくりと向けられた。目が合った気がした。
「……ッ、マズい!」
直後、恐竜の喉元が脈打つように膨らみ、次の瞬間、轟音とともに真紅の炎が吐き出された。
「走れ!!」
俺とラウウルは茂みを飛び出し、全速力で森を駆ける。背後からは熱波とともに爆ぜるような燃焼音が追いかけてくる。木々が燃え、枝が落ち、草が炎に包まれてゆく。
「こっちだ!!」とラウウルに叫ぶ。
遠くの方に湖が見えていた。湖の方へ向かって必死で駆けていく。
ようやく湖にたどり着いたとき、後方の木々は炎に包まれていた。燃えた木々の間を奴が向かってきている。
俺は「魔法」についてある仮説を立てていた。今まで見てきた魔法―水、炎を生み出したり、鉄の球を飛ばしたり¬―はゼロから何かを生み出すのではなく「材料」を必要としていた。そして、川の水、死骸、鉄の球という「材料」と純水、炎、鉄の球の放出という「成果物」の間には共通点がある。それは「分子」だ。つまり、「魔力」によって「材料」に含まれる分子の構造や位置を操ることによって「成果物」を得ているという仮説が立てられる。
目の前には敵、後ろには大量の「材料」。これ以上ないほど良い実験の機会だろう。俺は左手を湖にかざし、右手を前方の敵に向ける。
“ラウウル式水魔法改”
湖面が一瞬、ざわりと波立ち、次の瞬間、空気が張り詰めたような冷気に変わった。
俺の左手が湖の水を引き上げ、無数の水粒子が空中で旋回する。まるで霧が逆再生されるように、水が一点に集まり、右手へと集中していく。
敵が吠えた。再び炎を吐こうと、喉元が脈打つ。
「氷結!!!」
右手から放たれた冷気が一気に前方へと拡散した。湖から引き上げた水粒子が魔力によって瞬時に凍り、透明な氷の刃となって風のように疾走する。
氷は敵の体表に触れた瞬間、鱗に沿って拡がった。まるで生き物のように這い回りながら、音もなく凍結が始まっていく。
敵が咆哮をあげる。しかし、その声は途中で途切れた。
喉元から始まった凍結は、たちまち全身に波及し、巨大な顎をも、脚をも、尾の先までをも包み込んだ。鋭く硬質な音とともに、恐竜の動きが止まる。
ラウウルが絶句したように呟く。
「……凍った、全部……!」
目の前には、まるで氷の彫刻のような恐竜の姿。咆哮の途中で凍りついた口元、今にも地を踏み鳴らしそうな前脚、そして怒りを宿したままの双眸。時間ごと封じ込められたかのように、動かない。
俺の肩で、冷たい汗が滴った。
「……実験は成功だ……」




