第75話:「晩餐」
「行くぞォオオオ!!」
九鬼が咆哮と共に地を蹴る。
その姿が――幾重にも増えた。
「……っ!?」
宮河の瞳に、九鬼が十、二十、三十……と広がっていく。
それぞれが実体を持つかのように、風を裂いて襲いかかってきた。
「なるほど……実体のある分身、ね」
鋭く動く刃の嵐。宮河は舞うように躱すが、ひとつ――短刀の一撃が頬を掠めた。
ピッ……と血が滲む。
だが、次の瞬間にはその傷は音もなく塞がれていた。
「……やるじゃない」
宮河は唇を舐め、にやりと笑う。
「でも、調子に乗りすぎたわね」
――ドン。
宮河の拳が唸りを上げ、一体の分身を吹き飛ばす。
ぐしゃっ!と音を立てて、頭部が潰れ、地に崩れ落ちた。
「ひとつ……」
もう一発。
「ふたつ……」
次々に拳や足が振るわれる。打撃だけで、次々に分身が破壊されていく。
その度に、実体のある肉と骨が砕け、血が舞った。
「あら、これ全部……ほんとに“生きてる”分身だったの?」
最後の一体を地面に叩きつけながら、宮河はゆっくりと立ち上がる。
「ま、いいわ。腹ごしらえになるし」
その声と同時に、彼女の背後から黒い影のような物体が伸びた。
渦を巻き、唸り声のような音を発しながら、倒れた分身たちへと這い寄る。
そして――喰らった。
バキッ……グシャッ……!
肉が裂け、骨が砕け、呻き声が闇に吸い込まれていく。
喰らい尽くす音が、霧の夜に鳴り響いた。
しばらくして、宮河は口元を拭いながら軽くゲップをした。
「……ちょっと、喰いすぎたかも」
彼女の足元には、黒い液体がぬかるみのように広がり、分身の痕跡すら残っていなかった。
そして――そのそばで。
九鬼本体が、下半身を失った状態で横たわっていた。
「……っ、が……かはっ……」
もはや反撃する力もなく、声にならない呻きを漏らすだけ。
どうやら、本体もあの“影”に巻き込まれていたらしい。
喰われた下半身からは大量の血が流れ、ぬかるみに混ざっていた。
宮河は彼を見下ろし、つまらなそうに目を細めた。
「ほんと、しょうもないわね。
……ま、最後に少しは楽しませてくれたから……良しとするか」
その言葉に、九鬼の目が薄れていく――。
瀕死の九鬼を見下ろしたあと、宮河はゆっくりと振り返る。
その視線の先にいたのは、両腕を失い、呻きながら地面にもがいている是津志緒里。
「……た、たすけ……て……! お願い……!」
是津は顔面を泥に擦りつけながら、震える声を絞り出す。
「わ、わたし……あなたの……奴隷にでも何にでもなるからっ……! 殺さないで……! お願いっ……!!」
その叫びは、無様で、情けなくて、どこか滑稽ですらあった。
だが宮河の表情は一切変わらない。無言で、是津に近づき――
「奴隷に?」
宮河は首を傾けた。
「ふぅん……でも、こんな手も足も出ない奴隷なんて、何に使うのよ。ねぇ?」
その声は優しげですらあった。だが次の瞬間――
ドンッ
宮河は容赦なく、是津の胸元を蹴り飛ばした。
「きゃああああああっ!!」
断末魔のような悲鳴と共に、是津の身体は弧を描いて――沼地へと叩き落とされた。
水面に血の波紋が広がり、泥水が跳ね、しばらくじたばたと音がした。
「やっ……やだ……苦しいっ……! 誰か……!」
だが両腕のない是津に、水面から這い上がる力など、残されていなかった。
バシャバシャと水をかく音は、次第に小さく、か細くなり――やがて沈黙に変わる。
泡だけが、ぼこぼこと数回、浮かんでは消えた。
静寂の中、宮河はひとつ、くすりと笑った。
「あーあ、死んじゃった。」
空を見上げ、退屈そうに吐き捨てるその姿には、もはや人間らしい感情の欠片すらなかった。
魔族――リィズ・テヘダ。
彼女の“本性”が、夜の霧の中で、静かに露わとなった。




