第74話:「狩る者、狩られる者」
「な、に……?」
九鬼が眉をひそめ、音のした方向へ目を向ける。
是津も目を細め、警戒心を滲ませながら声を放つ。
「……誰?」
霧の向こう、うっすらと人影が浮かび上がる。
ぬかるみの中、足を組み、岩にもたれるように座っていたのは――宮河。いや、リィズ・テヘダその人だった。
「……ほんっと、驚いたわよねえ、そこそこ痛かったし」
声も、姿も間違いなく“さっき倒れたはず”の本人。
口元には赤黒い血の跡が残りながらも、表情はどこか余裕すら感じさせていた。
「お前……っ!? さっき……確かに……!」
是津が、口元を引きつらせながら一歩下がる。
信じられないというように、震え混じりの声が漏れた。
宮河はあくびをひとつし、ゆっくりと立ち上がる。
「まあ、しょうがないわよね。人間じゃないから、その程度で“死ぬ”わけないのよ」
「……人間じゃ、ない……?」
九鬼が目を細め、喉の奥で低く唸る。
「ふぅ……」
宮河は額の髪をかき上げながら、淡々と言葉を継いだ。
「教えてあげるわ。私は“魔族”なの。ほら、人間と昔戦争したとかなんとか言われてる、あれよ」
一瞬、空気が凍った。
「……魔族、だと?」
「ずっとね、あんたの能力……“呪い”だって聞いてたから、魔族でも通用するのかもって思ってたのよ。だから避けてた。でも、今日ではっきりわかった」
宮河の赤い瞳が、是津を真っ直ぐ射抜く。
「それ、呪いでも何でもないわ。ただの、内臓ぐちゃぐちゃ能力。」
是津の顔が、わずかに引きつった。
「……ッ!」
「つまりね……いつでも殺せるってことよ。あんたも、そっちの忍者も」
その笑みは、先程までの彼女とはまるで別人のように、どこか“底の知れない恐怖”を孕んでいた。
九鬼が息を呑む。
是津は、さらに一歩下がりながらも負けじと叫ぶ。
「な……なら、もう一度触れてやる!今度こそ、動けなくしてやる!死ぬまで、何度でも!」
「ふぅん、いいわよ?」
宮河は手を軽く開き、構えのようなものを取るでもなく、ただそこに“在る”。
「……来なさい。その手をもぎ取ってあげる」
先程とは比べ物にならない殺気が、湿地の空気を切り裂く。
九鬼と是津の背筋に、見えない冷気が走った。
――彼女は“本物”だ。今までとは違う。
「……ッ、クソが……!」
「下がるな、是津!一気にいくぞ!!」
二人は同時に飛びかかる。
霧が裂け、月光が剣閃とともに煌めく――
しかしその先で待っていたのは、魔族の“本気”だった。
「行くぞ!」
九鬼と是津が同時に飛びかかる。霧の中で火花が散り、空気が裂けた。
だが――その刹那。
スッ――……
宮河の姿が、音もなく消えた。
「……っ!? どこだッ!」
九鬼が辺りを見回す。是津も構えを崩さず、背後へと目を配る。
しかし、どこにも姿はない。
数秒の静寂。
そして――
「こっちよ」
声と共に、再び現れた宮河は少し離れた位置で、ぬかるみの岩に腰掛けていた。
その右手には、血の滴る短刀が握られていた。
九鬼の目が見開かれる。
「……っ! それ、俺の……!?」
慌てて腰元に手をやる。そこにあるはずの短刀の感触が――ない。
「いつの間に……盗った……?」
宮河は、くすりと微笑みながら言葉を返す。
「その前に……お仲間の心配でもしたら?」
「……なに?」
そのときだった。
ギャァアアアアア――ッ!!!
是津の絶叫が、霧の奥から響き渡る。
「是津ッ!?」
九鬼が声の方に目を向ける。
――彼女は、両膝を地に落とし、悶絶していた。
そしてその足元には……両腕が転がっていた。
血がぬかるみに溶けていく。
九鬼の思考が止まる。
一瞬の間に、何が起きたのか理解できない。
「……嘘……だろ……?」
宮河は、手にした短刀をぬぐうことなく、無言で視線を九鬼へ向けた。
「あなたの刃、ちょっとだけ借りたわ。
感触は悪くなかったけど……少し鈍いのが残念ね」
是津は震える口で呻く。
「……わ、私……一度は……触れた……のに……」
「ええ、確かに触れられたわ。ちょっと苦しかった。けど……“もう慣れた”のよ」
宮河の目が細くなる。
魔族特有の、冷たくも威厳ある気配が全身から滲み出す。
「魔族にとって、“刹那”の動きがどれだけの意味を持つか――あなたたち、人間には理解できないでしょうね」
九鬼の背に冷たい汗が伝った。
今、確かに彼は“自分たちは狩られる側だ”と知った。




