第59話:「雨宿りの城」
城のような建物の中に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
外よりも静かで、音も吸い込まれていくような、異様な沈黙が広がっている。
明かりはところどころに蝋燭が灯っている程度で、全体は薄暗い。
石造りの廊下がまっすぐ続き、壁には古びた絵画や鎧が飾られていた。
皆が慎重に歩を進める中――
「……お客さんですか?」
低くも丁寧な声が、突然、目の前の闇から響いた。
「うわっ……!」
星也が思わず一歩下がる。
そこに現れたのは、長い黒髪を結わえ、姿勢良く立つ一人の女性。
静かながらも気品を感じさせる所作で、まるでこの場所の“管理者”のようだった。
年の頃は20代前半。着ているのは黒を基調としたクラシックなワンピース。
その瞳には警戒心も驚きも無く、ただ静かに、こちらを見ている。
枚方が一歩前に出て、落ち着いた口調で尋ねた。
「ここは……何の建物なの?」
すると女性は、微笑を浮かべながら答える。
「こちらはホテルです。中世の城をコンセプトに、私が改装いたしました」
宮河 綾夏と名乗った女性は、落ち着いた口調でそう語った。
「ホテル……まじかよ」
星也が口を開く。
「こんなとこに、ほんとに人が住んでるとは思わなかったけど……なんか、すげぇな」
陽も驚いた様子で辺りを見渡す。
「中世っぽいっていうか、本当にお城みたい……師匠、こういうの好きでしたよね」
枚方は軽く頷きながら、視線を巡らせている。
一見して、皆は驚きはしたが、特に怪しんでいる様子はなかった。
この悪天候の中、偶然見つけた避難場所であり、外も嵐。
とりあえず一晩休めるのであれば、それで良いという空気が流れていた。
しかし――
(……おかしい)
葵生は心の中で、僅かな違和感を拭いきれずにいた。
中世風とはいえ、建物の老朽化具合や内装の古さは、どう考えても「2年で改装された」ようには見えない。
そもそも、こんな場所に建物があること自体、公式の地図にも記録されていなかったはずだ。
そして何よりも――
宮河綾音という女性。
その微笑みと話しぶりには、明らかに「慣れ過ぎている」雰囲気があった。
(本当に、偶然出会った一般人、か?)
皆に不安を悟らせまいと、葵生はその場では口にしなかった。
だが、その瞳だけは、女性の一挙手一投足をじっと見つめていた。
「今夜はこのまま、どうぞ泊まっていってください。お代は結構です。天候も悪いですし…ね」
宮河は微笑みながらそう言った。
陽が振り返る。
「……いいんですか?」
「もちろんです。お客様に何かあっては大変ですから」
その声音には、まるで長年の宿屋の女将のような落ち着きがあった。
「助かる…! びしょ濡れでこのまま外泊とか、無理だったな」
星也が笑って肩をすくめる。枚方も小さく頷いた。
葵生も内心ではまだ疑念を抱えていた。
だが、嵐の音が建物を叩きつけるように響くなかで、これ以上の行動は現実的ではない――そう考え、一歩引いた。
(ここで無理に反対すれば、逆に浮くか…)
こうして一行はこの「宮河のホテル」に一泊することとなった。
まずは全員、びしょ濡れの体を温めるために風呂へ向かった。
立派な浴場には、外国風の装飾が施されていた。
「すご…何この風呂……」
陽はタオルを手にしながら驚きの声を漏らす。
「この国のものじゃないね、これ。何となく、海外の温泉宿?」
枚方も不思議そうに見渡している。
一方、葵生は風呂場の前まで来たが、
「風邪が長引いてて…湿気が良くない」
と言い訳し、ひとり廊下に残った。
(このタイミングで身体を無防備にするわけにはいかない)
やがて皆が風呂から上がると、入り口近くの広間には、夕食が用意されていた。
「不思議な建物だな…まるで別の国に来たみたいだ」
星也がそう呟き、手元の皿に並ぶ見慣れない料理をつつく。
「昔、訓練のために行った海外の合宿施設に似てる気がするわね」
枚方は落ち着いた様子でワイングラスに入った葡萄ジュースを口にする。
「でも、食材は新鮮です。味も悪くないし…不気味なほど整ってますね」
隼風は一口食べながら、周囲をさりげなく見渡す。壁に飾られた古い油絵、蝋燭の灯るシャンデリア。どこか時間の止まった空間のようだった。
そんな中、ただ一人、葵生だけが箸を進めずにいた。
「どうしたの、葵生? さっきから全然食べてない」
陽が心配そうに声をかける。
「いや、なんでもない。ちょっと疲れてるだけ」
言い訳のように言いながら、葵生は手に持ったスプーンをうっかり落としてしまう。
「……っ」
音を立てて転がったスプーンを拾うため、テーブルの下に体を滑り込ませる。
その時、目に入った――床に走る、不自然な切れ目。
(……床下に何かある?)
そして、その切れ目には、鉄製の留め具のような鍵がかかっていた。明らかに通常の構造ではない。まるで、誰かに「開けさせたくない」意図を感じさせる造りだった。
葵生は音を立てないように、静かに体を戻すと、何事もなかったようにスプーンを握りしめた。
「大丈夫? ずいぶん長く潜ってたけど」
枚方が冗談っぽく笑う。
「うん、ちょっと手が滑っただけ……」
葵生は笑顔を作ったが、目は笑っていなかった。
(やっぱり……この建物、普通じゃない)
――雨宿りの一夜が、静かに、しかし確実に、不穏な色に染まり始めていた。




