第58話:「師匠」
木々が鬱蒼と生い茂る中央区近くの大森林。
視界の悪い中、隼風たちは慎重に進んでいた。
そのとき――風が抜け、枝葉の向こうに一人の女性が立っているのが見えた。
長身で、鮮やかな橙色の髪が陽光に揺れていた。
隼風が一歩前に出る。
「……誰だ?」
だがそのとき、後ろから声が飛んだ。
「師匠っ!」
驚きに満ちた声だった。陽が、目を見開いたまま立ち尽くしていた。
女性が振り返る。
「……陽!? 本当にあんたなのか!」
駆け寄る陽に、女性は満面の笑みを浮かべた。
「師匠……本当に、師匠なの?」
「そうだよ。……久しぶりだね。三年ぶり、かな」
隼風たちは戸惑いながら見守る中、その女性はゆっくりと名乗った。
「枚方 柚月。今はどこの班にも所属してないけど……陽の、元師匠ってとこかな」
その名前に、葵生の目が鋭くなる。
「枚方柚月って……確か、数年前に引退したはずじゃ……」
「ええ。引退したってことに、してただけよ」
枚方は肩をすくめ、悪戯っぽく笑った。
「実際には、あたしはずっとフリーの立場で現役を続けてたの。戦える限りは、ね」
陽が目を見張る。
「どうして、今ここに……」
「昨日の暴動、知ってるでしょ? あたし、別の町にいたんだけど、あれを聞いて急いで戻ってきたの。
でも着いたのはついさっきでね、現場の様子を個人的に調査しようと思って、ここまで来たってわけ」
隼風が一歩前に出た。
「それなら……俺たちと一緒に動いてもらえませんか。今は、行方不明者の捜索任務中で――」
「もちろん。陽もいるし、話は早い。あたしもその任務に参加させてもらうわ」
そう言って、枚方はゆっくりと歩み寄り、陽の肩に手を置いた。
「……陽、元気そうでよかった。だけど、何か背負ってるみたいだね」
陽は少しだけ目を伏せたが、静かに頷いた。
「全部、話すから。……でもその前に、やらなきゃいけないことがある」
「そうだね。まずは――探そう。まだ、生きてると信じて」
こうして、捜索任務は思わぬ助っ人を加え、新たな局面を迎えることになった。
木々をかき分けながら、慎重に進む一行。
鳥の鳴き声すら遠ざかり、ただ風と足音だけが森に響いていた。
ふと、隼風の頭に、ある人物の顔がよぎる。
「……そういえばさ」
前を歩く葵生に声をかける。
「作戦に参加するはずだった奴……いたよな。名前、なんだったっけ.........」
それを聞いた途端、葵生が立ち止まり、振り返った。
「……昇塚 亘のこと?」
「ああ。結局、あの作戦に出てたって情報、あったのか?」
葵生はゆっくりと首を横に振った。
「……いや。参加リストには載ってたはずなんだけど、招集に応じなかったみたいでね。
何度か連絡も試みたけど……結局、居場所すら掴めなかったんだよ」
「そうか……」
隼風は空を見上げる。木々の隙間から差し込む光が、妙に遠く感じた。
「……何か理由があったのか、それとも……」
そう呟いた隼風の横を、枚方がすっと通り過ぎる。
「昇塚か……懐かしい名前ね。私も昔、一度だけ見たことある」
その言葉に、全員が振り向いた。
枚方は前を見つめたまま続ける。
「戦ってる姿は見てない。だけど、彼の周囲だけ、空気が違ってた。まるで空間が息をひそめてるみたいだった。……そういう人よ、あの人は」
誰も返す言葉がなかった。
捜索は続く。だが、隼風の胸には一つの疑問が重くのしかかっていた。
なぜ、昇塚亘は来なかったのか。
――それとも、本当に“来ていなかった”のか?
⸻
そんなことを考えているうちに、辺りに白く濃い霧が立ち込め始めた。
木々が徐々に霞み、すぐ隣の仲間の顔すらぼやけて見えなくなる。
「霧……!幹部の能力か!?」
星也が警戒の色を強めながら言った。
だが、葵生は首を振る。
「いや……ここは地形の関係で、霧が発生しやすいって報告があった。
行方不明者も、こうした自然の影響で迷った可能性がある……」
それでも、胸の奥に広がる不安は晴れない。
霧はただの霧とは思えないほど、異様に重く、冷たい。
そして時間だけが過ぎていった。
霧は深くなる一方で、空からはついに大粒の雨が落ちてきた。
やがて雷が轟き、雨脚はさらに激しくなる。
「まずいな、これ以上の捜索は危険だ」
葵生が判断を下し、皆も頷く。
「引き返すしかないか……」
隼風が一歩を踏み出そうとした、そのとき――
「あれは……?」
枚方が、霧の中に影を見つけた。
木々の間、濡れた地面の向こうに、巨大な建物が姿を現していた。
それは、まるで中世の城のような構造。石造りで、塔があり、風化した装飾が残っている。
「……なんだ、あの建物」
隼風が呟く。
「見たことがない。少なくとも、この街のものじゃない。……いや、この国でも……」
葵生は、眉をひそめる。
「え、じゃあ……誰が建てたの……?今でも人、住んでたりするのかな……」
陽が不安そうに声を漏らす。
その瞬間だった。
ギィイィィィ……という鈍い音と共に、目の前の巨大な扉が、ゆっくりと開いた。
重厚な扉の向こうは、暗闇。
だが、その奥から、まるで誰かが「招いている」かのように、微かな明かりが灯っていた。
しばし、誰も言葉を発せなかった。
この扉の向こうに、何があるのか――
捜索は、思わぬ方向へと進み始めていた。




