第53話:「暴徒の町」
幻影がかき消え、残されたのは静まり返った空間と、立ち尽くす隼風だけだった。
胸の奥で、何かが崩れていく感覚がする。
――辰月の言葉。
――父を殺したという事実。
――真の能力者による支配。
混乱が脳を支配する。思考がまとまらない。
そのとき、背後から駆け足の音が近づいてきた。
「おい! あの放送見たか!?」
仲間の声が飛び込んでくる。官野、廣海、末政の三人が駆けつけた。
彼らの顔にも緊張と苛立ちが滲んでいる。
「……ええ。辰月の、演説ですよね」
「最悪のタイミングで、最悪の爆弾を落としてきやがったな」
「街中のテレビがジャックされたって……今、どこも騒然としてるわよ」
言葉を交わす間もなく、隼風の通信機に緊急通話が入る。
《――こちら天宮。緊急事態発生》
全員が無言で耳を澄ます。
《辰月志楼の演説後、市内各地で支持派による暴動が発生。
建物への襲撃、市民への攻撃、施設の封鎖が確認されている。
現在、ユスティティア・ルカヌスの戦力は“作戦”により各地へ分散中。
対応可能な班は直ちに現場へ向かい、鎮圧にあたれ》
「……辰月の狙いはこれだったのか」
官野が呟く。
あの演説は、ただの思想表明ではない。
暴動を引き起こし、この都市を混乱に陥れる――そのための号令だった。
「迷ってる暇はない。私たちで止めるしかない」
末政は一歩前に出て、短く言い切った。
「天宮さん、場所を。俺たちは出る」
返事を待つことなく、4人は動き出した。
揺らぐ街を守るために――。
「廣海さん、お願いできますか」
隼風がそう言うと、廣海唯子は頷いた。
「ええ。第14班の支部は記憶してるわ。まだ周囲が荒らされていなければ、きっと行けるはずよ」
「本当に助かります……!」
隼風がそう言いながら、自然と彼女の手を取る。廣海もその手をしっかりと握り返した。
「官野さん、末政さんも――手を」
「わかってる。行こう」
官野が無言で手を重ね、末政も表情を引き締めながら続いた。
「一気に移動するわ。しっかりつかまってて」
瞬間、空気がぐにゃりと歪んだ。
視界が一瞬、白く弾け――
次に目を開けたときには、すでに第14班の支部の前に立っていた。
「……成功、ですね」
隼風が周囲を確認しながら、ほっと息をつく。
だが、安堵する時間はなかった。支部の周囲には、すでに何名かの他の班のメンバーと、応急処置を受けている負傷者の姿があった。
建物の外壁には焦げ跡があり、明らかに暴動がここにも及んだ形跡が残っていた。
「……間一髪だったか」
官野が低く呟く。
「これ以上、犠牲を出すわけにはいきません。私たちで止めましょう」
隼風の言葉に、3人の視線が重なる。
「了解。他の班との連携は私が取るわ」
廣海が即座に動き出し、残りの3人も支部内へと駆け込んでいった。
都市を覆い始めた混乱の波――
その最前線へ、彼らは向かっていく。
4人が第14班支部を飛び出してから、混乱の中心地まではそう遠くなかった。街のあちこちで火の手が上がり、車のクラクションや叫び声が響き渡る。
「……ひどいな」
官野が眉をしかめながら周囲を見渡すと、目の前の広場では多数の市民が物を投げ、建物に押し入ろうとしていた。
「ただの一般市民です……でも、このままだと危険です」
隼風の言葉に、末政がすぐさま反応する。
「やるしかないわね。能力は使うけど、決して傷つけないように」
「了解です!」
隼風が一歩前に出ると、足元から風が巻き上がった。
「――風よ、静めろ!」
彼が腕を振り下ろすと同時に、突風が広場全体に広がった。暴徒の視界を奪い、動きを封じるように風が渦巻き、彼らの脚をすくう。
「動きを止めただけです。いまのうちに!」
「行くぞ」
官野が地面を蹴り、目視していた建物の陰へと瞬時に跳ぶ。そこに隠れていた暴徒の一人を、素早く組み伏せた。
「悪ぃが、寝ててもらう!」
無力化された市民が気絶する直前、官野の目には一瞬だけ複雑な表情が浮かぶ。
一方で、末政は掌をかざして地面の水たまりを操り、その水を細い鞭のようにして暴徒の足元に絡めた。
「動かないで。これ以上暴れたら、本当に冷やすわよ」
水の鞭がピシリと空気を切ると、数人の市民が怯え、膝をついた。
「あと少しです! 廣海さん、後方の安全は――」
「任せて。避難ルート、確保してあるわ!」
廣海は背後の路地を指さしながら、確保した逃走経路へ向かうよう声を上げた。
「こちらへ! 怪我をしてる人も! 無理に抵抗しないで!」
その冷静な誘導により、混乱のなかでも多くの市民が武器を手放し始めた。
鎮圧は順調だった。だが、隼風の胸には一つの疑問が生まれていた。
(なぜ、一般市民がここまで統率されている……?)
その疑念が、次なる戦いの火種となることを、まだ誰も知らなかった。
雑踏と混乱の中、隼風は一瞬の静けさを感じた。
風が止み、騒ぎの音が遠ざかる。周囲を警戒して歩いていると、ふと視界に一人の女性が現れる。
細身の体にシンプルな黒いコートをまとい、軽く巻いたストールが風に揺れている。彼女の雰囲気――見覚えがある。
「……あなたは、あの時の……」
繁華街で、短く言葉を交わしただけの女。その記憶が、鮮明に蘇る。
「ここは危ない。すぐに避難した方が――」
だが、彼女は動かない。ただ笑った。そして、まるで詩を詠むかのように、意味の通らない言葉を紡ぎ出す。
「光は差し込まない。血の声が、支配の正しさを告げている。無能な者が上に立つ時代は、終わりにすべきなの」
隼風の眉がひそめられる。
「……何を言ってるんだ。意味が分からない。避難しろって言ってるんだ」
だが女の声は止まらなかった。まるで何かに取り憑かれたかのように、その口調は早く、激しく、尖っていく。
「能力の無い者は劣等だ。力なき者が平等を語るな! 目覚めろ、真の力を持つ者よ! 感情の檻から抜け出せ!」
ぞわり、と背中をなぞる寒気。
その時だった。
周囲の建物の陰や路地裏から、人々が現れた。目を見開き、怒りの形相を浮かべている者もいれば、涙を流しながら震えている者もいた。
「おい……?」
次の瞬間、数人が一斉に隼風に飛びかかる。
「くっ……!」
腕を掴まれ、足を押さえつけられる。一般市民のはずなのに、その力は異様なほど強く、執念めいていた。
「お前も、力に選ばれし者なのに、なぜ気づこうとしないの?」
女がゆっくりと近づき、隼風を見下ろす。瞳は異常に澄んでいて、そこに感情は無かった。
「私は暁野 蓮華。“目覚めさせてあげる”わ。あなたの中の本当の怒りと、正義と、――力を」
その瞬間、隼風の周囲にいる者たちの目が赤く染まり、叫びが街にこだました。
そして、また暴動が始まった。