第43話:「終焉なき夜」
末政は一度深く息を吐いた後、セシリアに向き直る。
「セシリアは負傷者の救護を。私は周囲にまだ敵がいないか確認する」
その言葉に頷き、2人はその場で別れた。
セシリアはすぐに崩れ落ちたままの葵生の元へと駆け寄る。
「……大丈夫、葵生ちゃん。完璧な処置はできないけど、ある程度の傷なら治せるはず」
優しく声をかけながら、セシリアは杖をかざし、静かに呪文を唱えた。
杖の先から淡い光が広がり、葵生の裂けた口元を包む。
痛みが引いていくのを感じながら、葵生は目を見開いた。
「ありがとう。それと…ごめんなさい。私の通報がもっと早ければ…」
悔しさと後悔が、葵生の声ににじんでいた。
あのとき、もっと冷静に、もっと早く行動できていれば...
だが、セシリアは小さく首を振る。
「責めたりなんてしないよ。あの場で、自分の身を顧みずに通報してくれた。それだけで、充分すぎるほどの勇気だよ」
優しい眼差しが、葵生の曇った心をそっと包み込んだ。
葵生は、涙をこぼす代わりに、小さくうなずいた。
「ありがとう、セシリアさん…」
戦いの終わりに残ったものは、痛みと傷、そして確かに繋がった絆だった。
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セシリアは、静かに横たわる天宮に近づき、そっと肩を揺すった。
「……天宮さん、起きて」
しばらくして、天宮のまぶたがわずかに開く。混乱したように辺りを見回し、そして自分の足に目をやる。
「わ、私……足、大丈夫なんですか?」
不安げな声に、セシリアは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「もう大丈夫。さっき治療したから、しばらくは痛みもないはず」
安堵の息をついた天宮の傍で、葵生がゆっくりと立ち上がる。顔には痛々しい傷がまだ残るものの、その眼差しには責任感が宿っていた。
「私は、これから救護所に行って、ちゃんと治療を受ける。だからその間、私の担当、代わりにお願いできるか?」
「え?急にそんな…私、出来るか分からない!」
天宮は目を丸くし、不安を隠さず口にする。だが、葵生は静かに、けれど強く言った。
「お願いだ。今、誰かが動かなきゃ。……天宮なら、大丈夫」
その言葉に押される形で、天宮はしばし黙り込んだあと、小さくため息をついてうつむいた。
「……わかりました。私にできることなら、やってみます」
ぎこちなくも、確かに頷いたその姿に、葵生は小さく微笑みを浮かべた。
戦闘の緊張が残る中、天宮は不安げに周囲を見渡しながら口を開いた。
「ここに留まるのは危険かもしれません。もし、また敵が来たら…。戦略班の施設は、一度移動させたほうが安全です」
その提案に他の隊員たちはざわめき、少しの間、意見が交錯する。だが、最終的には天宮の判断が尊重され、施設の移動が決定された。
一方、葵生はふらつきながらも立ち上がろうとする。
「私はもう——」
だが、セシリアが優しく肩を押さえる。
「だめ。治療が必要よ。ちゃんと休まなきゃ」
末政も静かに頷く。
「救護所まで一緒に行こう。歩ける?」
葵生は少し苦笑して頷き、三人で救護所へと向かう。
⸻
──救護所に到着したその瞬間、葵生の目の前に見慣れた背中があった。
「……隼風兄さん?」
風を切るような勢いで振り返ったのは、柄本隼風だった。目が合うや否や、彼は駆け寄り、葵生の肩をがっしりと掴んだ。
「おい、無事か!? その傷は!? 何があった!?」
その声音には、いつもの冷静さはなかった。動揺、焦り、怒り、そして深い不安が混ざり合っている。
妹の沙彩が重症を負ったばかりで、さらに葵生まで……隼風の心は限界に近かった。
「ちょ、ちょっと、落ち着いて兄さん…」
葵生が戸惑いながらも笑ってみせると、隼風の手が震えていたことに気づく。
それでも彼は無理に口角を上げ、平静を装った。
「葵生まで、もし…って考えたら、頭が真っ白になった。」
葵生は少しだけ目を伏せ、静かに呟いた。
「心配かけてごめん。でも、大丈夫。私はちゃんと戻ってきたから」
その言葉に隼風は一瞬だけ黙り込んだが、やがて深く息を吐き、葵生の額にそっと手を添えた。
「……葵生。生きててくれて、ありがとう」
ほんのわずかに滲んだ声だった。強い兄の、その奥にある家族への想いが、葵生の胸に染み入った。
そして隼風は、まだ意識の戻らない沙彩の姿を思い浮かべながら、心の中で強く誓った。
(もう二度と、妹たちをこんな目に遭わせはしない――)
隼風は、末政に視線を向けて静かに問うた。
「……で、コルティニーは?」
末政はほんの一瞬、表情を曇らせたが、すぐにまっすぐな目で答えた。
「倒した。だけど、尋問する前に終わらせてしまった。情報は…何も得られていないわ。」
「そうですか…」
隼風は眉をわずかにひそめる。何かを掴めなかった焦りを胸に沈めるように、深く息を吐いた。
「他の幹部は?現れたのか?」
その問いに、葵生が口を開く。
「夕音さんと千紗さん、それに官野さんたちが、別の2人の幹部と接触したって。3人とも無事だけど、その幹部には逃げられたって報告があったわ」
「……そうか。」
隼風の瞳が鋭くなる。その報告を聞きながら、葵生はさらに現在の戦況を丁寧に話し続けた。各班の状況、損害、失われた命。そして、これから立て直すべき点について。
夜の静寂が、ようやく訪れたかに思えた。
この長い戦いの夜も――終わりが見えたような、錯覚を抱かせるほどに。
だが。
――それは、嵐の前の、束の間の静けさだった。
「今日はもう、休もうか。明日に備えて」
セシリアがそう呟き、末政と共に寝床へ向かおうとした、その瞬間。
「えっ?」
足元に、ふわりと広がる違和感。靴の先が、黒い霧に包まれていることに気づく。
「……この霧、まさか……!」
末政がすぐに構え、セシリアも杖を構える。
黒い霧は、どこからともなく這い寄り、2人の足元を包み込みながら、まるで何かを告げるように、じわじわと濃く、深く広がっていった。
夜は、まだ――終わっていなかった。
黒い霧が末政とセシリアの全身を包み込む。
「……っ!?」
声を上げる間もなく、2人の姿は一瞬にしてその場からかき消えた。
──そして。
視界が晴れた時、2人が立っていたのは、見知らぬ広大な空間だった。四方は古びたコンクリートの壁に囲まれ、まるで時が止まったような重苦しい沈黙が支配していた。
空気は淀んでおり、息をするのさえ苦しい。無機質で、感情を拒むような空間。
その中で、響く足音。
「……誰?」
末政が警戒を強める中、暗がりの奥から、ひとりの男がゆっくりと姿を現す。
長身。赤と黒の装束に身を包み、黒銀の髪を背で束ねている。顔は冷たく、怒りを抑え込んだような表情が浮かんでいた。
「名乗ってやろう」
低く、静かな声が場を支配する。
「私は……アカコス・ルナンガ。妹の仇を討ちに来た」
末政とセシリアの目がわずかに見開かれる。
「……妹?」
「コルティニーの……?」
アカコスはうなずく。
「お前たちが……コルティニーを殺した。その報いを受けてもらう」
その言葉には叫びも怒鳴りもなかった。ただ、静かに。だがその奥には、怒りが燃え盛るように息づいている。
「……イヤホンに残された反応を辿った。あれは通信機としてだけでなく、微細な位置情報も発する構造になっている。お前たちの居場所は、すぐに分かった」
末政が舌打ちする。
「クソっ、そんな仕掛けまで……」
セシリアは一歩前に出て杖を構える。
「彼女が何をしてきたか、あなたは知っているの?」
アカコスは言葉に耳を貸さないかのように目を細めた。
「言い訳は聞かない。お前たちが“人”として扱わなかった相手を、“家族”として見ていた者がここにいる」
──戦いの幕は、音もなく、確かに上がろうとしていた。




