第3話:「初陣」
中央区――南端・港湾エリア
夜の港湾エリアは、普段の静けさとは裏腹に不穏な空気が漂っていた。月明かりが照らす倉庫と貨物の陰が、長い影を作り出し、潮風が吹き抜ける中で、何もかもが重苦しく静まり返っていた。耳を澄ますと、遠くで波の音が響くだけで、他には一切の音が聞こえない。
「ここだな……情報があった場所は。」隼風は周囲を見渡しながら言った。港の臭いが鼻につき、足元の不安定な石畳が歩きにくさを感じさせた。
白瀬はペンギンのドミヌスを具現化し、軽く地面を蹴って前に出た。ペンギンは無言で視線を左右に動かし、警戒を怠らなかった。静かな風が吹き抜ける中、その小さな存在は一層目立つ。
「何かいる……気をつけて。」白瀬は鋭い視線を周囲に向け、さらに慎重に足を進めた。ペンギンがわずかに身を震わせ、警戒を強めているのが見て取れた。
千紗も気を引き締めて、ドミヌスの虎を具現化させる。銀色の光を放つ虎が闇に溶け込むようにして姿を現し、その場に張り詰めた緊張感が広がった。
「ここに不審者が……」隼風はつぶやき、周囲の気配を感じ取る。心臓の鼓動がわずかに速くなり、足元の影に目を凝らす。
その瞬間、物陰から何者かが飛び出した。
「いたぞ!」隼風が声を上げると、黒いフードをかぶった男が駆け出した。暗闇の中でひときわ目立つその動きに、隼風は反射的に風を巻き起こし、その男を追い始める。「逃がすか!」
「虎、行けっ!」千紗の声と共に、虎が疾走を始め、白瀬もペンギンを駆使して進路を探る。3人は互いに連携しながら港湾エリアを駆け抜け、影を追い詰めていく。しかし――
「何、この霧……!?」白瀬が驚きの声を上げた。霧は、まるで生き物のように一気に広がり、目の前をすっかり覆い尽くす。視界が一瞬で遮られ、足元を取られたように、3人の動きが止まる。
「撹乱してるのか……!」隼風は言いながら、風を巻き起こして霧を吹き飛ばそうとする。しかし、霧はあっという間に再び立ち込め、隙間なく覆いかぶさった。風を使いこなす隼風でさえ、霧の中ではその力が無力化されるように感じた。
「この霧、何か変です……!虎でも探れない!」千紗の声に焦りが滲んでいる。その表情を見て、隼風もまた不安を感じた。
「視覚だけじゃない。音も、気配も……かき消されてる。」白瀬は冷静に周囲を見回すが、ペンギンもまた動きを止め、警戒していた。霧に包まれる中で、どこか遠くから響くような気配を感じるものの、それが何かはわからない。
「くそっ、どこに行った!?」隼風は視界を凝らしながら叫ぶが、霧がますます深く、次第に不気味さを増していく。
そして、霧がふっと晴れた。
「……逃げられたか。」隼風は呟くが、視界に犯人の姿はもうどこにもなかった。
手がかり
霧が晴れた後、辺りは一層静まり返っていた。隼風は悔しそうに息を吐きながら、足元に違和感を覚えた。何かが、ここに残されているような気がしてならなかった。
「ん?」隼風が目を向けると、地面に一枚の紙が落ちていた。
「地図……?」隼風がその紙を拾い上げると、それは古びた手書きの地図だった。地図の表面には、ところどころが擦り切れていたが、それでもわずかな線がはっきりと描かれていた。
「なに、それ?」白瀬が隼風の手元を覗き込む。
地図には、港湾エリアから少し離れた場所に赤い丸が書き込まれていた。その赤い丸は、あたかも「ここに行け」と指し示しているようだった。
「これ……犯人が落としていったんじゃないですか?」千紗が眼鏡を直しながら地図を指差し、尋ねた。
「間違いない。これは……何か意味がある地図だ。」隼風は深く頷き、地図をしっかりと握りしめた。その手がわずかに震えているのが感じられた。
「赤い丸の場所、気になるわね。」白瀬がその場所を見つめながら言った。その言葉に隼風は力強く頷く。
「手がかりはこれだけだな。」隼風は少し考えてから言うと、「一度戻るぞ。」とその場を離れることに決めた。
3人は静かに夜の港湾を後にした。だが、隼風の胸の中には、霧の能力者の不気味な気配と、この地図に示された場所への疑念が静かに渦巻いていた。