喫煙
ARAREすきですね。レゲエウイルス鬼リピしてます。みなさんは好きな音楽ありますか?
最近はスガシカオがドライブソングになりつつあります。新しい人との出会いもあったので。
午前の10時半をまわったところで、7.8人くらいの患者が院内散歩の外出ボードに名前を書いた。そこには、上下の服の色と、ライターの貸し出し、スマホの受け取りなどを記入する。
マキはうんざりした。スマホも自由に触らせてもらえないなんて。坂下、古沢、一宮、杉原はライターの欄にチェックをつけていた。
マキは坂下に聞いた。「皆さん煙草吸うんですか?」
「そうだよ。ここで吸う煙草は格別なんだ。激しいランニングをしたあとに飲む水くらい旨いね」
「坂下さんはなぜ精神病棟に?」
「ちょっと、シャバにはあきたのでね、ちょっと一休みさ。たまには健康的な生活をしないとね」
わたしとは大違いだ。この人には余裕がある。
「君、小説は好きかい?」
「まあ、人並みには読みます」
「小説はいい。特に海外古典文学だね。デュオニソス的というのかな、杉原さんも納得してくれるはずさ」
「私はアポロ的芸術感覚の方が好きですけどね」
「ほう」
「杉原さんはどうなんだろう、幇間的なところもあるからね、案外ドーリス式だったりして」
「まさか(笑)」
「まあ、たしかに彼にスパルタ式なところがあるとも言えないな」
なんて談笑しているとライターが配られた。閉鎖空間からの解放というわけだ。
マキは外の空気が澄んでいることに気づいた。というより、閉鎖病棟の空気がよどんでいたのだ。
四人はコーヒーやらコーラやら買って、早々と喫煙所に向かった。
喫煙所はトタン屋根でできていてとても簡素だった。真ん中にバケツ型の灰皿がひとつ、三人入るのが精一杯だった。いや、雨の日は四人が四隅に入ることだってある。
マキもスマホ片手に着いていった。
ここで本田という老人も煙草を吸いに来ていることがわかった。
すごく聡明そうな目をしていて、中肉中背、頭には髪がなくつるっぱげだった。マキは気になってその老人に話しかけてみた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちはお嬢さん。ずいぶん若そうにみえるけどねえ」
「16歳です」
「ああ、そうかい。こんなお爺さんのアドバイスを聞くかい?」
「ええ、ぜひ」
「人々は独立し命令するように予め定められているものだということに対して、自分自ら試練を与えなければならない。しかも時を逸することなくそうしなければならないよ。その試練が恐らく彼の賭しうる最も危険な賭事であろうとも、自分の試練を回避してはならない。しかもそれはわれわれ自身をのみ目撃者として行われ、いかなる他の裁判官の前にも持ち出されない試練であるよ」
「ニーチェがお好きなんですね」
「ほう、賢いお嬢さんだ」
「本を読むのは好きなんです」
「ほう、そうかい。それはすばらしい習慣だ」
「ありがとうございます、では、また」
「入院生活楽しんでくれたまえ。なにしろここは俗世から隔離されているからね」
「はい」
マキは煙草を吸っている人の横顔をみるのが好きだ。特に古沢という女性の横顔に惚れてしまいそうだった。
「それで、聞いてくださいよ~」杉原がおちゃらけた表情で場を盛り上げる。
「自転車で坂道走ってたんですよ。速度が70キロくらい出て。そしたら突然鹿が飛び出してきたんです。鹿と衝突して吹っ飛ばされました。なにせ速度が出ていたもので。死にかけました(笑)」
「それはお前が悪いな」古沢がツッコむ。
「ふふふ」マキも思わず笑ってしまう。坂下さんの言う通り杉原は幇間的だなと思った。
「杉原さんはエピソードが尽きないね。いくらでもおもしろ話を持っている。それにみんなで吸う煙草は格別だ。なにしろ昨日の午後2時から煙草を吸っていないんだから。煙草が美味くて仕方ない」坂下が言う。
「そうですね」一宮も賛同する。
「つい三年くらい前までは病棟内でも吸えたんだけどなあ」古沢がつぶやく。
「マジっすか!最高じゃないっすか!」杉原は独特な吸い方をする。煙を吸い込んだ後、上を向いて煙を気持ちよさそうに吐き出す。
「コロナで病院法が変わりましたからね」一宮が言う。「2020年くらいでしたかね」
「こっちは煙草吸うのが唯一の楽しみなんだぞ。病院側もなに考えてるんだか。大体政府もなに考えてるんだかわかりゃしないね。今の日本は腐ってる。政治資金もうるさい話だね。また病院に文句言うために外部の人呼んでやるさ。こっちも出るとこ出てやる」古沢が毒づく。