ある奇妙な人物
そうこうするうちにマキは精神病棟に到着した。厳重な二重ロック。たとえひとつの扉を看護師が開けた時に逃げだしても、もうひとつの扉がマキの前に立ちふさがることになる。ここからは絶対に脱走できない。それが到着した時のマキの感想だった。
「やあ、ここははじめてかい?」20代後半くらいの男がしゃべりかけてきた。
「初めてです」マキは警戒しながら答えた。
「精神病院に来るには、ちと若いね。年はいくつ?」
「16です」
「こりゃたまげた。まさか16歳の女の子が来るなんて!」男はおもむろにグータッチを求めてきた。
マキもグータッチを返す。これには何か理由があるのだろうか?
聞くところによると、男は29歳で平凡な顔立ちをしていた。名を坂下というらしい。度の入った眼鏡をかけて、体格は痩身、髪の毛はほとんど黒だが、ところどころ茶色のメッシュが入っていた。
「まあ、ゆっくりしていきな。ここには時間という概念がないからね。側というものがないんだ。そういうものは、ここには存在しない」
「なんだか禅みたいな話ですね。考え方のシステムとしては面白いけど、それ自体ではなんの説明にもなってない」マキも言葉を返してみる。
「人生というものは、その渦中にある人々が考えているよりずっと限定されたものなんだ。あるいはそれは十数秒のことかもしれない」男は満足気に言った。
「はあ」
「さあ、精神病棟を案内しよう」男は言った。「さあさあこっち」坂下が食堂へと案内してくれた。
食堂には三人の男女がすでに腰かけていた。
「若いね」一人の女性が言った。年の頃は30代半ばといったところだろうか。全身黒づくめの恰好で、目の奥は怪しげに光っていた。
「はじめまして。マキといいます」
「古沢だよ。よろしくねお嬢ちゃん」
「よろしくお願いします」
マキは一目見た時からこの女性を気に入った。なんだかマキを包み込んでくれそうな感じがあった。
坂下が言う。「こっちが杉原さん。こっちが一宮さん」
「やっほー、杉原でーす。ミュージシャンの卵やってまーす」
「こんにちは。一宮です」
坂下が言う「杉原さんは、ここで作曲活動してる。路上で弾き語りしてる叩ぎあげのアーティストだよ」
杉原は端正な顔立ちで、いかにも女性にモテそうなタイプだ。年のころは28だと言う。
「こちらは一宮さん。みんなの頼れるお兄さんだよ」
一宮は体格がよく身長は180CM体重は95キロだという。歳は45だそうだ。
「あー、ここはね急性期病棟といって、一時期調子を崩した人が来る場所なの」吉沢が言う。「さらに奥に一般病棟ってところがあって、そこはマジでやばいやつが入るところなの。三か月までは急性期にいられるよ。お嬢さんも三か月以内にここを退院することを勧めるよ」
「なるほど」
「大体ねファシズムがいけないのよ。精神障害者は社会の弱者ってわけさ」吉沢が続ける「大体狂ってるのよこの世の中」
「まあ、落ち着いて吉沢さん。ここで会ったのもなんかの縁すよ」杉原が仲裁に入る。
「だといいんだけどね~。まあここでの娯楽といったら、おしゃべりと、午前午後の30分ずつの喫煙。そんくらいだね。食事はまずいし、なかにはやばい患者もいる」