悪役令嬢
失敗した。
次の日も、その次の日も王太子ヴァルラムは同じ場所で待ち構えていた。
そして話をしたいからとお茶に誘ってきた。
断れば失礼になってしまうので誘いを受けるのだが、そうなるともう図書館には行けない。
主に行政に関する様々な質問を受け、それに答えているうちに日が暮れてしまうのだ。
しかも図書館に行くには必ず通る場所なので避けようもない。
何が悪かったのだろう。
アリスの知識や感覚を総動員して考えたところ原因になりそうな点が二点あった。
一点目は色目を使わなかったことだ。
大抵の貴族令嬢は王太子の歓心を得ようと心を砕くものらしい。
しかしアリスの態度はそれとはかけ離れたものだった。その為却って興味を引いてしまったのかもしれない。
しかし無用かつ危険な人間関係をつくる訳には行かないし、初日に至ってはヴァルラムの婚約者たるカタリーナも居たのだ。それ以外の態度はとりようがない。
もう一点はヴァルラムの知らない知見を披露したことだ。
それによって共に語るに足る相手だと見做されてしまったのかも知れない。
しかしあれは避けられないことだった。あの政策が実行されていれば近い将来必ずや国が傾いていたことだろう。
どちらも止むを得なかった。
避けられなかったというよりむしろ愚策を止める事が出来て幸運だったと見るべきだろう。
ならば反省はこれぐらいにして今後どうするかを考えよう。
目下の問題は三点だ。
一点目はヴァルラムの所為で図書館に行けない事。
二点目はヴァルラムとの関係を噂され始め一部の生徒に妬まれている事。
最後の問題はヴァルラムが望むアリスは俺であって本当のアリスではないという事だ。
一点目は憑依を終わらせる為の調査が進まない原因だし、二点目は将来のアリスにとって禍根となるだろう。
最後の問題も解決しておかねば俺が去った後にアリスと王太子の双方が不幸になる。
幸いいずれも根は一つ。ヴァルラムだ。
ならば非常に詳しいはずの人物が一人いる。彼女に相談すべきだろう。
◆
カタリーナに手紙を送ると、彼女は翌々日に時間を取ってくれた。
指定された場所は学園の談話室。わざわざ人払いまでしてあるようだ。
「本日はお時間を頂きありがとうございます。ですがお体の方は大丈夫でしょうか? お辛い様でしたら日を改めさせて頂きますが」
実は昨日、カタリーナは学園を休んでいたのだ。熱を出して寝込んでいたのだそうだ。
今もかなり顔色が悪い。少し心配だ。
「有難う。大した事はないから大丈夫よ。それに私の方も今日中にお話ししたいことがあるから、悠長に寝ている暇はないわ。でも一先ずあなたの用件を伺いましょう」
そう言ってカタリーナは儚げに微笑む。その様子に庇護欲が掻き立てられる。
俺は自分が既に死んでしまっていることを少しだけ残念に思った。
そんな気持ちを振り払い、俺は適当な理由を付けてヴァルラムと距離を置く方法について相談を持ち掛けた。
「成程ねえ。ねえアリス、あなた転生者ではなくて?」
「転生者? 何のことでしょう?」
この国には生まれ変わりという概念がある。だから転生者という単語の意味は解る。
しかしそれは迷信の類い。真面な人物が口にすべき事柄ではない。見識を疑われてしまう。
そもそも俺はアリスに憑依している鬼で、転生者ではない。憑依も迷信扱いだから口にはしないが。
それにしても、今の俺の話を聞いてどうしてそんな言葉が出てくるのだろう。
「隠さなくてもいいのよ。いえ、分かる人には分かるようにしているのかしら。
前世を思い出した私にははっきり分かるわ。その髪型、どう見ても“もミズラ”よね。本来のアリスはもっと普通の髪型をしているはずなのに。それにあなたの印章、私宛の手紙に捺されていたのは金印の文言よね。あれを知っているのは“二ホン”人ぐらいのものよ」
「二ホン……? 二ホンとは何でしょうか?」
彼女はアリスの髪型を美豆良と言った。明らかに倭の言葉だ。つまり彼女は倭を知っている。そしてどうやら金印についても知っているようだ。人里離れた場所に隠してあったのだが見つかってしまったのか。一体どうやって見つけ出したのだろう。呪術で祖父の霊あたりを降ろして聞き出したのだろうか。
しかし“二ホン”とは聞き覚えのない名だ。
彼女の発言から考えて、二ホンも倭と関係しているのだろう。
もしかしたら奴国から遠く離れた所にある国の名かもしれない。そこが勢力を伸ばし奴国の故地を制圧した、というのはあり得る。
しかし俺がアリスに憑依してから僅か半年。そのような短期間で聞いたこともないほど遠方の国が奴国まで進出する事が出来るものだろうか?
いや、そもそも半年というのが誤りなのか。
カタリーナは「前世を思い出した」と語った。それが正しいなら彼女は転生者で、この国で生まれて既に十数年を過ごしている事になる。
彼女が前世で金印を見たか聞いたかしたのは恐らく俺の死後。それより前に外部の倭人が文言を知る機会はなかった筈だ。漢への公式な通信にだけ捺された印なのだから。
そう考えると今は俺の死後、少なくとも十数年は経っている。
俺が死んでから憑依するまで、感覚的には切れ目のない一連の出来事だった。死んだ事に気付かなかった程だ。いつの間にか昼から夜になってはいたが、季節が同じ冬の終わりだったから同日の出来事だとばかり考えていた。しかし実際にはそうではなかったのだろう。俺は暫く「死んで」いたのだ。
その期間も、もしかしたら十数年どころではなくもっと長かったのかも知れない。なにしろ前世のカタリーナが何時亡くなったのか分からないし、しかもその後長い間「死んで」いたのかも知れないのだから。
俺が知っている奴国の民はもう全員黄泉の国に下った後、という事すら十分に考えられる。
「そういうスタンスで行くのね。ま、いいわ。一応言っておくと、私も二ホンからの転生者よ。
それで、実は私の方にも大事なお願いがあるのよ」
そこまで言うと、カタリーナの表情が真剣なものになった。
「さっきの話を聞いたばかりで悪いのだけど、そのままヴァルラム様との仲を深めて欲しいの。何時までも、という訳ではないわ。具体的にはあと二十六日間よ。他にもその期間内に攻略して欲しい人が五人いるの。でないと私が死ぬから」
「死ぬ、とは穏やかではありませんね。宜しければ理由をお聞かせ願えますか」
「勿論よ。その為にわざわざ人払いしたのだから。
気付いてないみたいだけど、ここはとある“オトメゲー”の世界なの。『キズナハ ナナイロニ キラメク』、通称『ナナキラ』ってタイトルの。聞いたことある?」
「いいえ」
カタリーナはこちらの言葉とは異なる、倭の言葉のような響きの語を並べて来た。
しかし殆ど意味が取れない。“ナナイロ”は恐らく「七色」だろう。解ったのはその位で他はさっぱりだ。恐らく二ホンの方言なのだろう。同じ倭の言葉でも遠隔の地では大分異なるからな。
「そう、残念。知っていれば話は早かったのだけど。
それじゃあ最初から説明するわね。私は全ルートを制覇したし、“スチルコンプ”の為にやり込んだからこの先の成り行きはよく知っているわ。ちなみにあなたがヒロインで私が悪役令嬢よ」
そうして聞かされた話は驚くべきものだった。
オトメゲー等意味の取れない単語は幾つも出て来たが、それでも大筋だけは何とか分かった。
カタリーナには少し先までの未来の知識があるあるらしい。
それも幾通りもの未来だ。
その未来の中ではアリスはヴァルラムを含む六人の“ヒーロー”の内、誰かと絆を結ぶ。
一方のカタリーナは魔王復活の依り代になってしまう。神話に語られる「月の王」という魔王だ。その魔王の魂の封印が解け、偶々霊媒の素質を持っていたカタリーナが憑依されてしまうのだ。
そして世界は危機を迎える。
アリスはヒーローと力を合わせて魔王と化したカタリーナを倒すのだそうだ。
勿論成功する未来ばかりではない。
二人の絆が弱い場合ヒーローは死ぬ。カタリーナと刺し違えて。この場合魔王は再度眠りにつく。
絆が弱すぎるか必要な魔法を修得し損ねている場合、魔王を止められず世界が終わる。
条件を満たせば魔王を滅ぼせるのだが、当然ながらその体であるカタリーナも死んでしまう。
唯一、六人のヒーロー全員と絆を結ぶ“グランドフィナーレルート”でだけ魔王の憑依が解け、魂のみを滅ぼすことが出来る。カタリーナが人間として生き永らえるのはこの道筋だけだそうだ。
信じ難い話ではあるが、本当に起こるのならカタリーナの為……ではなくアリスの為にも対処しなくてはならない。
いや、世界が終わるという話が大袈裟でないのならこの国だけの問題ではない。大陸の反対側、倭と奴国にとっても大問題だ。とても捨て置けない。
そして話の中に聞き逃せない言葉が出て来た。
「憑依が解ける」
やはり方法はあるのだ。それは是非とも聞いておきたい。話をもう少し掘り下げよう。
「突拍子もない話ですね」
「確かにそう思うのも無理はないけど、でもきっと起こるわ。
実は私が記憶を取り戻したのは一昨日、あなたの印章を見た時なの。そしてここが『ナナキラ』の世界だと気付いた。
私自身、信じたくなくて昨日丸一日かけて思い出せる限りの設定やストーリーを書き出して、これまでに実際に起こった事と比べてみたわ。私がカタリーナとして見聞きしていない情報も分かる限り調べた。
でも調べれば調べるほど、物事がストーリーから外れずに進んでいる、そう信じざるを得ない情報ばかりが出て来たの。
今からストーリーを覆せるかどうかは分からない。だからあなたに正攻法でクリアしてもらうのが一番確実なのよ。運のいい事にあなたはヴァルラム様の好感度をかなり稼いでいるから、今から始めても十分に間に合うわ」
そこまで言うと、カタリーナは一冊のノートを取り出した。
「私はあと六日で魔王に憑依されてしまうけれど、今後の成り行きは全部このノートに纏めてあるわ。
あなたの取るべき行動は基本、指定の日時に指定の場所に行ってヒーロー達と話をするだけ。その合間に魔法の修得ね。いつ何処に行って何をすべきか、選ぶべき選択肢なんかも漏れなくノートに書き出したから、それに沿って動けば大丈夫なはずよ」
「質問があります。どうやって魔王の憑依を解き、そして滅ぼすのですか? 封印された状態で滅ぼすことは出来ないなのですか?」
「外から憑依を解く方法は分からないわ。グランドフィナーレルートでは魔王が自主的に体から離れるのよ。
もう少し詳しくストーリーを話すわね。
カタリーナに憑依した魔王はアリスに目を付ける。カタリーナより強く膨大な魔力を持ち、しかも霊媒としても並外れた資質を秘めているからよ。
アリスに憑依すれば魔王は完全な形で復活できるの。
でも憑依するための条件が足りない。その条件とは心の闇。アリスの心には恨みや妬み、憎しみといった感情が少なすぎたのよ。
そこで魔王はカタリーナの立場を利用してアリスを虐める。恨まれ憎まれる為にね」
魔王はそのままではアリスに憑依できない。ということは残念ながら既に憑依している俺とは違うのだろう。
しかしながら成り行きを聞けば何か手掛かりになる情報があるかもしれない。
「でもなかなか魔王の思う通りに心の闇は大きくならない。性格的な物もあるけど、魔王が憑依する前に二人は既に仲良くなっていて、アリスがカタリーナを信じているからよ。だから魔王は虐めをエスカレートさせ、やり過ぎてヒーロー達の知る所となる。
最終的には正体が露見して戦いになるわ。
ここまでの流れはどのルートでも同じよ。
通常ルートなら、ヒーローとアリスがカタリーナごと魔王を倒すの。魔王は目覚めたばかりだし、カタリーナの体を捨てるつもりだったから半端な憑依状態で十全には力を使えない。そうは言っても決して弱くはないのよ? でも魂が体から逃げ出す前なら体ごと殺せるの。
グランドフィナーレルートでは、アリスが六人のヒーロー全員と絆を結ぶわ。
このルートでは決戦に至るまで時間がかかるの。その分だけ魔王が力を取り戻していて、決戦ではヒーロー六人がかりでも手も足も出ない。全員が倒されてしまうの。
目の前でヒーロー達を傷つけられて、そこで初めてアリスが激しく怒る。その怒りを足掛かりに魔王はアリスに憑依しようとするの。
でもアリスの中には六人のヒーローと、それから本来のカタリーナとの間に育んだ七色の絆があって魔王の魂を跳ね返し、そのお陰で憑依は失敗するの。それどころか魔王の魂の守りが失われて魂自体に攻撃できるようになるのよ。
逆に言うとそれまでは魂に攻撃は通らないわ。確証はないけれど多分封印が解ける前でも駄目だと思う。そうでなければ昔の人が封印後に滅ぼしていただろうし」
「成程、大凡分かりました。
お話が全て真実と仮定しての話ですが、一つだけ不安な点があります」
絆の色とは何か等細部には未だ疑問点が多いのだが、それを置いても大筋の部分でカタリーナの案には重大な問題点がある。
「真実かどうかはこのノートを見て、今後の成り行きと比べてみれば判るわ。
それから不安なのは『心の闇』の事よね。それについては悪いけど頑張ってとしか言えないわ。虐められても怒ったり恨んだりしては駄目よ、その瞬間魔王に憑依されてしまうから。
ノートにはどんな嫌がらせをされるかも書いてあるから、それを読んで心構えをしておくといいわ」
「いえ、その点ではありません。問題はカタリーナ様自身が憑依されてしまう事です。記憶を覗かれてしまう可能性はないでしょうか。もしそうなれば対応されてしまうでしょう」
もし魔王が俺同様に依り代の記憶を読めるのならば、今後の展開が筒抜けだ。その場合カタリーナの案は達成不可能になる。
「あっ……ああっ!! 言われてみれば確かに、魔王はカタリーナの記憶を使っていたかも! どうしよう……」
カタリーナが真っ青になった。
無理もない。不安の中で見つけたたった一筋の希望が紛い物だと判ったのだから。
その様子は余りにも痛々しく、胸が締め付けられる。
つい自ら定めた「アリスの為に必要最小限」という規範を踏み越えて助けたくなってしまう。
無論今回に限って言えば、その最小限の為に全力を尽くさねばならない可能性がある。やるべき事は変わらないかも知れない。
しかしこの気持ちはいけない。
時が来れば俺は去る。去るべきなのだ。だから余計な気持ちに囚われるべきではない。
俺は心を落ちつかせ、考えを纏めると彼女に話しかけた。
「やはりそうでしたか。
そうなると事前に対策を講じるより他ないでしょう。私に一つだけ考えがあります」
【メモ】
日本: この国号が使われ始めたのは主人公タケルの時代よりずっと後、七世紀後半から八世紀初めの間らしい。しかも当初は二ホンとは言わず「ニッポン」もしくは「ジッポン」だったとか。二ホン読みはもっと後。(そもそもハ行をハヒフヘホと発音するようになったのは江戸時代から。戦国時代の発音はファフィフフェフォで、“にほん”は「ニフォン」と発音されていた。さらにずっと遡ると奈良時代にはパピプペポだったそう)