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王太子

 通常なら男爵令嬢如きが王族に直接話しかけるのは非礼だ。しかしここは学園内でお互いに学生同士。話しかけても礼を失する事にはならない。


「お話し中失礼します。魔法学園本科一年、ボーデ男爵家のアリスと申します。今仰せになられた事柄につき申し上げたき儀があり、不躾ではございますが声をかけさせていただきました。発言を許可していただければ幸いです」


「なんだ、男爵家の者か。それが王太子殿下と私との会話に差し出口をしようとは烏滸がましい」


 オットーが家の爵位を理由に(そし)るが気にしないことにする。そもそも貴方がしっかりしていれば俺もこんなことをしなくて済んだのだ。


「まあ良いじゃないかオットー。個性的な髪型のお嬢さん、まずは座りなさい。そして君の思う所を聞かせてくれないか」


 ヴァルラムは俺を変な渾名で呼んだ。

 確かに俺は未だ美豆良(みずら)のままだ。そして他に見ない特徴的な髪型であることは確かだが、名乗ったのに名を呼ばないのは侮られている証拠だ。

 まあ良い、発言の許可は得た。


「有難き幸せに存じます。申し上げたき儀とは他でもない、国庫での穀物の備蓄の事で御座います。これは是非とも継続していただけますようお願い申し上げます」


 そう言うとオットーが怒鳴りつけてきた。


「貴様、殿下が旧弊を打破しようというのに反対すると言うのか!」

「よい。理由を聞かせてくれ」


 一方のヴァルラムは少なくとも表面上はにこやかだ。聞く耳は持っているようで有難い。


「はい。そもそも国の安寧を維持する事は王たるものの務めと存じます。その為には二つの物に備えなければなりません。戦と凶作です」


 ここで一旦話を切って二人の方を見る。ここに異論はないようだ。俺は話を続ける。


「先ずは戦についてです。今は騎士様の戦場での働きについては論じません。食についてのみ述べます。

 戦の始まりに於いては陛下が諸侯に陣触れを行い、諸侯はそれに応じて軍を発します」


 この国では大河の治水や街道の整備等、複数の領地に跨る事業は国の責務だ。

 しかし軍事だけは異なる。この国には国軍というものが無い。

 諸侯が軍権を手放さない為にそうなっている。


「兵糧は夫々(それぞれ)の軍が差配する慣例になっております。各軍は兵糧を拠点より持ち出しますが、大抵の場合は求められる行軍速度の関係で十分な量を携行できません。

 そのため必要に応じて行軍中立ち寄った町、若しくは戦地やその周辺で不足分を買い求める事になります。

 もし戦が長引きますと戦場近辺では食糧を購入し難くなります。そうなると調達担当者は近隣の村々を巡り家に踏み込んで食糧を強制的に買い上げます。所謂徴発です。ここに問題があります」


 実際には敵や味方による略奪もあるが論点がぼやけるのでここでは触れない。


「何が悪いのだ。食糧を買わねば戦う騎士が飢えるのだ。売り惜しむなど許されぬ」


 やはりオットーには問題点が分からないようだ。不思議はない。これがこの国の一般的な貴族の感覚なのだ。


 マーゴット王国の貴族は男女の区別が少ない。その為アリスも兵学等を家庭教師に教わった。

 その時気付いたのだが、この国では戦場での功にばかり重きを置き、補給を驚くほど軽視している。身軽に動くためとして携行する兵糧は最低限、そして部隊毎に現地調達というのが通例だ。

 つまり秩序だった補給がなされないのだ、恐ろしい事に。


 この国もいずれ認識を改める必要があるだろう。

 でもそれは死者でありいずれ去る身である俺が関わるべき事柄ではあるまい。

 それはアリスを含めた生者の仕事だ。

 アリスの為に必要最小限、それが俺の為すべきこと。

 そして今は王太子ヴァルラムの(もう)(ひら)く必要がある。

 

「この場合売りたくても売る物が無いのです。徴発されるのは自分達が食べる分や来年蒔くための種。持って行かれると生きていけなくなる命の綱です。戦争が始まると土地が荒廃し治安が悪化するのは御存じの事と存じます。それは戦闘の為でもありますが徴発の所為でもあるのです。

 徴発が始まると戦闘地域だけでなくその周辺地域でも多くの民が生きていけなくなり、土地から逃げ出し始めます」


「物が足りないのなら、目敏く欲深い商人が売りに来る筈だ」


 オットーが反論しようとしているがそれはさすがに想像力に欠ける発言だ。


「よほどの理由がない限り商人はその様な危険な場所を訪れません。

 飢えた民は容易に賊となるのです。

 考えてみてください。飢えで自分や家族の命が脅かされている時、倫理と命、どちらを取る方が自然でしょうか。中には人の道を決して踏み外さない志操堅固な方もいるでしょうが当てにすることは出来ません。付近一帯が押しなべて飢えている時に一商人が食糧を運ぶのは危険すぎます。

 もちろん大勢の護衛を雇えば話は別ですが、その場合は人件費が嵩むため余程高く食糧を売りつけなければ利は得られないでしょう。

 しかも、()し軍に直接徴発された場合には割増金などまず許されません。

 総じてそのような地域での商売は費用や危険に見合わないのです」


 商人の娘としてのアリスの知識によると、情けない事に軍による徴発が最も危険度が高い。

 戦地から相当離れた場所でも出くわす危険があり、予測も難しく護衛では防げない上に適正な支払いなど望むべくもない。それどころか領主の目が届かないのをいい事に好き勝手な事をしてくることも屡々(しばしば)だそうだ。商人自身の為の水や食べ物まで含め荷車以外の全てを奪われ、購入したという形式を整えるためだけに端金(はしたがね)を投げ寄こしたという話すらある。因みに荷車を残したのは、商人が荷車単位で課税されている為だろう。


「話を続けます。

 そのような事態に対応するのは領主です。民の流賊化を防ぐために逼迫した村に備蓄の食糧を貸し付ける、若しくは与えるのが通例のようです。土地に住めなくなった者達を新たな地に移し開墾させる場合もありますが、その場合は収穫が上がるまでの食糧を与えねばなりません。さもなくば民は或いは餓死し或いは賊となり、(いず)れにせよ良い結果にはなりません」


 実際には領主は最終決済するだけであまり関与しない。その辺りを差配するのはもっと下らしい。


「とはいえ通常、そのような事態に至るのは領主が味方の軍に備蓄を売り渡した後の事。手元に十分な穀物が無いのが普通です。その為領主は味方に売る分も含め近隣の領主から買い集め、それでも不足する分を国庫に頼る事になります。その穀物が騎士様や民の命を繋ぐのです。

 また、戦で荒廃した領地にはその度合いに応じて国から見舞いが下されますが、通常その内訳は主として塩と穀物。それらが民の命を繋ぎます。

 もし国庫の豊富な備蓄が無いならばどうなるでしょうか。

 戦う騎士様に食糧が行き渡らなくなるばかりか戦地に近い領地の経営は大変な困難に直面する事になるでしょう」


 そもそも国が前線に直接兵糧を供給すれば良い話なのだが、そこまでは言うまい。


「凶作の際も同じです。

 我が国の民の九割以上は食糧の生産に従事していますし国や領主も治水や灌漑、開墾等を行い収穫の安定化や増産を図っていますが、それでもちょっとした天候不順、例えば長雨等で食糧は不足し始めます。一度(ひでり)や洪水が起こってしまえば、事態はより深刻になります。何も手を打たなければ飢饉になるでしょう。

 もし飢饉になればどうなるのでしょうか。

 働き手が無為に餓死し善良な民が賊に身を落としてしまうのです。


 それを避けるための施策は、やはり領主が行います。あまり不足が深刻でない場合は租税の減免を行うのが一般的なようです。民に食糧を配給する場合もあります。

 しかし不足が深刻な場合や何年も続く等して領主だけでは対処しきれなくなった場合、国が乗り出します。民に配給する食糧の一部、若しくは全部を国庫から出すのです。

 我が国の歴史書には時折『国庫を開き民を救恤(きゅうじゅつ)』との記述が現れますが、実にこの事を指します。


 凶作の範囲や深刻度にもよりますが必要な食糧は戦の為の兵糧とは桁違いです。

 ですから配給は国庫に豊富な穀物の備蓄があって初めて可能なのです」


 国の一番の仕事は民に食わせる事だと思うのだが、何故かこの国では軽視されている。

 家庭教師もその辺りについて一切触れなかったし聞いてもきちんとした答えは得られなかった。

 屋敷の蔵書を調べてやっとこの国の仕組みが分かったのだ。

 もしかしたらこの国の食糧政策は王やお歴々ではなく下級役人が担っているのかもしれない。


「食糧など、必要な時に買い集めればよいではないか」


 オットーが現実離れした事を言う。金子(きんす)があれば何でも買えると思うのは誤りだ。とはいえこれが貴族一般の感覚なのかもしれない。


「二つ問題があります。

 第一に、必要なだけの量が買えるという保証がありません。例えば国全体が凶作に見舞われた場合をお考え下さい。国内に十分な食糧があるとは限らないのです。

 第二に、例え国内に必要な量があったとしても、大量に食糧を買い上げる事それ自体が問題を起こします。

 物の値段は品薄になれば何倍にも跳ね上がりますし、品薄になると思われただけでも値上がりします。それが生きるのに不可欠な穀物ともなればなおさらの事です。

 ですから大量に購入すれば当然価格は高騰しますし、それこそ欲深い商人が値上がりを見越し必要とする者相手に売り渋り、目敏いものが先回りして買い占めを行い高騰を煽ることすらあり得ます。

 巷間に穀物が有り余っているなら別かも知れませんが、そうでなければ買い集める過程で穀物価格が天井知らずに上がり、その結果民を救うどころか却って苦しめる事になります。 その暮らしは立ち行かなくなり行きつく先は暴動か略奪か、(いず)れにせよ良い結果にはなり得ません」


「ならば外国から輸入すればいいのだ」


 オットーが突っかかってくるのだが、さすがに想像力に欠ける発言だ。


「さて、周辺の国に十分な余剰があるとも限りません。余剰があっても足元を見られて受け入れ難い要求をされるかもしれませんし政治的な理由で取引自体が出来ないかも知れません。当てにするのは良くないでしょう。そもそも遠くからの輸送は大変です。


 現在は不作凶作の際には、飢えに苦しむ民への(ほどこ)しとは別に不足の度合いに応じて国庫からの穀物の売却量を増やしています。逆に豊作の年には売却量を減らすか逆に買い上げます。区々(くく)たる商人の買い占めなど意味をなさぬ程の量の穀物を動かすことで流通量と価格が安定し、民も安心して暮らせているのです。

 これも国庫で大量の穀物を備蓄しているからこそ可能な施策なのです」


 実際には値上がりした際に多く売って利を得るという側面もあるのかも知れないが、それについては口にしない。商業は賎業であり卑しいもの、それが貴族の価値観なのだ。価格の差益を得ているとの発言は侮辱に当たる。

 だから俺が受けた貴族としての教育にも商業関連の知識はなかった。「タケル」としての知識や経験からも欠けていた部分だ。穀物価格についての知見は商人の娘だった「アリス」の知識によるところが大きい。


 ここでヴァルラムが(おもむろ)に話し始めた。


「中々考えさせられる面白い意見だった。もう一度君の名を教えてくれ」

「魔法学園本科一年、ボーデ男爵家のアリスで御座います」

「アリスと呼んでも?」

「光栄です、殿下」

「アリス、また機会があったら話を聞かせてくれ」

「喜んで、殿下」


 ヴァルラムはこう言っているがまたの機会などないだろう。基本的に身分が違い過ぎ、学年も違う。接点など無い。

 しかしながらもう穀物の備蓄を闇雲に止めるような事はしないだろう。少なくとも現状を把握しようとする筈だし、きちんと知れば正しい判断を下せるだろう。


「オットーもご苦労だった。的確に質問してくれたおかげで彼女の意見について理解を深めることが出来た。礼を言うぞ」

「勿体ないお言葉です」


 やむを得ない事とは言えオットーの面子を潰してしまった。ヴァルラムが一言添えてくれたおかげで怨みは深くないかもしれないが少し注意して然るべきだろう。アリスの為に日記に詳しく書いておこう。


「まあ、新入生の方かしら」


 後ろから声を掛けられたので振り向くと、そこに居たのは制服姿の長身の美女だった。

 整った顔立ち。瞳は左右で金と青の色違い。神秘的な印象だ。そして高く結い上げた藤色の長い髪。

 アリスの感覚でも間違いなく美人だ。珍しく俺と意見が一致した。


「カタリーナ、紹介しよう。こちらは本科一年、ボーデ男爵家のアリス。こちらはオレの婚約者で本科二年、オーベルツォレアン公爵家のカタリーナだ」


 カタリーナが腰掛けたところでヴァルラムに紹介されてしまった。

 言及されなかったがオーベルツォレアン公爵家は王弟殿下の為に立てられた家。こちらも(おろそ)かには出来ない。


 暫く四人で話す流れになる。


 もし俺が「タケル」としてこの場にいたなら、美人と親睦を深められる得難い機会だと喜んだことだろう。しかも少し話しただけでも彼女の人柄の良さが伝わってくる。タケルならばこの時間を楽しめたかもしれない。

 しかしこの体はアリスの物だ。体を返した後の事を考えると今は余計な人間関係は作りたくない。

 そうかと言って直ぐに中座すると礼を失する。しばらくは付き合うしかない。

 出来るだけ印象に残らないように振舞おう。

 嫌われるのは論外だがまた会いたいと思われるのも困る。国庫の話さえヴァルラムの記憶に残ってくれればそれでいいのだ。アリス自身の事はその内忘れられる程度が丁度いい。


 しかし都合の悪い事にカタリーナが色々と質問してきた。

 恐らくアリスを自分の婚約者に近づいてきた女だと考え、人品を見極めようとしているのだろう。


 アリスならどう答えるかを意識しつつ無難な受け答えに徹する。

 カタリーナとの親睦を深められないのは残念だが、ヴァルラム達に詰まらない相手だと認識してもらう必要がある以上仕方がない。

 ついでにヴァルラムを恋愛対象とは見ていない、どうこうなる心算も全く無いとさりげなく主張しておく。


 上手く運んでいるどうかは不明だが、確実に言えることが一つ。

 どうやら今日図書館に行くのは諦めざるを得ないようだ。


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