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養家

 長い髪を一房手に取る。

 カワラナデシコの花のような薄紅色だ。


 倭では誰も彼も髪の色は黒かこげ茶だった。あとは老人の白。樂浪郡から来た漢の人達も似たような色合いだった。髪の毛とはそういう色だと思っていた。

 でもアリスの記憶によればこの国では違う。茶色のような地味な色から赤、青、金のように鮮やかな物まで、まるで鳥の羽色のように実に様々な色合いの髪があふれている。昨晩は暗くてよく分からなかったが侍女であるマーサの髪の色も、アリスの記憶ではツバキの葉のような濃い緑色だ。

 目の色もそうだ。生きている間はこげ茶以外の色など考えたこともなかった。しかしここでは緑、紫、銀等信じられない程変化に富んでいる。

 因みにアリスの目の色は、銅鏡の黄色っぽい鏡面では判り辛いが綺麗な空色らしい。


 随分人の見た目が違う。

 ここは一体どのぐらい倭から離れているのだろう。


 アリスが住むこの国の名はマーゴット王国。聞いた事もない名だ。

 どういう字を書くのだろう。「魔兀」だろうか。


 いや、アリスの記憶によると、この国ではそもそも漢字を使っていない。

 文字はあるが、漢字とは全く別の思想に基づく物だ。夫々(それぞれ)の文字に意味など無く、少数の文字を組み合わせて発音だけを表す構造だ。

 面白い。

 異なる言葉を使う者同士での筆談には使えないが、これなら倭の言葉だって書き表すことが出来る。


 それはさておき、この国はどこに位置しているのか。


 倭から海を越えて西に行くと漢がある。

 漢は広大だが地の果てまで広がっている訳ではない。大地は漢の国境を越えて南へ、西へ、北へと果てしなく広がっていると聞いたことがある。


 アリスの知識の中には倭どころか漢の事すら一切無かったが、自分の国が大陸の西端にあるのは知っていた。


 つまり倭とこの国との間には漢の領土よりさらに広い土地が横たわっているのだ。

 漢の東の端から西の端まで歩くのに一年がかりだという。それを越えて遥か西。一体どれほど遠いのか見当もつかない。


 さらに言うと、この国の夜空には月が出ないらしい。

 アリスの知識によると、大昔は出ていたのだが悪さをしたので討たれたのだとか。

 漢の昔話に十の太陽が一度に出たので九つを射落としたという話があるが、似たようなものか。

 そこから一つ分かるのが、この国に昔出ていた月と俺が倭で見ていた月は別物だという事だ。

 倭の東の海から出た月はきっと漢を越えてこの国までの間のどこかで大地に降りるのだろう。

 流石に太陽は昇るが何故か南ではなく北を回って西に沈む。もしかしたらこれも倭を照らしているのとは別の太陽なのかもしれない。


 ともかくここは月さえも通わぬ遠い場所、ということになる。

 それだけ遠い場所ともなれば、聞いたこともない色合いの人々が居てもおかしくはない。


 そして、奴国の消息など届くはずもない、という事でもある。

 今、奴国はどうなっているのだろう。




 俺が王位を()いだ時、奴国は弱っていた。

 これには前王であった父が関係している。


 俺が物心ついた時には既に父は漢にかぶれていた。向こうの文物をやたらと有難がっていた。

 国を回り民の暮らしぶりを見る代わりに漢に赴いた使者らに向こうの様子を問い、漢の出先機関である樂浪郡から人が来たと聞けば遠くとも会いに行き、そうでないときは朝から晩まで家の中で竹簡を広げて論語を読んでいるような有様。

 学問に熱心と言えば聞こえはいいが自分の国の現実をまるで見ずに過ごしていたように思う。

 しかも漢のやり方が如何に優れているかを事あるごとに民に説いて回ったのだ。

 俺がそれに染まってしまわなかったのは、その在り方に批判的だった祖父のお陰だろう。

 しかし多くの民はそうではなかった。


 やがて祖父が亡くなると、父は(たが)が外れたようにおかしな改革を推し進め始めた。俺が七歳の時だ。

 

 鬼道だから不祥であると言って、守護の(まじな)いである文身(いれずみ)を新たに入れることを禁じた。氏族を表す為に顔に入れる小さな印すら、蛮習だから漢人に侮られるとして許さなかった。俺や同い年の者はその年に初めて文身を入れるはずだったのだが、そうはならなかった。

 さらに祭器である銅鐸も鋳つぶし、その鋳型も埋めてしまった。


 それどころか(まじな)いで国に仕えていた(かんなぎ)たちも追放してしまったのだ。

 俺は幼い頃(まじな)いを見るのが好きで、巫たちの所によく出入りしていた。可愛がってもらった記憶もあるがその人達は全員いなくなってしまった。

 古来の(まじな)いの代わりに方術とか仙術とか言った向こうのものを持ち込んだ訳でもない。結果として奴国から呪術は無くなってしまった。


 さらには、新たな都を作るのだと言って民を動員し大きな環形の濠を掘らせ、その中に王の家として高床式の建物を、そして社稷と称する儒教風の祭壇を建てさせたりもした。

 余計な労役が加わった事で、民は疲れて行った。


 あちらでは米でなく麦を食すのだと言って、水田を半分麦畑に変えたりもした。

 中々収穫が上がらなかったのだが父は(かたく)なに施策を改めず、その結果狩りや漁に頼る割合が増えていった。それでも足りない年も多く、国の備蓄米を配って凌ぎ続けた為に(こめぐら)の中身はどんどんと減って行った。


 わざわざ先祖にお供えする為だけに、海の向こうから牛を取り寄せたりもした。

 実行こそされなかったものの、税を穀物の物納から漢の銅貨に変えようと準備を進めてもいた。


 民も「これが漢の方式だ」と言われれば反論せずに従ってしまう。

 そんなことを散々やった結果、奴国は貧しくなっていった。


 しかも金印を賜っているという自尊心からか先進の文明を受け入れているという自負からか他国に対して高慢に振舞い、国同士の関係も拗れに拗れてしまったのだ。


 引っ掻き回すだけ引っ掻き回した挙句、父は病であっけなく逝った。今思えばただの病ではなかったのかも知れないが……


「礼に則り三年喪に服せ」


 などと最後まで父らしい遺言を残したが、守ることは出来なかった。

 埋葬すら出来なかった。

 三日後に西の小国、伊都(いと)国が攻め込んできたからだ。

 俺は人里離れた所に一人でいた所を襲われ、恐らく真っ先に命を落とした。

 その後、どうなったのだろう。




 故郷の人々の顔を思い出している内にふと思い立ち、髪を二つに分け耳の上で束ねてみた。

 倭人男性の髪型、美豆良(みずら)だ。

 男は皆この髪型だったのだが、実は俺は結ったことが無かった。父から漢風の髷を結うように命じられていたからだ。

 しかし父も俺自身も死んだ。もう言い付けを守らなくても不孝者の(そし)りは受けまい。

 そして俺も奴国の男。故郷を遠く離れていても、いや離れているからこそ美豆良を結いたい。


 そう思いやってみたのだが、ちょっと珍妙な感じになった。

 アリスの前髪が切り揃えられてしまっているのが原因だ。

 アリスの知識によるとこの国では髪を切って整える風習がある。特に子供は前髪を短くして前に垂らす。

 横髪や後ろ髪は十分とは言えないまでも最低限の長さはあるのに前髪が短すぎる。その所為でちゃんとした美豆良にならず、短い前髪付きの美豆良と言う見たこともない髪型になった。

 勿論アリスの知識の中にもこんな髪型は無い。美豆良すら存在しないのだから当然だが。


 そもそも美豆良は男の髪型だしな。今この体を動かしているのは男の魂だが体は少女だ。この髪型は止めておこう。


「お嬢様お早うございます。お早いお目覚めですね。……まあ! その髪型!」 


 髪を解こうとしたところで間の悪い事にマーサに見られてしまった。

 これは不味い。

 憑依が解けた時、変な女の子だと思われていたとしたらアリスが可哀そうだ。







 結果から言うとこの髪型も問題にはならなかった。寧ろ好評だった。


 まず何故かマーサに褒めちぎられ解くに解けなくなった。

 そのまま朝食の席に案内され、昨日家族になったばかりの領主一家と顔を合わせると全員に感性と独創性を称賛された。

 義父からはにこやかに「これからは遠慮なくその髪型で過ごしなさい」と言われ、ずっとこの半端な美豆良で過ごすことになってしまった。


 因みに家族は家長たる義父と義兄が二人。三人とも栗色の髪に翡翠の目、穏やかそうな顔までそっくりな親子だ。

 他にも先代の家長、義理の祖父が存命しているのだが離れで暮らしている為この場には居ない。


 そんなに素晴らしい髪型だと言うのなら全員結ってやろうと言いたいところだが残念、全員前髪どころか横や後ろも短く切り整えているので無理だ。この国では男の髪は短くするものらしい。

 貴族の女は長くするのだがここにはいない。

 まず義母に当たる人が居ない。ここには一夫一妻の習俗があるので義母は一人だけだが既に故人だ。後妻も居ない。

  義兄はどちらも未婚なので義姉も居ない。

 使用人はと言うと全員長さが足りない。平民なのに後ろ髪が長かったアリスの方が珍しいのだ。結論として、この家の中で曲がりなりにも美豆良が結えるのはアリスだけ、と言う事になる。


 この国の美的感覚は俺には全く分からない。アリスの感覚でも美豆良は型破りに過ぎるようだが上流階級では違うのだろうか。この家だけが特殊でないことを祈るばかりだ。


【メモ】

美豆良: 古代日本の男性の髪型。分からない人は日本神話の男神の髪型を思い浮かべればよい。弥生時代の遺跡(吉野ケ里遺跡)からも発見されている。

漢風の髷: 髪を切らず頭頂部で結い上げる。さらにその上に冠を被るのが決まり。


※本作はフィクションであり、独自設定が色々含まれています。(例えば刺青の意味など)


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