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第18話 塩瀬さんは諦めた

──テスト当日




塩瀬さんの心臓の鼓動が、こっちにまで聞こえてきそうだった。


彼女はいつも遅れてくるのに、今日ばかりは、誰よりも早く学校に来ていた。

机の上に教科書を広げて、黙々と勉強。

それは朝のホームルームが始まるまで続いていた。


塩瀬さんのその姿を見て、クラスメイトは不思議がる。

ヒソヒソと話す声や、塩瀬さんを心配する声。


全て、彼女を理解していない者の声だった。




────1限・数学のテスト開始直前────




「──塩瀬さん、これ」


「……消しゴム? なんで?」


塩瀬さんは今日、消しゴムを忘れていない。

それを承知の上で、僕は消しゴムを手渡したのだ。


「受験の時、使ったんでしょ? コレだったら、塩瀬さんが安心できると思って」


「──そう、かも」


僕が手渡したのは、中学の卒業式の日、塩瀬さんから返してもらった消しゴムだ。

彼女の話によると受験の時も使ったらしい。

つまりコレは、お守りのようなものだった。


「頑張って。信じてるから」


「うん」


そううなづいて、前を向く塩瀬さん。

先程まであった緊張の色は、どこかに吹き飛んでいた。


「──はーい、じゃあ回答用紙から配るぞーっ」


──テストは、始まった。







────数日後・放課後・教室────




「──もうさ、僕に見せなくていいよ」


「いやっ、それじゃあケジメがつかない」


涙目になりながら、塩瀬さんはズイズイと答案を僕の方に寄せる。

何が書いてあるのかは明白だし、それをフォローする手立ても、僕にはない。

それでも塩瀬さんが一歩も引くことなく主張するもんだから、僕も根負けしてしまった。


「……うん。そう、だよね」


「あははっ。やっぱり、全然ダメだった」


全教科、赤点。

あれだけ頑張っても想定を超えることができない。


やはり現実は冷徹に、そして直接的に、苦しみを味合わせてくれる。


あれだけ頑張った塩瀬さん。

努力は裏切らないって言葉は、嘘だったのだろうか。


今の僕にできる精一杯のことは、彼女を慰めることだけだった。


「──強がらなくて、いいよ。……悔しいよね」


僕も悔しい。

塩瀬さんの現状をもっと早く把握していれば──


「ううん。寧ろ、諦めがついた」


「──は?」


「私、どれだけ頑張っても勉強できないんだなって。もうね、嫌になっちゃった」


笑顔を貼り付けて、涙を流して、塩瀬さんは淡々と語る。

あぁ、でもその感情は、よく分かる。


「それは、よくないよ……。もっと頑張って──」


「これ以上?」


「その、頑張る方向を──」


「佐藤くんに教えてもらって、この点数だよ?」


「……ははっ」


もう、笑うしかなかった。

この人は本当に、地獄まで落ちる気だ。


走り続けて続けて続けて続けて……もう、止まってしまったんだ。


でも薄々、そんな気がしていた。


「……塩瀬さんはもう、地獄へ落ちる気なんだね?」


「というか、落ちてる」


食い気味で答える塩瀬さんの瞳には、ハイライトがない。

知っていた。頑張っている人が折れると、そういう目をするって僕は知っていた。


「──じゃあ、これ見て」


僕は懐から、テストの解答用紙を取り出した。

塩瀬さんの目の前に掲げる。彼女は困惑していた。


「──えっ?」


「僕も地獄へ落ちるよ。……塩瀬さんを、連れ出すために」




──佐藤忠洋・塩瀬……全教科赤点。




補習編に続く……

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