初めてのお使い
アイナは、自室にある鏡の前で絶句していた。
「ちょって待って……一体どうしちゃったのよ…」
ことなかれ主義の彼女にしては珍しく、今にも泣き出しそうな声であった。
「旦那様からの強いご要望でして…」
アイナと同意見だったリリアだが、使用人という立場上、この邸の主人に背くことはできない。不本意ながらも、言う通りにするしかなかった。
「こんなゴテゴテピンクのドレスなんて…今時着る人なんていない……って、これ私が9歳の時に着てたやつじゃん………」
「私もそのように申し上げたのですが、旦那様から公爵邸に行くならこのドレスが一番良いと手直しを頼まれたのです…アイナ様、とてもお似合いですよ。」
「取ってつけたように言わないで!絶対あのレイン・アルフォードに笑われる…」
もう制服で行こうとクローゼットに向かったアイナだったが、リリアに全力で止められてしまった。
「分かったよ…見つからないようにこっそり行ってくるね。」
「ご武運をお祈りしております。」
お礼をしに行くだけというのに、なんとも物騒な挨拶をする二人であった。
「アイナ」
まずは乗り合い馬車の乗り場まで行こうと邸の外に出たアイナに、ケルストが声を掛けてきた。
「公爵邸行くんだろう?その…彼にすまなかったと伝えてくれ。」
「兄様…うん、ちゃんと伝えてくるね!」
「気を付けて行ってこい。」
自分のことを気にしてくれる兄言葉に嬉しくなったアイナは、元気よく手を振って乗り場へと向かった。
「ここが公爵邸…ものすごい豪邸…学園と同じだけの規模がありそう。こんなところで育てば、性格も歪むよね…」
公爵家の正門前でぶつぶつ言っているアイナに、門前に立つ守衛が怪訝そうな視線を向けてくる。
「あ、すみません!あの…」
あれ…こういう時なんて言えばいいんだっけ?友達の家を訪問するなんて、前世でもやった記憶がなくて言葉が出てこない…
スマホがあればメッセージ送れるのに…
あ、そうだ…
御礼を言ってこの手土産を渡すだけだし、この人達に託せばいいんじゃない??
向こうだってものだけ送ってきたわけだし、同じことをしても失礼には当たらないよね。
「これを、レイン・アルフォード様にお渡し願えますか?」
「…あんた誰だ?」
怪訝そうだった目が、敵視している目に変わった。
それもそのはず、公爵令息に物を渡せなど何か仕込まれていると疑うのが普通だ。現に、しょっちゅうレイン宛の貢ぎ物が運ばれてくる。それも年若い女性から。
同じ年頃の女性ということもあり、レインへの付き纏いだと思われても仕方がなかったのだ。
だが、そんな公爵家の事情など、アイナは知る由がない。
「どうせあんたも坊ちゃんに取り入りたくて来たんだろう?迷惑だ。さっさと帰りな。」
「なんですって?そんなことあるわけ」
「やぁ、トルシュテさん。来てくれたんだね。寒い中ありがとう。」
私服姿で颯爽と現れたレイン。
コートを肩にかけていたが、その下は薄手の白シャツを着ており、大きく胸の前が空いている。そこから覗く華奢で真っ白な鎖骨が彼の色気をより際立たせていた。
アイナは直視できず、目を逸らした。
そんな彼女のことを揶揄うようにレインは距離を詰めて真正面に立つ。
「大丈夫?冷えたかな?」
「だ、大丈夫です!それより、花ありがとうございました!これそのお返しです!!」
二人きりの時とは違うひどく優しい顔で覗き込んできたレインに、アイナの鼓動は早鐘を打った。
顔に出さないように、一息で要件を伝えて手土産の紙袋を彼の腹にぶつけるように突き出し、その場を誤魔化した。
「気を遣わせたね…でもせっかくこの寒い中君が運んできてくれたものだ。ありがたく頂戴するよ。」
レインはにっこり微笑むと、わざと紙袋を抱えるアイナの手に重ねるようにして受け取った。突然の接触に驚いたアイナは慌てて手を引っ込める。その慌てっぷりに、レインはクスッと笑みをこぼした。
「せっかくだ。お茶を飲んでいくといい。」
「いや、それはちょっと…」
コートの下の服装を思い出したアイナ。正直なところ、公爵邸で頂く紅茶は格別なんたろうな…とかなり心惹かれていた。
そんな彼女の心の内を見透かしたようにレインが追い込んでくる。
「残念だな…君が来ると知って、邸の者に無理を言って最高級の紅茶と茶菓子を用意させたんだが…」
「…外で軽く一杯だけなら」
レインの撒き餌にアイナがすぐさま食い付いてきた。
彼女の苦肉の策は、サラリーマンの上司に対する対応のようであった。
「ん?外は寒いと思うが…」
「今日は外が良い気分なんです。」
「…分かったよ。」
アイナの考えを覆すことが出来ず、レインは舌打ちも彼女からの要求も丸ごと飲み込むことにした。
真冬の屋外でお茶を飲むことになった二人のため、話を聞いていた守衛は慌てて邸の者に連絡していたのだった。