アイタンの楽しみ
「あの子、そんなに気に入ったの?」
アルフォード公爵家の馬車の中、アイタンが目を丸くさせ不思議そうな顔でレインに尋ねた。
今日は、公爵邸で定期的に開かれる有力貴族の会合に参加するため、アイタンは放課後彼の馬車に同乗していたのだ。
彼らの馬車は、この寒空の中一人黙々と歩くアイナのことを追い越して行った。
「は?そんなわけあるか。」
手にしていた書物から視線を上げると、鋭い眼光でアイタンのことを睨んだ。
「そうなんだ。てっきり、自分に靡かないから意地になっているのかと思ってた。でも、それなら良かったよ。」
アイタンは何食わぬ顔で人差し指でメガネを上げる。レインに睨まれていることなど全く気にしていなかった。
「…なんだよ。」
何にも動じない相手に、レインは睨むことをやめた。
彼は、アイタンと話をするといつもこうなる。
『レインは分かりにくいよ』
事あるごとにそう言って困ったように笑うアイタンだったが、レインからすれば彼の心の内の方が読めなかった。
誰に対しても温和な態度を崩さず、いつだって凪のように穏やかなアイタン。
長年一緒にいるレインに対してもそうであった。
「じゃあ僕があの子をお嫁さんにしようかな。」
「は?」
「ずっと休んでたと思っていたらなんか可愛くなって戻ってきたし。」
「はぁ?」
「彼女、家柄はあれだけど、頭は良いからレックスフォード家に入っても上手くやってくれると思うんだよね。素直で明るいし。」
「おい。」
レインの低い声とともに、車内に一瞬だけ閃光が走った。
目を細めて注視していなければ気づけないほどのごくごく僅かな光だ。
「ふふふっ。レイン、魔力乱れてるよ。やっぱり気になってるんでしょ。」
口元を押さえて上品に笑うアイタン。
図星だったレインは、一瞬で揺らいだ魔力を鎮静化させた。
「お前は本当に性格が悪い。」
ぷいっと窓の外を向いて頬杖をついた。
「へぇ?レインが本音を隠すからいけないんでしょ。隠されたら誰だって掘り起こしたくなるよ。」
「…そんなもの好きで悪趣味な奴はお前だけだ。」
まったく悪びれることなく穏やかに微笑むアイタンに、レインは辟易としてきた。
もう話したくないとばかりに、レインは太ももの上に伏せていた書物を手に取って視線を向ける。
「別に僕はレインが誰を気に入ろうとも関係ないけど、周りはそうじゃないと思うから。」
「何が言いたい…?」
他意しか感じられないアイタンの言葉に、レインは責めるような口調で聞き返した。
「僕はいつだって君の味方だってこと。」
アイタンは、いつもの穏やかな微笑みの数十倍胡散臭い微笑みを浮かべ、更には片手を胸に当てもう片方の手を向かい側に座るレインに差し伸べてきた。
「は。一番信用のならない奴が何言ってんだ。寝言は寝て言え。」
レインは視線を向けぬままその手をパシッと叩き落とした。
「ひどいなぁ…」
アイタンは悲しんでいるような声を出したが、その顔はまったく痛みを感じておらず、いつものように微笑んでいるだけであった。
そんなこと百も承知のレインは、見向きすらしない。
その後、何度話しかけてもレインは応えてはくれず、遊び相手を失ったアイタンは仕方なく窓の外を眺め続けた。
明日からの楽しみが増えた彼の口元は僅かに緩んでいた。