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血のない家族  作者: 夜桜紅葉
第一章 七人家族
1/76

いたずら大作戦

 家に帰ると姉が化物のコスプレをしていた。コンセプトが不明の奇怪なイラストが描かれた衣装を身に纏っている。顔には謎の落書きが施されていた。口裂け女のように意味不明なくらい真っ赤な口元に、殴られたように腫れぼったい目元。そして何故か眉毛は血に染まったように赤い。一体何の悪ふざけだろうか。

 針のように鋭く尖ったまつ毛に囲まれた目は、僕のことをじっと見つめていた。


「どうしたの天姉。ハロウィンは十月だよ?」

 天姉は僕の言葉を聞いて少しの間硬直し、

「どういう意味?」

 と訊き返してきた。

「その顔と恰好はクリーチャーのコスプレでしょ?」

 僕が改めて質問すると、天姉は赤く不気味な眉をひそめた。


「……ごめん、私の中のクリーチャーの意味と、恭介の中でのクリーチャーの意味に違いがあるのかもしれない。いや、そうでないと辻褄が合わない。一体どういう意味でクリーチャーって言葉を使ってる?」

「他にどんな意味があるのかは知らないけど、化物って意味じゃないの?」

「化物なんてどこにいるの?」

「いや、あなたのことですけど」

 ペキッと音がした。天姉は手に持っていた水筒を握り潰し、鬼のような形相で叫んだ。

「これは可愛くなろうと思って初めてメイクしてみたの! この恰好はお洒落だと思って着たんだよ! 何がクリーチャーだ。ふざけんな、ド畜生め! 不貞腐れてやる!」


 その後、天姉は部屋に閉じ込もってしまった。ドアには鍵がかけられている。部屋の中からは般若心経が聞こえてきている。奴には怒ると爆音で般若心経を聞きながら昼寝をする習性がある。無害ではあるが、意味が分からないし怖いのでやめてほしい。

 僕は最近これに対抗策を見つけた。ドアの前に立ち、部屋から聞こえる般若心経を打ち消すように音読を始める。


「一期一会、急転直下、言語道断、七転八倒、死中求活、明鏡止水、武骨一辺、富国強兵、正真正銘」

「グアァ! やめろやめろ、やめてくれ!」

 部屋の中から奴の苦しむ声が聞こえてきた。奴は四字熟語が弱点なのだ。

 これも意味が分からないが、本人は「私は理系だからね」と言っていた。どうも、漢字が苦手らしい。「じゃあ般若心経なんて絶対駄目じゃん」と指摘したが、般若心経は別なのだそうだ。「別ってどういうこと?」と訊くと、

「フフッ。それが乙女ってもんなのさ」

 と笑っていた。とにかく、奴を攻撃しようと思ったら四字熟語を音読したらいいのだ。


「くっ。こんなところでッ!」

 部屋から何か聞こえてくる。もう少しだ。

「感慨無量、温厚篤実、一念発起、四面楚歌、四面楚歌、四面楚歌」

「グアア!」

 奴は特に四面楚歌という言葉が弱点であるようだ。

 断末魔のような悲鳴が聞こえ、般若心経以外何も聞こえなくなる。


 少しして鍵が開けられ、ゆっくりとドアが開いた。部屋の中では大音量で般若心経が再生されている。ドアの隙間から顔を覗かせた奴は不服そうな表情で、

「致し方あるまい。良かろう。前言撤回の機会を与えてやろうじゃないガアア!」

 自分で四字熟話を口にしてダメージを受けた。

「とりあえず怖いから般若心経を止めてもらえるかい?」

「はいはい」

 天姉は部屋の奥に引っ込み、ラジカセを止めて戻ってきた。

「で? 前言を撤回するかい? それともご機嫌取りの品を用意したのかい?」

「後者。お餅を用意しました」

 僕は天姉に、きな粉を振りかけた餅を献上した。この人の好物だ。これで大体機嫌が良くなる。案の定、とろけるようなフニャフニャした笑顔を浮かべている。


「グヘヘ……ブツは受け取るし、それで今回の件を水に流してやろうとも思う。けど、私そんなに酷かったの?」

「先制攻撃しても正当防衛が認められそうなほどだった」

「オェ……四字の熟語はやめてよ」

「ごめん。これからは四字熟語を言わないように誠心誠意気を付けます」

「おい、わざとだろこの野郎。……それにしても、やっぱり慣れないことはするもんじゃないね。残念だなぁ、ちょっと可愛いって言われたかっただけなのに……。まぁいいや。お餅いっしょに食べる?」

「いらない。これからけいと走ってくるから」

「そっか。私は餅食べたらメイク落として昼寝する」

「おやすみ。行ってきます」

「行ってらっしゃい。気を付けてねー」

 天姉みたいな顔をした化物はひらひらと手を振って僕を見送った。


 それから僕は、けいの部屋の前に来てドアをノックしている。かれこれ二分くらいの間、ずっとノックし続けていた。返事もなく音もしない。だが相手は確実に部屋にいる。気配が確かにあるのだ。三十回目のノックをした時、ついにドアが開いた。

「もう、なんだよ! 居留守してるんだよ! そのくらい分かってくれよ!」

 部屋からけいが出てきた。ボリボリと頭を掻きながら悪態をついてくる。寝癖で髪がすごいことになっていた。

「なんで自分の部屋で居留守してるんだよ」

「すみません、ウチはセールスお断りしてるんですよ」

「仮に僕がセールスなら侵入を許し過ぎだよ。家の中にまで入られちゃ駄目でしょ」

「確かに。それもそうだな。で、どうした? 何か用?」

 突然我に返ったように真顔になり、けいは首を傾げながら訊いてきた。


「切り替えが早すぎて怖いよ……。まぁいいや。今から走りに行かない?」

「いいよ」

 けいは眠そうに欠伸をしながら答えた。

「ところでさ。本当になんで居留守してたの? 何かしてた? 物音はしてなかったけど」

 僕が訊くと、けいは急に表情を引き締め、真剣な口調で言った。

「実は、宇宙人に絡まれた時にどうするかべきか、真剣に考えてた」

「……なんかさ。この家、電波系の人多くない?」

 呆れつつ僕がそう言うと、けいは大きく頷き、

「そうだね。天姉は変わってる」

 と答えた。

「お前のこと言ってるんだけど。まぁ天姉も変わってるけど」

「うるさいな! ハゲ散らかすぞ!」

 突然、眉間にしわを寄せてけいは叫んだ。


「どういうこと!? それ、僕に攻撃してるの?」

「そうだよ! ハゲ散らかすぞこの野郎!」

 けいはそう言って怒ったふりをしている。僕は発言の意味について真面目に考えた。

「……ん? 待ってよ。それは僕にハゲろって言ってるってこと?」

「いや、ハゲ散らかすのは僕」

「じゃあ自分が今からハゲるってことを宣言してるってこと?」

「そう。今から僕の頭頂部が爆発四散して髪の毛が一本残らず弾け飛ぶぞ! って脅してるの」

「聞けば聞くほど分からん。ならお前がハゲるだけじゃん。僕に対する攻撃にはなってないし。っていうか急にキレるな。情緒どうなってるんだよ」

「……ごめん。思春期だからさ。情緒不安定な時期なんだよ」

 けいはわざとらしく眉尻を下げて悲しそうに言った。


「あぁ、そっか。言われてみれば僕たちって思春期だったね。でも、僕はそんなに心が乱れるようなことないけどなぁ」

「恭介は落ち着いてるよな。僕なんかもう、ホルモンバランスがヒャッハーでフォー! って感じだもん」

「全然分からんけど楽しそう」

 適当に相槌を打つと、けいは話題を変えた。

「そういえば、さっき般若心経流れてたよな。また天姉拗ねちゃったの?」

「かくかくしかじか……ってことがあったんだよ」

「……いや、かくかくしかじかって口に出されても。何も分からん。ちゃんと言葉にして説明してくれ」

「初めてメイクに挑戦してみたらしいんだけど、完全に化物にしか見えなくて、化物のコスプレしてるの? って言ったら怒られた」

 それを聞いて、けいは心底楽しそうに口角を上げた。


「うわー。見てみたかったなぁ。まだその状態かな? 今行ったら見れると思う?」

「いや、もう化けの皮は剥がれてるよ。さっき顔洗ってたし。というか、先生たちは? 見かけなかったけど」

「さあね。今日は日曜だしどっか行ってんじゃないの?」

 けいは興味なさげに首を傾げた。

「じゃあ日向は?」

「部屋でお絵描きでもしてるんでしょ。最近ずっと絵描いてるし」

「そっか。えーっと、今は……十三時か。走りに行く前に軽く食べる?」

「さっき食った。っていうか恭介さっきまでランニング行ってたんじゃなかったっけ?」

「そうだよ」

 感心しているのか呆れているのか、けいは「ほーん」と相槌を打った。

「で、それなのにまた走りに行くの? 別にいいけどさ、走るの好き過ぎない? 体力オバケじゃん。そのうち先生より強くなるんじゃないの?」

 僕は苦笑いした。

「そうなれたらいいけどね。まぁまだ逆立ちしたって勝てないけど。でも、けいの方こそ結構良いとこまでいくんじゃない? この前だって、もう少しで顔面にクリーンヒット入れられそうだったじゃん。避けられてはいたけど、そこそこ惜しかったよ」

 あまり褒められ耐性のないけいは、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「いや~、オレっちなんて足元にも及ばないでやんす」

「足元にも及ばないってことはないって。あんまりあの人のことを神聖視するのも良くないよ。先生だって人間なんだし」

 僕は勇気づけるように言ったつもりだったが、けいには冗談として受け取られたらしい。

「いや。あれはもう同じ生き物じゃないよ。怪獣センセイドンとかだよ。火ぃ吹いてても驚かない」

 と、訳の分からないことを言い出した。


「怪獣センセイドン? なんだそれ。相変わらずのネーミングセンスだね。怪獣要素がドンしかないじゃん。なんか薩摩の人みたいになってるし」

「ところで恭介どん。どんくらい走るどん? これから気温はどんどん上がって、どんどん暑くなると思うけどん」

「どんどんうるさい。うーん。普通にいつもくらいでいいや。暑いし、無理はしない」

「オッケイ。……あ、そう言えば知ってる? OKってドドンドンドドンなんだよ」

「いやだからどんどんうるさいってば。え? どういうこと?」

「指で書いてみ?」

「……本当だ。えーすごーい」

 壁に勢いよくOKと書くと、確かにドドンドンドドンだった。


「なんだそのリアクション。薄いな。ハゲ散らかすぞ」

 僕の反応が不満だったようで、けいがまた謎の言葉で脅してきた。

「だから何なのそれ。マイブームなの?」

「おう。人を傷つけないように、されども自分の怒りを表現したい時に使う言葉」

「よく分からんけど、お前なりの優しさだと解釈しておくよ。……話変わるけど、今日これからの天気はどうなるの?」

 僕が振ると、けいは嬉しそうに頷いた。


「よしきた。任せろ。えーっとね。んー。あー……。多分、晴れる! 当たる。今日の予報は当たる気がする」

 けいには六十%くらいの精度の天気予報が出来るという特技がある。

「間違いなく多分晴れる。きっと絶対。おそらく確実に」

「不安が見え隠れしてるぞ」

「保険をかけながら生きていく。これが私の生きる道。あ、そうだ。走り行く前にハンバーグに水やってくる。危ない。忘れるところだった」

 ハンバーグというのは、けいが育てているひまわりのことだ。ひまわりの真ん中のところがハンバーグに見えたから、そのように名付けたらしい。


「よしよしハンバーグ。いっぱいお食べ。……あー、それにしても暑いなぁ。ハンバーグは週末なんかした? ……バク転の練習!? マジで? マットないところでやったの? それはやばいでしょ。せめて柔らかい地面の上でやらないと怪我するよ」

「なんでお前ひまわりと喋れるんだよ。ってかハンバーグはバク転の練習してたの!?」

「これは、世界獲るかもな。ハンバーグはきっと世界で一番運動神経がいいひまわりだ」

 至極真面目な顔をして、けいが阿呆なことを抜かしている。

「なんでシリアス顔できるの? もう水やりはいいでしょ。早く走りに行こうよ」

「そうだな。よし、行くか。レッツゴー」



 それから二時間くらい二人で黙々と走った。走り慣れている道なので、大してきつくはないのだが、暑さだけは問題だ。もうすっかり季節は夏になったらしい。森の中にも蝉の大合唱が鳴り響いてた。僕たちが普段走っている森の中では、木々に遮られるため直射日光を浴びるわけではないが、今日は湿度が高く、やたらに蒸し暑かったせいで、家に帰った頃には滝のように汗をかいていた。

「ただいまー。あぢー。シャワーを浴びたい。一刻も早くシャワーを浴びたい」

 けいがブツブツと呟きながら靴を脱ぎ捨てたところで、

「おかえりー」

 天姉が玄関に立ちはだかった。


「あれ、天姉化粧してるじゃん」

 天姉の異変に気づいたけいが意外そうな声を出す。天姉はドヤ顔で僕のことを見ていた。

「リベンジだぜ。さぁ恭介、どうだ?」

「……すご。なんで? さっきのから何がどうしてそうなるの?」

「さっきは良く考えたら鏡を見てなかった」

「馬鹿なの?」

「そうかもしれない」

 体中から汗を噴出させながら天姉と話していると、もう一人やってきた。

「あれ。帰ってきてたん? おかえりー」

 この子は日向だ。エセ関西弁を話す七歳の女の子である。


「ただいま日向。天姉の顔面、もう見た?」

 けいが日向に訊く。

「うん。てか天姉が私に相談してきたんや。どうやら自分はお化粧が下手らしいから教えてって。で、話聞いたらどうも鏡見てなかったみたいやから鏡見てやったら? って当たり前すぎるアドバイスしたんやけど、天姉なんだかんだ器用やからな。鏡見ながらやったら普通に上手に出来てたわ」

「改めて聞いても鏡見てやらなかったのがアホすぎる」

 呆れる僕に天姉は、

「まぁ、でもノールックメイクなんてのもあるかもよ? そんなものあるの? あるかもしれないじゃん」

「自問自答するな。それにしても、さっきのは酷かった。眉毛に口紅塗ってたよ?」

「それはミスったんだよ」

「ミスりすぎだろ」

 天姉は「まぁ、そう興奮するでない」と言って僕を宥め、

「私のこの美顔については後で話そうじゃないか。二人ともシャワー沿びておいで。あんたらいくら何でも汗をかき過ぎだよ。ずっとそこに突っ立ってたら玄関に水たまりができちまう」

 と言って僕たちにバスタオルを放り投げた。それをキャッチすると、僕とけいは競うように風呂場へと突撃した。


 シャワーから上がると、日向が麦茶を用意してくれていた。

「お、ありがとう日向。気が利くね」

 僕がそう言うと、日向は自分のコップを両手で持ちながら素っ気なく答えた。

「別に。私も飲みたかったし。暑いからな。本当、この暑さの中、毎日毎日ご苦労なことやなぁ」

 そう言うと、日向はゴクリと喉を鳴らして麦茶を飲んだ。

「走るの楽しいからね」

「それにしたってこんなに暑いんやからあんまり無理すると倒れるんやないの?」

「大丈夫だよ。恭介は早寝早起きだから。早寝早起きをする人間は、並大抵のことでは倒れない」

 けいが意味の分からない論理を展開する。日向は、

「そうなん? よう分からんけど」

 と軽く受け流し、

「あ、そうやった。新作できたで。今回のは自信作や」

 そう言って画用紙を見せてきた。そこに描かれていたのは、キセルを咥えたカピバラだった。背景には美しい海と大爆発。逃げ惑う人々にUFO。これは……

「渋いなぁ」

 けいが神妙な顔で絵をじっと見つめながら言った。


「いや、渋いのか? 渋いっていう表現が正解なのか僕には分からん。何だこれ」

 僕が問うと、

「カピバラやで?」

 日向は端的に答え、絵の中のカピバラを指差して

「ほら、どっからどう見てもカピバラやん。逆にこれが他の何に見えると言うのか?」

 と、古風な口調で訊き返してきた。

「いや、確かにカピバラではあるけれども……。この背景は一体何だと言うのか?」

 口調を真似て質問すると、

「芸術……かな」

 という答えが返ってきた。


「しゃらくせえよ」

「ええやん別に。んで? 何点?」

 日向は期待を込めた目を向けてくる。僕は今までにも日向の描いた絵を見せてもらう度に点数を訊かれてきた。

「んー……。今までの作品と比較してもどの辺りが自信作なのかよく分からん。どれも独創的すぎるしなぁ。今までは何点つけてきたんだっけ?」

 日向はメモ帳を取り出すと、

「えー、カボチャと大根のキメラは六十点。オリジナルキャラ『膝蹴り親方』は五十三点と結構辛口評価頂いてます」

 と答えた。


「そうだなぁ。んー。カピバラの可愛さと大胆な構図を評価して……六十八点!」

「やったぁ! 六十八点満点やろ?」

 日向は「ばんざーい!」と言って嬉しそうに両手を上げる。

「そんなわけあるか。なんだそのキリの悪い満点は」

「えー。ってことは七十点満点か。惜しかったなぁ。あと二点やったんに」

「百点が満点に決まってるでしょ」

「またまた~」

 ニコニコしながら日向は手をひらひらと振った。

「あれ、そういえば天姉はどこ行ったの?」

 シャワー浴びた後、見かけていない。どこに行ってしまったのだろう。

「寝てしもうたで」

 日向はカピバラの絵の裏に赤鉛筆で六十八点と書きながら答えた。


「シャワー浴びてる間に? 本当あの人昼寝好きだよなぁ」

 けいが麦茶を飲みながら言った。

「ちなみにこのテーブルの下におる」

 日向に言われてテーブルの下を覗き込むと、体を丸めた天姉がいた。

「え? うわ、びっくりした! どこで寝てるんだよ……」

「んー……。寝床」

 天姉は猫のように伸びをしながら答える。

「天姉にとっての寝床ってどこにでもあるよな。この前もなんか玄関で傘立てに頭から突っ込んで」

「や、止めてくれ! それは黒歴史!」

 けいの話を天姉が慌てて遮った。


「そうなんだ。へぇ、弱点なのか。へへ。弱みを握ってやったぜ。人の弱みを握るのは楽しいなぁ。はっはっは」

「いい性格してやがる」

 テーブルの下から天姉がけいのことを上目遣いに睨む。

「光栄でやんす」

 けいは余裕を見せるように微笑みながら肩をすくめる。天姉は悔しそうに顔を歪め、それから何か閃いたのか、意地の悪い笑顔を浮かべた。

「私だってあんたの弱点知ってるもんね」

「僕に弱点などない。何故なら早寝早起きだから」

 腕を組み、自信満々な態度でけいはそう答えた。

「なんなのさっきからその早寝早起きに対する厚い信頼。あとお前は別に早寝でも早起きでもない」

 僕の指摘を無視して、

「けいの弱点。それはホラー!」

 天姉は堂々と宣言した。しかし、けいはまともに取り合うつもりがないらしい。


「ハッ。何を言い出すかと思えば。ホラーだって? 僕に怖いものなんてあるわけないだろ」

 天姉はそれを聞くと、にやりと口角を上げ、声のトーンを落として話し始めた。

「この前、夜にトイレ行った時に見たんだけどね? 白い服を着た髪の長い女がけいの部屋のドアの前に立ってたの」

「は? ちょ、やめてよ。意味分かんないし。馬鹿じゃないの。髪の長い女が白い服着るわけないじゃん。カレー食べる時どうするんだよ」

 けいはあからさまに動揺して、普段よりも訳の分からないことを言っている。

「それで、じっと部屋の前から中の様子を窺ってたかと思ったら、スーッとドアをすり抜けて部屋に」

「ちょ、マジで止めろ。ハゲ散らかすぞ!」

「……え、どういうこと? ハゲ散らかす?」

 天姉は話を中断し、困惑した様子で首を傾げた。


「怒りの表現だよ! 怒ってます! 今、僕怒ってます!」

「ふーん。まぁいいや。てかやっぱりホラー苦手じゃん。やーいビビリ、はりぼて、いそぎんちゃく~」

「それ、悪口なんか?」

 日向が訊くと、天姉は

「そういう見方もある。見方による」

 と答えた。

「いや、僕は別にビビリじゃないし。違うし。誤った情報だし。フェイクニュースだし」

 けいはブツブツと文句を言っている。天姉は勝ち誇ったように、

「はいはいそういうことにしておいてあげるよ」

 と言い、それに対してけいは不服そうな顔で、

「やかましいわ。ハゲ散らかすぞ」

 と言い返した。


「あ、そういえば最近どうなの? 桜澄さんには勝てそう?」

 それを無視して、天姉が突然話題を変える。

「いやぁ、まだまだ無理だね。先生強すぎるもん。でも天姉なら勝負になるかもよ? さっき恭介から聞いたけど、水筒握り潰したんでしょ?」

 けいに言われて、天姉は一瞬で顔面蒼白になった。

「あ、ヤバいそうだった! 怒られる! マズいマズいマズい」

「どうやったら水筒なんか潰せるんや。ゴリゴリしてんなぁ、うちの姉ちゃん」

 呑気な日向に、天姉が泣きついた。

「どうしよう日向。隠すべき? 素直に申し出るべき?」

「隠したらバレた時にエラいことなるやろなぁ。ウサギ跳びで登山とかさせられるかも」

「考えたくねぇ……素直に謝るか」

 そんな話をしているところに、更にもう一人やってきた。

「お? みんなで揃って作戦会議か。どうじゃ? 桜澄には勝てそうか?」

 この人はげんじー。先生の先生というか、先生の師匠だ。もう還暦を迎えているということが信じがたいほどゴツい体をしている。しかし髪の毛は真っ白に染まっており、顔には年相応の皺が刻まれている。

「げんじーおはよう。早くないけど」

 日向が自分の描いたカピバラの絵を眺めながら朝の挨拶をした。しかしもうとっくに昼も過ぎている。


「先生に勝てる気はしないね。まぁいつかボコボコにしてやりたいとは思ってるけど」

 僕が答えると、げんじーは楽しげに笑った。

「はっはっは。あいつに対しては生半可な鍛え方をしておらんからの。育てた側も引くくらい無茶な指示なのに平然とこなすような奴じゃったし」

 げんじーは先生に対する愚痴のようなものを続けた。

「そもそもできない前提で出した指示を、なんでもない顔して淡々とこなしていくあいつは鍛えがいがなかった。わしが鍛えんでも別に良くね? と何度思ったか分からん。それに比べてお前たちは鍛えがいがある。こっちの出した指示にちゃんと嫌そうな顔するからの」

「畜生め。楽しそうにしやがってからに」

 けいが悪態をつくと、げんじーはまた楽しそうに笑った。


「というか、桜澄さんは昔からそんな感じなんだね。変わってないんだなぁ」

 天姉が感慨深そうに言った。それに対して、げんじーは少し考えてから答える。

「どうじゃろな。あいつはあいつで成長したり悩みを抱えたりしているとは思うんじゃが。如何せん顔に出さんからの」

「とにかく、先生に勝つにはまだまだ鍛えないといけないのか」

 遠すぎる目標にため息をつきたくなる僕を励ますようにげんじーは、

「まぁ勝ちたい相手から教えを乞うておるんじゃから、そのうち勝負になるようになるかもしれんの」

 と言った。僕は勢い込んで訊き返す。

「マジで? げんじーから見て可能性あると思う?」

「絶対無理、とは言えんの。これからの努力によっては、って感じじゃ」

 けいはそれを聞いて、

「うーん。でもやっぱり今は正攻法じゃ厳しいからなぁ。よし。外道な手を使おう」

「なんでだよ。一緒に正攻法で頑張ろうよ」

 僕がそう言っても、けいは首を横に振った。


「いや外道な方法を使う。もう少し言うと、いたずらを仕掛ける」

 僕は安心した。

「あぁ、なんだそういうことか。戦って勝てなくても、何かしらの形で一泡吹かせたいと」

「イエス」

 けいは満足そうに頷いた時、

「うっ」

 天姉が唐突に苦しみ始めた。

「ん? 天姉どうしたん?」

 日向が訊くと、

「さっきげんじーが言った作戦の会議が今ごろになってっ!」

 天姉は胸を押さえて大袈裟に苦しんでいる。


「は? ……あぁ、四字の熟語か」

 呆れる日向をよそに、天姉は床に伏せ、呻きながら僕をちらちら見ていた。

「くっ、お餅さえあればっ。お餅さえ……くっ!」

「さっき食ったじゃん。また食うの? 太るよ?」

 僕が言うと天姉は素早く立ち上がり、かっこいい感じのポーズをとりながら、

「おーっと、そいつは言っちゃいけねぇぜ? 年齢、体重、握力に関することは乙女に言及してはいけないって決まりだ」

 と、何かの主人公のような口調で言った。

「最後の一つは個人的なものだろ」

 けいの指摘を無視して、

「まあまあそれはおいておいて。お餅はないのかい?」

 と、改めて天姉が訊いてくる。


「ないよ。さっきので最後」

「おいおい嘘だろ……。嘘だと言ってくれよ。頼む。言えよ。嘘って言えよ! ほら! おい!」

「怖いよ。餅好きすぎだろ」

「ったりめぇよ。乙女たるものお餅が好きでねぇと」

「天姉の乙女像よく分からん」

 僕が天姉の餅に対する執着に圧倒されていると、けいが逸れてしまった話を再開した。

「餅の話はいいよ。ほら、いたずらの策を練るぞ」

「そうは言ってもねぇ。不意を突こうにも隙がないんだよなぁ」

 天姉が困ったように呟くと、けいも深く頷いた。

「あの人、全然油断しないからな。どうにかして油断させよう」

 けいは油断油断と繰り返し口ずさんでから、

「油断、油断ねぇ……あ、そうだ! 先生の好物ってきゅうりの漬物だよな?」

「えー、なんか仕込むの? それは流石に駄目だよ。やりすぎ」

 天姉が否定的な姿勢を見せる。


「違うよ! どんだけ信用ないんだよ。好物が目の前に現れたら喜ぶじゃん?」

「いや、急に目の前に現れたら警戒するでしょ」

「さっき餅に狂ってた天姉がそれを言うのかよ」

「だってきゅうりの漬物でアガんないし」

「アガんないならしょうがないかぁ。もういいや他の案を考えよう」

 こうして僕たちは先生たちが帰ってくるまでに作戦を立てることにした。

よろしくお願いします

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