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第六話 私の運命

ぼちぼちながら、何とか完成しました。


応援、ありがとうございます。

第六話 わたしの運命


「運命とはこのように扉をたたくものです」

と、楽聖ベート-ヴェンは言ったとか。


      *      *


「殺害予告」なるものが私の耳に入ったのは、つい昨日のことであった。


      *      *


「殺害予告?」


私は、私の殺害予告について知ったときにぬいぐるみの私は笑ってしまった。


ぬいぐるみの私を殺害しようだなんて、なんて変わったことを考える敵がいるものだ。片腹痛い!


『殺害予告』だなんて、ぬいぐるみの私を人間か、あるいは一丁前の生き物として扱ってくれると言うことだ。それは、かえって素敵なことではないだろうか?


      *      *


クレーンゲームという装置、筐体きょうたいの中、私が暮らし始めて、ずいぶんと時がたち、このクレーンゲームの筐体の中の数十個のぬいぐるみたちの中でも一番の古株になってしまっている。


私は、そして、他のぬいぐるみとは異なり、特別なぬいぐるみであることに気づいている。


確かに見かけは、たんなるぬいぐるみなのに、私はなぜか、自分の存在を意識している。というか、自我を持っている。


これは、驚くべきことだが、俺は、自慢する気にはなれない。


ただ、その理由は何か? 私は、知りたいと思っている。


私が持っている不思議な意識、これは、いったいどういうことなのだろう?


理由わけを、私は、自分にいつも問いかけている。


* *


私が、自我を持ったである理由、それについて考える、そのたび、私がたどり着く理由のひとつが、


「我、「味の記憶」があるゆえに、我あり。」


ということである。


* *


私は、どんな行動も出来ず、何も見ることが出来ず、感じることが出来ないぬいぐるみでしかないのに、ただ、味覚の存在を感じ取ることが出来る。これは、私に生まれながらに備わっている「味の記憶」というものによって、遠くの「記憶」が「時を超えての記憶とも結びつく」。また、それは「現世を超えて」さらに、「前世」とも、「来世」とも結びつくということだ。


つまり、時空を超えた記憶それが、「味の記憶」というわけじゃないか!


ということになる。


* *


ところで、殺害予告に話を戻そう。


私に対する殺害予告?


実を言えば、この殺害予告について、私にも思い当たることがある。


それは、大ネズミ。


このゲームセンター、

つまり、クレーンゲームが置かれている場所。それはとある商店街にあって、このゲームセンターの近くには、いろんな料理屋、お菓子屋、たべものの店が建ち並んでいる。


この商店街からは、毎日、たくさんの生ゴミが発生し、その生ゴミを餌とする一匹の大ネズミがいた。この大ネズミは、飲食店が多い商店街では嫌われ者であった。


商店街では、この大ネズミを退治する必要があったのだが、どの店も忙しくて、しかも、大ネズミに時間やお金をく余裕はない。


とにかく、この大ネズミを成敗して、なにかの恨みや呪いを招いてもよろしくないという考えなのだ。



* *


殺害予告が届いてから、面白いことに、私が、これまでになかったやり方で、考えを巡らし始めた、というか思考し始めた。たとえば、こんな風な考えが沸き起こるのだ。


ところで、実際に今私は誰に話しかけているのだろうか?


殺害予告をうけてから、私は、誰かが私に話しかけてくるのを感じるようになっていた。しかし、話しかける声が、あまりにも不明瞭なために、それが、事実なのかどうか、私にも判断できないでいる。


私は、命のない一個のぬいぐるに過ぎないというのに。材料はといえば、布きれと糸と、とつめ物でボタンで出来たおもちゃに過ぎない。それなのに、心を持ってしまったために、面倒なことにも巻き込まれてしまう。


ぬいぐるみに対する『殺害予告』。ぬいぐるみの私には、分かってはいる。そんなことは、現実ではあり得ない。でも、私がそんな不幸に見舞われると言うことが、絶対にないとはなぜか思えない。それも、私の実感なのである。


そういえば、時が過ぎるにつれて、ぬいぐるみの殺害事件が起こっても不思議ではない、そんな気分になってきた。これは、どういうことだろう?


* *


理由は、例の大ネズミである。


私の「味の記憶」には、あの大ネズミがしばしば登場しているのだ。


また、毎晩、真夜中、人気のない闇がゲームセンターを包んでしまう頃、ゲームセンターに例のの大ネズミが決まって現れた。


ぬいぐるみの私が収まっているクレーンゲームの筐体はこの上というのは、大ネズミの通り道になっていた。毎晩、大ネズミは、筐体の上を通るときに筐体の中のぬいぐるみたちに視線を向けるのだが、その時に、大ネズミの視線がぬいぐるみの私に向けられているのを感じた。


私は、前世か、来世か、または、この世のどこかの世界で、大ネズミのシチューなどを食したというのか? その時の「味の記憶」が、そのときに生まれた因縁が、「味の記憶」として私の中に存在しているのか?


そして、何日もたたぬ内、「味覚の記憶」を通して、あの不気味な大ネズミの死を知った。


ぬいぐるみの私は、殺害予告を回避できたと感じ取ることができた。私のぬいぐるみの身体には安堵の気持ちにあふれた。


      *      *


その晩に、ゲームセンターでひとつの事件が起こった。


鍵をかけ忘れたクレーンゲームの筐体に近くのどら猫が忍び込み、ぬいぐるみを一個、盗んでいったのだ。


翌日、子供が、ゲームセンターにやってきた。子供は、ぬいぐるみを1個手にしていた。どうやら、どら猫が盗んでいったぬいぐるみが、店の前に落ちていたというのだ。


この子は、クレーンゲームの中にいつもいるぬいぐるみなので、このぬいぐるみを届けてくれたのだ。


どら猫が盗んでいったぬいぐるみというのは、熊のぬいぐるみで銅の蝶ネクタイをしたぬいぐるみであったが、ボタンの眼は片方が失われ、皮が破れ、ぬいぐるみの詰め物が飛び出していた。


ゲームセンターのオーナーは、子供が持ってきたぬいぐるみを、遠くから、近くから眺めてみた。


「これは、クレーンゲームの景品として使える状態じゃない」


ゲームセンターのオーナーは、ぬいぐるみを子供に渡そうとした。


「この状態ならこのぬいぐるみ、ゴミ箱行きだな。しかし、君、いるのなら持って帰ってもいいよ」


結局、ぬいぐるみは、ゴミ箱に捨てられた。


* *


「災難は、忘れた頃にやってくる」

あるいは、

「災難は、思わぬ時にやってくる」

ということだろう。


      *      *


そう、混濁する意識の中で、ゴミ箱に捨てられたぬいぐるみの私は、あのベートーヴェンの言葉を思い出していた。


「運命はこのように扉をたたくものです」



fin


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