お使い
世界には、千年前の道がまだ残っている。
アスファルトは割れ、上から土がかぶさり、すでに草原の一部と化してはいるのだが、それでもあきらかに他の平地とは異なり、「道」の機能を果たしていた。
あるいはそこを誰かが歩いているから、草が踏まれているだけかもしれないが。
シンジケートなどと大層な名前がついていたから、それなりのオフィスでも構えているのかと思ったが……。
そこは砦だった。
ちょっとした役所くらいの大きさ。中央部に木造の小屋が密集しており、周囲に石を積み上げて壁としている。
見張りの姿はない。
あまりひとけのない場所ではあるし、ここを襲撃するものもいないのだろう。
「ホントについてくるのか?」
まだ距離がある段階で、俺は同行者たちに尋ねた。
仕事が増えるから、できれば残って欲しいのだが。
「行くよ! だって村長さんに任せっぱなしはイヤだもん!」
キュウ坊はぎゅっと握りこぶしを作ってやる気十分。
茨も「私の力が必要になるわよ?」などとニヤニヤしている。
いや、正直、留守番してくれたほうが嬉しいのだが……。
「分かった。行こう。ただし、余計なことはしないでくれ。俺がこの千年鍛えた交渉能力で、穏便かつ完璧に解決するからな」
「……」
おい、せめてどっちかは返事をしろ。
*
砦に近づくと、ちょうど戸が開いて中から誰か出てきたところだった。
いや、「誰か」というには怪しすぎる。
なにせそいつは、血まみれだったからだ。
「はっ? えっ?」
小柄な男だ。
俺たちを見て困惑している。
俺もどう返事したらいいか思い浮かばず、妙なことを口走ってしまった。
「えーと、もしかして取り込み中とか……」
「お前、誰だ? シンジケートの仲間か?」
「いや、ちょっと話をしに……」
見たところ、この男は血まみれではあったが、怪我をしている様子はなかった。
つまり自分の血ではなく、他人の返り血ということだ。両手に鉄の爪を装備している。こいつも忍者なのだろうか。神の眷属といった様子はないが……。
男は溜め息をついた。
「なんの話だ? ちゃんと説明しろ。お前はシンジケートか? それとも中野の使いか? まさかどっちでもないなんて言うなよ。そんなウソ、通用しないからな」
「スマイル・タウンから来たんだ。中野が失脚したから、担当者の変更を伝えに」
「おい、待てよ。あいつが失脚? なにやらかしたんだ?」
かなり事情に詳しいようだ。
あきらかに中野のことも知っている。
「えーと、まあ、住民感情をいちじるしく害したせいで、結果として牢にぶち込まれた感じかな」
「それを本気で言ってるのか? あいつが牢に? どうやって?」
「遠距離から脅して、牢に誘導した」
「お前、ホントのこと言えよ。遠距離から脅したくらいで、あいつが牢に入るのか?」
神の眷属は、普通の武器では死なない。
だから普通の弓矢や、普通の銃では、脅しになりにくい。もちろん撃たれたら痛いし、体も動けなくなるから、無意味ではないのだが。
俺は話題を変えた。
「あのー、さっきから質問ばかりだけど、こっちだってあんたの正体を疑問に思ってるんですがね。事実を伝えていいものかどうか」
すると彼は露骨に顔をしかめ、すっと覆面で顔を隠した。
「俺の正体は言えない」
「じゃあ、信用に値しない。こっちも素直に喋るわけにはいかないな」
「喋らんと死ぬぞ」
「事実を確認したいなら、スマイル・タウンに行けばいい。俺の口から真偽不明の情報を伝えてもしょうがないだろ」
「いちいちムカつく野郎だ。だが、まあ、確かにそうだ」
そういうこいつもムカつくヤツだが、いちおう話は通じそうだ。
「中がどうなってるか教えてもらっても?」
「みんな死んだよ」
「あんたがヤったのか?」
「そうだ。だが詮索するな。お前たちも殺さなきゃならなくなる」
「なら聞かない」
戦えば勝てるとは思うが、もしキュウ坊や茨を狙われたら厄介だ。
見たところ、こいつは誰かに雇われた暗殺者で、たったいまシンジケートを始末したといった様子だ。殺しは慣れているのだろう。きっと躊躇しないはずだ。
男は舌打ちした。
「本当なら、目撃者は始末するところだが……。スマイル・タウンの使いなら、まあ生かしておいて大丈夫だろう。俺はもう行くが、あとをツケようなどと考えるなよ。それに、今後どこかで見かけても話しかけるな。すべて記憶から消せ。互いのためにな」
「約束する。俺たちも余計な面倒は抱えたくない」
「賢明だ」
彼はそれでもやや不審そうであったが、こちらに背を向けて行ってしまった。
さて、もう中を覗くまでもなく、どうなったかは分かってしまったわけだけど。
振り返ると、キュウ坊が怯えた顔で身をちぢこめていた。
「な、中に……入るの?」
「いや、その必要はないだろう。つまり俺たちのお使いは終わりだ。また森で一泊して、スマイル・タウンに戻ろう」
*
街へ戻ると、またしても住民たちは笑顔のまま消沈していた。
バカげた笑顔の義務などもう廃止してしまえばいいのに。
「ああ、よくご無事で」
警備隊長が表情筋のみで笑顔を作りながら、近づいてきた。
帰りを歓迎してくれるのはいいが、どうだったか聞こうともしない。
俺は妙な雰囲気を察知し、まずはカマをかけることにした。
「なにか変わったことは?」
「いえ、あのぅ……」
間違いなくなにかあったが、言いづらいといった様子。
この男の演技がヘタクソで助かる。
こうなったら、ひとつひとつ、否定できないような聞き方で確認してやろう。
「俺たちが留守の間、来客があったのでは?」
「ええ、まあ……」
「そいつはなんと言ったんだ?」
「じ、じつは、皆さんに、帝都へ出頭するようにと……」
シンジケート本部で会った男は、間違いなくなんらかの関係者だ。中野が失脚したという事実を確認するため、本人か、あるいは代わりの人間が立ち寄るのは間違いない。
そして彼らは必ず、なぜ失脚したのかを知りたがる。
すると警備隊長は素直にすべてを説明する。
で、俺たちがやったとバレる。
ここまでは聞かなくても分かる。
それにしても、帝都とはな。
ちょうど行こうと思っていたところではあるが。
「中野氏はいまどうしてる?」
「彼らに連行されました」
「連行? 警備隊長どのは、抵抗もせず、彼らに協力したと?」
「て、帝国の命令には逆らえません……」
まあここまで来たら明白だろう。
連れ去ったのも、シンジケートを襲撃したのも、帝国の人間というわけだ。少し前まで仲良く取引していた相手のはずだが。まあ商売上のトラブルで機嫌を損ねたのかもしれないな。
俺はうなずいた。
「分かった。その様子だと、シンジケートが壊滅したこともとっくに知ってるんだろうな。いくらか保存食を用意してくれ。そしたら素直にここを出ていく。あんたらとしても、それで問題ないだろ?」
すると、ボロボロの服を着た別の住民が近づいてきた。
「けど、もう俺たちの育てた草は誰も買っちゃくれねぇんだろ? これからどうすれば……」
「食える野菜を育てるといい。街のすぐ外に、農業に詳しい兄弟がいる。そいつらに頭を下げて教えてもらうんだ」
円満に行くかどうかは分からないが、少なくとも薬物を生成しているよりはマシだろう。
野菜を育てるぶんには、誰も不幸にならないのだ。
すると別の老人が、かなり崩れた笑顔ですがりついてきた。
「薬にハマってるうちの女房はどうなる?」
「いやそこは頑張って更生してくれよ……」
「女房だけじゃない、息子も娘もみんなハマってるんだ。もちろん俺もな! ハマってるっていうかキマってるっていうか」
「みんなで力を合わせて乗り越えてくれ」
老人は「幸福になりてぇよぉ」と崩れ落ちてしまった。
なんだか弱者を追い詰めている強者みたいな構図になっているが、俺にはどうしようもない。そもそも使うなとしか言いようがない。
*
「あれってさぁ、吸ったら幸福になれるってホントなのかな? だったらあたしも少しもらってくればよかった」
帝都を目指す道すがら、茨はそんなことを言い出した。
空気を読めないだけでなく、風紀を乱すことさえ平気で言う。
「ダメだダメだ。あの爺さんの様子を見ただろ? もし薬に手を出せば、すぐああなるんだぞ」
「ただの冗談よ。そんなに怒んないで。もしかして溜まってるの?」
「ああ、残念ながらストレスは溜まってるかもな」
すると後ろからキュウ坊が服を引っ張ってきた。
「ケンカはやめよ? ストレス溜まってるなら、ボクが肩たたきしてあげるから。ね?」
「悪いな、キュウ坊。大人げなかった」
彼女のけなげな態度を見ていると、いくらか怒りもやわらいでくる。
千年も生きているのだから、もっと余裕をもって対処せねば。
茨は舌打ちだ。
「まぁーたイチャイチャしてる。いったいいつになったらあたしの魅力に気づくんだか」
まずはその性格をなんとかしろ。
ともあれ、帝国だ。
首都はだいぶ先らしいから、長い旅になるだろう。
天気がいいせいか富士山が見える。
富士山以外の、本来なら見えるはずのない山も。
(続く)