古代遺跡
「ちょっと待って。倒れそうなんだけど」
勝手についてきた女が、いきなり座り込んでしまった。
せっかく命を救ったのに、このまま置き去りにしたら死んでしまうかもしれない。
「少し休もう」
俺も腰をおろした。
なにもない平地だ。
農地にさえなっていない。
しかし草が伸びていないところを見ると、あまり栄養のある土地ではないのだろう。あるいは野生動物が常に走り回っているか。
キュウ坊が近づいていった。
「お水飲む?」
「あなた可愛いわね」
「さ、触らないで……」
「なんなの、かわいこぶっちゃって。ちょっと手をなでただけでしょ」
「やだもぅ……」
プリプリしながら戻ってきた。
せっかく水を与えたのに災難だったな。
「村長さんも飲む?」
「いや、俺はいい。それより君も我慢しないで飲んだらどうだ」
「うん」
神の眷属になってからというもの、餓えや渇きで死ぬことはなくなった。ただし、不足すれば苦痛は感じる。力も弱くなる。生きたまま土に埋められたら、死ぬこともできず永遠に苦しむことになる。それを除けばじつに便利な能力だ。
水筒の水を飲み干した女が、口をぬぐいながら戻ってきた。
「そういえば、まだ自己紹介してなかったわね。あたし、茨。苗字とかないけど、いいよね? 目的はお兄ちゃんを探すこと。お兄ちゃんの特徴は、目が悪くて、引きこもりで、力が弱くて、いつもなにかに怒ってて……。そういう人。見たことある?」
自己紹介というより、ほぼ兄の紹介だな。
「残念ながら、その条件をすべてそろえた人間には、ここ千年は会ってない。千年前ならどこにでもいたんだが」
「お兄ちゃんはそんな年寄りじゃない」
「きっとどこかで会えるよ」
「まあね。ところで二人の関係は? もうえっちはしたの?」
「……」
この女は、空気というものを読む気がないのだろうか。
いや、口を滑らせて磔にあっていたくらいだ。そんなことを期待するだけムダなのだろう。
「いいか。キュウ坊は男だ。少なくとも設定上はな」
「は? 性同一性なんとかってヤツ?」
「いや、そういうんじゃなくて、たぶん流れで……」
「男のフリして身を守ってたつもり? でも、これだけ可愛かったら男でも関係ないでしょ?」
「そう言うなよ」
かわいそうに、キュウ坊は怯えて身をちぢこめている。
茨はぐっと背伸びした。
「で? 今日はどこで寝るつもり? あたし、下がカタいところでするのイヤだから」
「なにをする気だよ」
「ナニって、あたしを助けたんだから、体を求めてくるに決まってるでしょ? こんなに美人なんだし」
謎のセクシーポーズ。
おかげで魂が抜けそうなほど巨大な溜め息が出た。
「そこらの類人猿と一緒にするな。だいたい、ついて来てくれなんて頼んでないぞ」
「あたしは別にいいの。初めてじゃないし。男があたしを求めるのは自然の摂理だし。重力みたいなものよ。あ、重力って知ってる?」
また謎のセクシーポーズだ。
だが、もうそんなのに返事をする気にもなれない。
「少し先に森があるだろ? 今日はそこで寝る」
「森? まさか、古代遺跡じゃないわよね?」
「なにが問題なんだ? まさか悪霊がどうとかいうつもりじゃないだろうな?」
俺が尋ねると、彼女は大袈裟に天を仰いだ。
「信じらんない。悪霊にとりつかれると死ぬのよ?」
「なら俺は何千回も死んでなきゃおかしいな」
「平気なの? ホントに?」
この千年のうち、何度もビル街で過ごしたが、その悪霊とやらを見たことがない。
するとキュウ坊が、俺の後ろからちょこっと顔を出して応じた。
「悪霊はいるよ。でも村長さんがいると近づいて来ないんだ」
これに俺が「ほう」と感心していると、茨は不審そうに顔をしかめた。
「なにが『ほう』なのよ……。なんでほかに人がいないのか疑問に思わなかったの?」
「うるさいな。ずっと疑問だったんだよ。でもなんでか分からなくてな」
「うわー、なんか『自分は選ばれた人間だ』みたいな態度ね。ちょっとムカつくわ」
「……」
人が気にしていることを。
*
遺跡に入ったが、特に何者かに行く手を阻まれるといったこともなかった。
ただ、茨が「いる!」「そこ!」とすぐに指さすので、黒い影のようなものを見つけることはできた。ただしサッと身を隠してしまうので、本当にシルエットだけだ。
「え、ウソでしょ? ホントに襲ってこない……。逆に怖いんだけど……」
茨はやけにキョロキョロしていた。
ジョークでもなんでもなく、本来は危険な場所ということか。
つまり俺にとっては安全地帯ということになる。
もしかすると神の眷属の特権なのかもしれない。もしそんな特権があるなら、事前に説明しておいて欲しかったところだが。
「あんたの着てるワンピースも、遺跡で手に入れたものじゃないのか?」
「これ? 分かんない。お兄ちゃんが行商人から買ってくれたやつだから」
行商人――。
この能力を利用して、行商人をやってるヤツもいるかもしれない。意外と安全に稼げそうだ。
寝るのはどこでもいい。
ビルには人がいないから、勝手に使っても怒られることはない。
「え、すごくない? もうここ住めちゃうじゃん……」
あの百人の中には、そういう生活を送っているものもいるかもしれない。まあ世界は広いから、この日本で会うこともなかろうけれど。
俺が塔を追い出されたとき、それでもまだ半数近くは残っていたはず。
となると、外にいるのは約五十名。それが世界中に散っている。日本には俺と中野三千夫。帝国にもいるかもしれないが……。
まあ、道でばったり会うことはないだろう。俺と中野が遭遇したのだって、信じられないほど低い確率だ。
「ねえ、キュウちゃんはさ、なんで男のカッコしてるの?」
「やめてよ! ボクは男なの!」
「いや、それで男はムリあるから。もっと髪短くするとかさ?」
「髪はいいの。これ以上短くしないから」
この二人は永遠に分かり合えそうにないな。
するとキュウ坊は、こちらに助けを求めてきた。
「村長さん、なんとかしてよ。ボク、頭おかしくなっちゃうよ」
この子はあまえるのがウマいな。
初めて会ったときは石を握りしめて「近づいたら殺すから!」などと殺気立っていたのに。
「茨さんよ、あんましキュウ坊をいじめるなよ。この子にはこの子の生き方があるんだからさ」
「なに? 保護者気取り? 手を出してないのは偉いと思うけど……。あ、もしかして……」
なんだ? またセクハラか?
いい加減にしないと追い出すぞ?
俺は溜め息をついた。
「メシにしようぜ。キュウ坊、用意してくれ」
「うん」
しかし食事といっても、ほとんどはキュウ坊のためにあるようなものだった。俺は食わなくても死なないのだ。
火をおこし、湯を沸かし、そこに乾麺を投げ込んで食す。おかずは梅干しのみ。
さっきの街でなにかもらってくればよかった。
「私のぶんもあるの?」
茨が物欲しそうな目でじっとこちらを見つめてきた。
正直、ない。
いやある。
キュウ坊が自分のぶんを差し出せば、だが。
キュウ坊は気まずそうにチラと茨を見た。
「ボクのと同じのでよければ」
「お願い! なんでもするから!」
いや、「なんでも」はやめておいたほうがいい。
ともあれ、これも助け合いの精神だ。
いまのところこちらが一方的に助けているだけで、茨はなにも助けてくれていないが。
人間社会に競争は必要だと思う。しかし傷つけ合うほど苛烈に争うよりは、互いに助け合ったほうがのびるものだ。たとえば、ある国家とある国家が、戦争するよりも、貿易したほうが互いに豊かになるのと同じだ。
互いに悪意がなければ、という前提はあるものの。
しかし村から持ってきた食料も、遠からず底をつくだろう。
どこかでまた調達しなければならない。
たとえば、よからぬ薬物でしこたまもうけているであろうシンジケートから、少しばかり拝借するなどして。
*
俺、キュウ坊、茨の順に並んで寝たはずなのに、朝は俺が真ん中にいた。もしかすると茨が近づいてきて、キュウ坊は逃げたのかもしれない。
旅の支度をしていると、茨が不審そうにこちらを見てきた。
「あのさぁ、村長さんってなに? あなた、どこかの村長なの?」
いまさらそこに疑問を抱くとは。
「話すと長くなる」
「話してよ」
「元は村長だったんだ。けどワケあって俺とキュウ坊で旅に出ることにした」
「駆け落ち?」
「違う」
キュウ坊も両手をぶんぶん振って抗議のジェスチャーをしている。
茨は首をかしげるばかりだ。
「目的はなんなの?」
「特にない」
「なら行き先も決まってないんだよね?」
「まあな。だがその先は言わなくていい。お兄ちゃんを探してくれって言うんだろ?」
すると彼女は、きょとんとした様子でこちらを見た。
「え、なに? 得意のカラテで心を読んだの?」
「まあそんなところだ」
「体で払うから! ね?」
「そういうことを言うんじゃない。少なくともキュウ坊の前ではな」
すると後ろからかわいいパンチが叩き込まれたが、あえて反応せずにおこう。
茨は「ふうん」と生返事をした。
「もしよかったらさ、帝国の首都まで一緒についてきてよ。もしお兄ちゃん見つけたら、お金払うから」
「まあ、どうせ帝国には寄ることになりそうだし、俺はいいけど。キュウ坊はどうだ?」
振り返ると、彼女はなんとも言えない顔をしていた。
「ボクもいいよ。どうせそこ行くつもりだったし」
「なんだよキュウ坊、帝国に用だったのか? ていうかそもそも、おいでやす帝国のこと知ってたのかよ?」
「うん……」
なんだか反応が薄いな。
雰囲気に流されてるんでなければいいが。
(続く)