ようそろ
巨大な家が船となり、夏の海を渡っている。
どちらを見ても輝く海。
だが、陸地はずっと見えたままだ。
もし地球が丸ければ、大人の身長で見える地面は、せいぜい4キロ強が限界だ。地面より高いものは見えるが、地面そのものは見えなくなる。
海でも同じ。
船が陸を離れれば、陸は次第に向こう側へ沈んでゆく。
だが、この平らな世界では、陸地が沈むことはない。
ずっと日本が見えているし、中国も見えている。もちろん光は大気で乱反射するから、遠景は必ずしも明瞭ではないが。
ヒマラヤ山脈が、まるでこの世界の壁かのようにそびえているのが見える。
海水はどこへ落ちているのだろうか。
あるいは巨大な容器に包まれていて、ギリギリでこぼれないようになっているのかもしれない。
まだ世界の果てを確認したことがないから分からない。
海は飽きもせずだぶだぶとうねっている。
単調な光景のはずなのに、まったく見飽きない。
いや、ずっとこの反射を見つめていると、あとで目が痛くなるから、ほどほどにすべきなのだが……。
「で、村長さんとはどういう関係なの?」
「関係? そうね、言うなればパートナーかしら」
「なにその言い方! ボクだってパートナーだよ!」
「へえ。じゃあ対等な関係なの?」
「た……対等だよ! 対等だから! ウソじゃないよ!」
せっかくの絶景だが、後ろで少女たちが論争を始めてしまった。
論争というよりは、アンナが面白がってからかうせいで、キュウ坊が怒っているだけだが。
俺は思うさま溜め息をついてから、ゆっくりと振り向いた。
「二人ともやめるんだ。これから一緒にクソ長い旅を続けるんだから。仲良くしろとは言わないが、せめて……アレだ。君たちはなるべく会話するな」
この家は便利だが、移動速度がかなり遅い。人が歩くより少し速いが、走るよりは遅い。微妙なスピードだ。
キュウ坊は無言のまま頬をふくらませ、手をぶんぶんと上下に振った。
猛抗議しているのだろう。
まるでフグだ。
いまこの移動要塞には、八名の乗員がいる。
俺とキュウ坊、そして家主のアンナ、金目当てのミゲルとロクサーヌ。
牢にはデイジー、中野三千夫、本名不明のタコ野郎が閉じ込めてある。
キュウ坊以外は神の眷属だ。特別な能力を有している。意味不明な神器を有しているものもいる。いま乗っているこの家も神器だ。
以上が、我が軍の全戦力。
たったこれだけで、何万もの兵を従える神聖パンゲア帝国に挑もうとしている。
庭師のサポートがあるとはいえ、ずいぶん無謀な作戦だ。
「ダメだ。ちっとも釣れやしねぇ」
海賊帽の赤髭ミゲルが、棒きれを手に戻ってきた。
まあ釣れないだろう。
この移動要塞の偉容は、魚を追っ払うには最適だ。
食料はある。
古代遺跡からカップ麺などの保存食を大量に持ってきた。もちろんペットボトルの水も。水以上の酒も。
だが酒はバカにできない。大航海時代、水と違って腐らない酒によって、船員の水分補給がおこなわれていたのだ。飲むほうより、出すほうが多いのではという気もするが……。
「おい、アンナ。網かなんかないのか? そいつがありゃ、一気に魚をとれるんだが」
「あるわけないでしょ。この家は漁船じゃないの」
もともとは陸を歩く家だ。
漁業のための設備はなかろう。
俺は窓に寄りかかり、また海を眺めた。
海面は、飽きもせず同じ動きをする。もりあがったり、沈みこんだり。そのたび日の光をキラキラと反射させる。
はるか遠方の陸地は、陽炎でゆらめいている。
なまぬるい潮風。
これから敵地で命を蹂躙する予定とは思えないくらい、のどかな船旅だ。
「なあ、アンナ。トランプやねぇか?」
「いやよ。あなた、イカサマするんだから」
「しねぇよ。こないだはたまたま……ジョーカーが三枚入ってたんだ」
「たまたま!? よくそんなこと言えるわね! 死になさい!」
ミゲルに誘われたアンナだったが、怒って壺に身を隠してしまった。彼女は、機嫌を損ねるとすぐ壺に入る。
ここでやるトランプは基本的に博打だ。
夕飯のおかずがかかっている。
ジョーカーが偶然三枚入っているわけがないから、あきらかに不正であろう。俺もミゲルとはトランプしないようにしている。
キュウ坊が隣にきた。
「さっきからずっと海見てる」
今日の髪型はツインテール。
男装する必要がなくなったからか、髪を伸ばしている。たまにスカートをはいているのも見かける。
彼女の故郷で起きたことについては、先日、すべて伝えた。
姉のヤエが帝都を襲撃したこと。
第三皇子が戦死したこと。
皇帝と第七皇子が追放されたこと。
キュウ坊は黙って聞いていた。いろいろ思うところはあったろう。だが、ただうなずいて受け入れていた。
「海って不思議だよな。ずっと同じ景色なのに、なんでか目が離せない」
「そう? ボクはもう飽きたけどなぁ……」
「あんなに楽しそうにはしゃいでたじゃないか」
「海に出たの初めてだったから」
出航したばかりのころ、キュウ坊は「すごいすごい」とぴょんぴょん飛び跳ねていた。だが疲れたのか、そのうちなにも言わなくなった。若いだけあって、飽きるのも早い。
目的地はインド。
まるで天竺を目指す西遊記だ。
もっとも、俺は坊さんではないし、ありがたいお経を持ち帰るのではなく、塔のマスターキーをぶんどりに行くわけだが……。
俺はどこへともなく尋ねた。
「庭師、少しいいか?」
「はい」
この家は、塔の庭師と無線でつながっている。
無線といっても電波ではなく、もっと霊的ななにかだとは思うが。
「俺たちがマカオから上陸するころには、アメリカも動いてるんだよな?」
「はい。もっと言えば、アメリカ側の先遣隊が、数日以内にポルトガル近海に到着します」
「先遣隊? 交渉でもするのか?」
「宣戦布告です。アメリカ軍に攻撃の用意があることを、ヨーロッパ総督に知らしめるのです。すると総督は、北インドに特使を派遣するでしょう」
「なるほど。その結果、軍隊が移動して、本拠地の守備は手薄になる、と」
一見、都合のいい結果に思える。
だがそれは、すべてがうまくいった場合の話だ。
「で、いまのアメリカ軍は強いのか? 簡単に蹴散らされたら困るんだが……」
「問題ありません。もし戦闘が始まれば、一か月と経たずヨーロッパ全土を制圧するでしょう」
「そんなに?」
強すぎる。
いったいどういう計算なんだ……。
「アメリカ軍は、少なくともジョシュアの有する軍隊のひとつを壊滅させるでしょう。流れによっては残りの軍隊も……」
いまジョシュアは、対アメリカ軍と対ヨーロッパ軍を有している。その両方が消えれば、こちらにとっては理想的だ。片方だけでもずいぶん楽になる。
だが、それでも勝利は確定しない。
「本拠地にもかなりの戦力がいるはずだ」
「それは皆さんの力で対処してください」
「勝てると思うか?」
「おそらくは五分五分でしょうね」
他人事だと思って、ふざけたことを。
五分五分だと?
乱暴に計算すれば、もし勝てたとして、こちらの半分が死ぬということだ。
状況を改善して、確率をあげなくては……。
ジョシュア軍に属する能力者については、おおむね把握できている。以前、アンナから教えてもらったからだ。
計二十数名。
そのすべてが脅威というわけではない。必ずしも戦闘用とは言えない能力者もいる。たとえば治癒だとか、千里眼だとか……。
「庭師、敵側にも千里眼の能力者がいるんだよな? こちらの動きは読まれてないのか?」
「分かりませんね」
「分からない? あんたと同じ能力者だろ?」
すると庭師は、軽く溜め息をついた。
「同じではありませんよ。私の個人的な能力は、千里眼ではなく、植物の成長を促すものですから。世界の状況を把握できているのは、あくまで塔の機能によるものです」
「これは失礼」
植物の成長、か。
農業に役立ちそうだ。
「例の暗殺者については?」
敵陣には、銀の弾丸で狙撃してくる暗殺者がいる。
もし急所を撃ち抜かれれば即死。俺たちは二度と蘇生できなくなる。
「そちらも不明です。個人なのか集団なのか、誰が指示をしたのかさえ」
「こっちの千里眼は万能ってわけじゃなさそうだな」
「……」
無視された。
いや、無視してくれたほうがいい。
怒られたところで、謝るしかない。
俺は軽く咳払いをし、こう続けた。
「最後に、塔の庭師さまから、この迷える子羊になにかヒントは?」
「情報を得るのが難しい以上、敵の内情について頭を悩ませるより、自軍の強化につとめたほうがいいでしょうね。補うべき欠点がいくつかありますから」
「欠点? たとえばなにが足りない?」
「第一に人材です。戦力は十分とは言えません。第二に連携。互いの能力を引き立てるような行動をとったほうが、生存率もあがるでしょう。そして第三に、あなたにはマナーが必要かもしれません。最低限、私の心証を損なわない程度には」
「……ありがとう。参考にさせてもらうよ」
やっぱり怒ってた。
人材と連携が足りていないのには同意する。いままでは、たまたま居合わせた人材で、自分勝手に戦ってきた。改善の余地がある。
マナーは後回しでいい。もし一連の戦いが終わって、それでもまだ生きていたら、前向きに検討する。
しかし人材、か。
そこらの人間に銀の武器を持たせて、戦ってもらうしかなさそうだが……。
雇う金もなければ、持たせる銀もない。
いざとなったら俺の仕込み杖を貸してもいいが、残念ながら一本しかない。
(続く)




