秘密
「じゃ、ボクがふーふーしてあげる」
「やめなさい」
帝国からの呼び出しがないのをいいことに、俺は村への滞在を続けていた。
ひとまずではあるが、襲撃の心配もなくなった。
いまではカップ麺を食べるたびにこの騒ぎだ。
「なんで? やけどしちゃうよ?」
「しないんだよ。俺は大人だからな」
「えーっ」
キュウ坊はおままごとでもしてるつもりなのか、やたら世話を焼いてくる。
帝都で皇女として育てられ、その後は新興領主に嫁に出され、ほとんど心休まるときがなかったのであろう。
過去を取り戻すかのように、村での生活を満喫しているように見える。
アンナはこの光景を鬱陶しがって家にこもってしまったし、茨もうんざり顔でウチワを使っている。
「見せつけてくれるわね。ゲロアマで死にそうだわ」
だが、この平和も永遠ではない。
火種はそこら中にある。
「村長! 村長いるか!」
見張りの男が駆け込んできた。
「ここだ!」
俺は食べかけのカップ麺を置き、茨パレスを出た。
「ああ、いたいた。村長さん、帝国ってところから使いのヤツが来て、手紙あずかったぜ。急いで戻ってきて欲しいって」
「分かった。ありがとう」
千年経っても文字は変化していない。
おそらくこの世界では、なにかしらの調律が働いているのだろう。なぜか異なる言語の人間とも意思の疎通ができているし。
俺は手紙を広げ、中身をあらためた。
周辺の領主たちが反旗を翻し、帝都へ迫っているようだ。ついては防衛のため、いますぐ眷属たちを集めて戻ってくるように、と。
皇帝の署名もあるが、本文は部下が書いたものだろう。
さて、どうしたものか。
個人的には、帝国が滅ぼうが知ったことじゃない。
しかしいま帝国が滅べば、領主たちが覇を競い、群雄割拠の時代になってしまう。そんなときにジョシュア軍が攻めて来たら、今度こそ持ちこたえられない。
それに、キュウ坊の親族もただでは済むまい。
家へ戻ると、キュウ坊が駆け寄ってきた。
「どうしたの? 帝国から?」
不安そうな顔だ。
問題がややこしくて説明が難しい。
帝都の危機を伝えるのも気が進まないし、もし彼女を帝都へ連れていって、誰かに正体を見破られたらと思うと……。
いや、仲間にウソをつくべきではない。
「キュウ坊、できるだけ冷静に判断してくれ。いまから事情を説明する」
「う、うん」
力強くうなずいてくれた。
彼女だって帝国を治めていた側の人間だ。特別な教育を受けている。いざというときの覚悟も、心のどこかにはあるはずだ。いまはその資質を信じよう。
「前回の戦いでは、帝都を守ることができた。だが、今度は、周辺の領主たちが独立を宣言してな。帝都への攻撃を計画しているらしい」
「えっ」
「俺は行く。だが君が一緒に来るかどうかは任せる。言っておくが、帝都には君の知り合いもいるからな。バレたときどうなるかまで考えた上で返事してくれ」
キュウ坊の表情が一変した。
なにかを決意したような、強い目だ。
「ボク、ここで待つよ」
「いいのか?」
「だって村長さん、すぐ戻ってくるもん。だから信じて待ってる」
あれだけゴネていたのがウソのようだ。
いや、それだけに、あらゆる状況を考えた末での結論なのだろう。
「分かった。アンナは置いていくから、なにかあったら彼女を頼ってくれ」
「うん。気を付けてね。戦いよりも、体のほうが大事だよ」
「ああ」
やはり資質はある。
ただの少女ではない。
*
土偶で移動しつつ、俺は庭師に状況を確認した。
「帝都はもつと思うか?」
「いいえ。今回独立を宣言した領主は七名。北と南から挟撃してくるようです。一方、帝都は……もはやあらゆる機能を失っています。臨時のバリケードを築いていますが、ほとんど意味をなさないでしょう。食料も足りていませんし、兵の士気も高くありません」
彼女がそう言うならそうなんだろう。
帝都は守れない。
「なにか奇跡でも起きて、一発逆転の可能性はないかな?」
ムチャを承知で、俺はそう尋ねた。
あったらとっくに教えてくれているとは思うが。
庭師はかすかに溜め息をつき、こう応じた。
「じつはあるのです」
「ある? 牢にぶち込んでる連中を使うのは勘弁してくれよ……」
デイジーやタコ野郎はともかく、中野は二度と娑婆に出したくない。
「じつはもう一人、日本に神の眷属がいます」
「えっ?」
「ただ、自分のことを、ゲームに出てくる戦国武将だと思い込んでいますから……。敵味方問わず攻撃してしまうので、もし勝てたとして、被害は甚大になるかと……」
どう考えても危なそうだ。
「スペックを教えてくれ」
「ジョン・グッドマン。能力は怪力。神器は馬……というか麒麟です。これにまたがって、とにかく暴れ回るのが彼の戦法になります」
ジョン・グッドマン。
記憶にある名前だ。
塔にいたころ、白人の大男から急に話しかけられたことがある。
「お前、日本人だな? サムライって知ってるか?」
だから俺は侍について教えてやった。
武士階級のうち、仕官してるヤツが「侍」で、仕官してないヤツは「浪人」なのだと。だが、まった聞いていなかったどころか、とにかく刀を振り回すのがサムライだと固く信じていた。
「彼はたしかアメリカ人だった気がするが、なぜ日本に?」
「日本を観光してから、東へ向かってアメリカへ渡るつもりだったようです。しかし残念ながら……」
「この大地は球体じゃなかった、というわけか。なあ、庭師。どういうことなんだ? ここは俺たちのいた世界とは別物なのか?」
球体だったものを平らにしたら、いろいろ不整合が起こるはず。
庭師は「さあ」とそっけない。
「それよりいまは優先すべきことがあるのでは?」
「そりゃそうだが……。庭師、確認したいんだが、俺たちは協力関係にあるんだよな?」
「一時的にそうなっています」
「一時的? つまりあんたがその気になれば、俺のことなんて簡単に捨てちまうってことか」
庭師は謎の能力を有している。
こちらにポンと土偶をよこしたくらいだ、かなりの自信があるんだろう。
彼女はしかし溜め息とともにこう応じた。
「そちらが私を切り捨て可能性もあるのでは?」
「いまのところ、そうする理由は見当たらないが」
「未来のことは誰にも分かりませんよ。それがたとえ神であっても……」
「ウソつけ。神なら分かるだろ」
俺はジョークで返しつつも、やや警戒をおぼえていた。
庭師はあきらかになにかを隠している。
その秘密は――もしかすると、彼女を信頼できなくなるほどの内容かもしれない。
少し前、庭師は気前よく土偶をよこしてきた。
問題解決の手段にしては、やや大袈裟ではないかと感じていたが。
そこへジョシュアが攻め込んできた。
ただの偶然だろうか?
だが、もし……もしすべてが彼女の思惑通りだとしたら?
庭師はこの世界を俯瞰しているのだから、おおまかな流れを把握しているはず。もっと言えば、人々が、どんな状況に追い込まれれば、どんな要求をしてくるのかさえ理解している。
警戒が必要だ。
自分がいま、どんな流れにいるのかを、俺は把握しておくべきだろう。
ジョシュア軍が攻めてきた。俺は力で追い払った。次は? 帝都を守る? それとも帝都は守れない? もしジョン・グッドマンを参加させれば、状況はさらにグチャグチャとなる……。そのあとは?
いや、分からない。
予想を立てるにしても、情報が少なすぎる。
俺は大きく息を吐き、こう尋ねた。
「庭師、塔の景色はどうだ?」
「いつも通りですね」
「そんな高い場所にいたら、さぞかしいろんなものが見えるんだろうな」
「ええ。見えますよ、いろんなものが」
声からは心境を読み取れない。
むしろこの会話は、俺の警戒感を暴露しただけかもしれない。
ならいっそ、開き直るか……。
「あんたはさ、この世界にどうなって欲しいんだ?」
「はい?」
「平和になって欲しいとか、もっと発展して欲しいとか、いろいろあるだろ」
もしくは「なにかを巡って争って欲しい」とかな。
庭師の返事はこうだ。
「それは世界を生きる人間たちが選択すべきことです」
「そうかい」
平然とウソをつかれた。
もし流れに任せるつもりなら、今回だって介入していないはずなのに。
庭師は、ジョシュアに対してなんらかの感情を抱いている。
地下牢のカギを返して欲しいだけ?
塔でうるさく騒がれたから、その報復?
いや、そんなことではあるまい。
きっと誰にも言えない秘密があるのだ。
「庭師、ジョン・グッドマンは引き込まなくていい。今回は俺だけで対応する」
「分かりました。くれぐれもお気をつけて」
「ありがとう」
そしておいでやす帝国は滅亡するだろう。
あくまで俺の印象だが、それでも庭師は気にしないといった様子だった。彼女の中では、すでに次のフェイズに入っているのかもしれない。
確実に「なにか」がある。
なのに、まったく読めない。
不安だけがつのる。
(続く)




