虚しい勝利
戦いは終わった。
兵たちは立ち尽くし、燃え盛る都をただ見つめていた。
移動要塞にいる貴族たちは、この惨状を、いったいどんな気持ちで眺めているだろうか。
*
夜、それでも周囲は炎で昼のように明るかった。
ミゲルやロクサーヌは古代遺跡へ向かったが、俺は現場に残った。
呆然とする兵士たちと一緒に、野原で寝た。
夏の夜空には、星々が力強く輝いていた。
きっとひとつひとつの星には名前がついているはずだが、俺には分からない。
戦争には勝った。
ジョシュア軍との戦いにおいて、初めての、そして決定的な勝利だ。
なのに、誰も喜ばなかった。
タコ野郎、デイジー、それに中野三千夫は、いまはアンナが用意した特別な部屋に監禁されている。
あの家自体が神器だから、内部に入り込んだ人間を支配下におけるのだとか。まるで魔女の家だ。もしかするとアンナが一番危ない能力者かもしれない。
ともあれ、ジョシュアが送り込んできた対アジア軍の精鋭は、すべて手中にある。
このあと敵がどう出るかは分からない。
対ヨーロッパ軍を差し向けてくるかもしれないし、対アメリカ軍を使うかもしれない。まさか北インドの本隊が来るということはないと思うが。
*
翌日、大地におりた移動要塞から、貴族たちがぞろぞろと戻ってきた。
兵たちにねぎらいの言葉をかけようというのだ。
だが、あまり歓迎ムードではなかった。
「臣民よ、よく戦った。こたびはおおいなる試練にさらされたが、我らは悪しき賊軍を撃ち破った。きっと神のご加護があったのだ。これよりは栄光の道がひらかれよう。帝都を再建し、ふたたびこの地に『おいでやす』の輪を広めようではないか」
消沈した皇帝の代わりに、第三皇子が演説した。
いちおう兵からは「おお」と声があがったが、みんな見るからに疲れ切っていた。
あまりにも虚しい。
どうせこのあと帝都の再建のため、市民には重税が課されるのだ。
こんなにボロボロでは、いくらかかるか分かったものではない……。
朝は涼しい。
いや、今日は特に涼しい。
あれだけの火災のあとなのに。
俺がぼうっと朝日を見つめていると、黒装束の完蔵があきらめ顔で近づいてきた。
「悪いニュースだ。辺境諸国が、正式に独立を宣言した。第八皇女が輿入れした領地までもがな」
「第八皇女? キュウ坊のお姉さんか……」
「力を失ってしまえば、帝国は、もはや帝国ではいられなくなる。おそらく次の覇権を争って、小競り合いが始まるだろう。悠長に再建している余裕はなさそうだ」
そして次の皇帝が現れる、というわけだ。
「あんたはどうするんだ?」
「俺の忠誠は烏賊組にある。組頭が陛下に従うなら、俺もそうするまでだ」
「律儀なヤツだな。俺はいちど村に戻るよ。みんなの様子を見たい」
すぐ帰るつもりが、すでに一か月以上経ってしまった。
みんなうまくやってくれているといいが。
*
少し村の様子を見たいと告げ、俺は帝都を発った。
二度と戻らないつもりじゃない。
すべきことはしたのだ。
苦情を言われる筋合いはない。
ひたすら東を目指し、見慣れた山道へ。
じつは一人ではない。
帝国に使われることにうんざりしたアンナが、一緒に来たいと言ってきた。だから俺は、いま家に乗って移動している。
家はサイズを変えられるらしく、いまは一軒家ほどのサイズになっていた。
アンナは優雅にティータイム。
「どんな村なの?」
「さあな。ただ生きるためにある村だ。特産品もない」
質素だし、不便だし、夜はまっくら。
だけど不思議と居心地はいい。
争いさえなければ。
山道を進んでいると、不意に「止まれ!」と声をかけられた。
何者かが木の上に潜んでいるようだ。
俺は窓から顔を出した。
「柴三郎だ。いったい何事だ?」
するとそいつは驚いたように目を丸くした。
「村長!? その家はいったい……」
「ちょっとした乗り物だ。敵じゃない。あんた、清沢村の住民だな? なにをしている?」
彼はほっと息を吐いた。
「いや、悪いこたしてないよ。茨さんの命令で、見張りをしてたんだ。この先、罠がしかけてあるから、そのまま通すわけにはいかなくて」
「ほう」
俺の立てた作戦を忠実に実行したのか。
なかなかやるな……。
男はスルスルと木からおりてきた。
「案内するよ。危ないところは踏まないように」
「分かった」
*
案内役とは村の手前で別れた。
俺たちは村人を驚かせないよう、家を停止させ、そこから徒歩で移動することにした。
夏だからか、草がぼうぼうにのびている。
小さな沢からは水が流れ、それが途中で小川と合流している。これが村の生命線だ。
その川に少女の姿を見つけた。
浴衣のような服を着た、ポニーテールの少女。裾をまくって川に入り込み、ごしごしと洗濯物を洗っている。
「え、村長さん……」
「ん?」
もしかしてキュウ坊か?
少し髪が伸びて、だいぶ女の子らしくなっていた。
「わあ、村長さん! 帰ってきた……んだ……」
ぱっと明るい顔で近づいてきたかと思うと、なぜか途中で表情を曇らせてしまった。
「ただいま、キュウ坊。だいぶ伸びたな」
「え、髪? うん……。そっちの子は?」
「アンナだ。途中で合流してな。一緒に来たいっていうから連れてきた」
「一緒に……」
なんだろう。
まさか、たった一人の客人も養えないほど村は困窮しているのか?
夏は食べ物が育つ時期のはずだが……。
アンナはふんと鼻を鳴らした。
「私は北の大地からやってきた赤き魔女アンナ。世話になるわ、人間」
いきなり妙なキャラ付けを始めた。
なんなのだ赤き魔女とは。
たしかに最初は赤いローブをまとっていた。しかしいまは暑くて脱いでいるから、ただの少女だ。
キュウ坊はしゅんとしている。
「あ、あの……。うん。よろしくね。ええと、ボク、洗濯しなくちゃだから……。またね!」
行ってしまった。
「おい、アンナ。もっとフレンドリーにしてくれなきゃ困るぜ。これから世話になるんだから」
「少しからかいたくなってしまったわ」
真顔だ。
「なってしまったわ」じゃないんだよ。
キュウ坊はけっこう繊細なんだから。
*
集落はすぐに見えた。
特に変わり映えしていない。
茨も磔にあっていない。
「おお、村長だ!」
「村長さん!」
住民たちは歓迎してくれた。
茨も作りかけのゴザを手に、こちらへ近づいてきた。
「あら、帰ってきたの? そっちの子は誰? まさか戦争のどさくさにまぎれて、誘拐したんじゃないでしょうね?」
かなりの薄着だ。
いくら暑いからって、布切れ一枚巻いただけってのは……。
アンナがまた「私は北の大地から……」などと言い出したので、俺は横からつっこみをいれた。
「古い知り合いだ。しばらく村に置く」
「私というものがありながら……」
「誤解を生む表現はやめろ。それより、問題はないか?」
質素な小屋に「茨パレス」なる看板がかかっているのは気になったが、あえて見なかったことにした。
茨はふふんと胸をはった。
「見て! 茨パレス! みんなに作ってもらったの!」
「見ないフリしてたのに」
「あと、あんたの作戦をパクって西の道に罠を仕掛けたわ。すごい? 褒めたい?」
「褒めるよ。立派だ」
兄の才能は怪しかったが、あれに比べれば妹はまあまあマシかもしれない。
どじょう髭の信長がやってきた。
「で、どうだったんです? 敵とかいうのは追っ払えたんで?」
「ああ、いちおうな。いろいろあったが……。ひとまず安心してくれ」
本当に「ひとまず」の安心でしかないが。
しかし肩の荷は降りた。
村の運営も問題はなさそうだ。
茨はよくやっている。
ふと、アンナに袖を引っ張られた。
「ねえ、柴三郎。あなた、自分の村のちびっこに嫌われてるの?」
「えっ?」
物陰に隠れた幼い少女が、かなり険しい表情でこちらを睨んでいた。
ムサシの娘だ。
俺がやったわけではないが、俺がきっかけで父を失ったわけだから、少なからぬ恨みを抱いているのだろう。
俺は茨に尋ねた。
「彼女たちのケアは?」
「してる。けどまだ心の整理がつかないんでしょ? 時間が解決するのを待つしかないわ。お兄ちゃんのほうは分かってくれてるんだけどね」
あんな暴君でも、彼女にとっては父親だった。
「そういやお兄ちゃんで思い出したが、君のお兄さんにも会ったぞ」
「は?」
「帝都の庁舎で働いてた。まあ……それなりにやってる様子だったな」
「ホントに? お兄ちゃん元気だった? あたしのことなんて言ってた? あたしってかわいい?」
なんだこいつは。
磔にするぞ。
「いや、君の話はできなかったよ。その手の会話はNGだったからな」
「なにそれぇ。でもいいわ。ちゃんと働いてるんだもの。あ、ところでキュウちゃんには会った? 川で洗濯してるはずだけど」
「ああ、会ったよ。でも元気なかったな。なんかあったのか?」
「えっ? 特になにも……。あ、いや、そういうこと? はいはい。ぜんぶ分かったわ」
茨はムカつく半笑いを浮かべた。
なにが分かったんだよ。
「分かったなら教えてくれ」
「お断りよ! まあ教えてもいいけど、面白いからしばらく黙ってるわ」
「はぁ?」
せっかくお土産に古代遺跡の食べ物を持ってきたのに。
なんだか渡しづらいじゃないか。
(続く)




